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「これが運命だなんてありえない! こんなの絶対何かの間違いだ!」
烈己 はシャツから覗いた首筋から頭の先までを怒りで一気に紅潮させた。
人体の血管標本になれそうなくらいハッキリと浮き上がったこめかみのそれは、はち切れんばかり膨れ上がっており、年齢の割に幼く可愛らしい顔立ちには猛々しすぎてあまりにも不釣り合いだった。
そんなそばにいるだけで火傷を負いかねない熱を孕んだ強い怒りをぶつけられながらも、正面に座った男は生まれつき垂れ下がった人畜無害そうな穏やかなる瞳で──悪く言えば単に眠そうで無関心な瞳で、ぼんやりと烈己を眺めていて反論どころが一切反応すらなかった。
一瞥にも似たその変化のない表情が、さらに真剣な烈己の怒りの火に油を注ぐのは必然だった。
「それじゃあ何かの間違いなんじゃないですか? 俺は別にどっちでも良いんです」
烈己の怒りがかえって男を冷静にさせるのか、起伏のない声色で男は頬杖をついて視線を窓の外へとやる。
男の視線の先には丁寧に手入れされた濃緑が美しい日本庭園が広がり、目の前の怒った顔の烈己より数倍も目の保養になった。
芽吹き始めたばかりの立派な幹の桜を見ながら、あれが満開になればこの穏やかで静かなる緑で埋められたキャンバス内をあでやかに独占する美しさになるのだろうと、呑気に妄想すら膨らませる。
「なんなんだよ、その態度! どっちでも良いなんてよく言えたなっ」
「アンタが言ったんでしょ、間違いだって」
折角の景色が台無しだと言わんばかりに男は短い諦めのため息をつくと、庭から烈己に視線を戻してようやく目と声色に感情の色をわずかに灯らせた。もちろんそれを好意的な色と呼ぶのにはあまりにも程遠い。
男の飄々とした静かで冷淡なる態度に、否応なしに平常心を取り戻さざるを得なかった烈己は、興奮のあまり曲木の座椅子から高く上がっていたままの腰をゆっくりと下ろした。
「──で、どうするんです? 断るなら断ってくれても俺は別に構わないんですよ。別にこれは強制じゃないんだし」
「強制……じゃない、けど……これで番 になったら国から成婚補助金が出る……」
「ははー、アンタもわかりやすいですねぇ、結局金かぁ」
さっきまで無関心の塊だった男は、いきなりわかりやすい野心を丸出しにしてきた烈己が余程面白かったのか、口の端をあげながら顎をひと撫ですると、指を組んで座卓に置き、前のめりになって烈己の顔をまじまじと覗いた。
ひどくバツの悪そうな顔をした烈己が、今度は自らがその視線から体ごとうしろへ逃れる。
「じゃあ金のために俺と番になりますか? ぶっちゃげ俺はあんまりオススメしませんよ。金なんか貰ったところで一瞬で無くなりますけど、死ぬまでアンタはこの鎖から逃げれなくなるんですからね。そんなのまるで牢獄でしょう」
男の物騒な声と言い回しに烈己は明らかに怯え、顔色を無くしながらゆっくりと男の顔を見た。いつのまにかこの場の主導権は完全にα である男へと変わっていた。
「牢獄って……そんな言い方……」
「思いませんか? 紙切れ一つで別れられるβ たちとは訳が違う。Ω のアンタは産まれた時から錘 に触れることを禁じられた呪いのお姫様。どう足掻いたって運命の悪夢からは逃 れられないんですよ、こんな残酷な話がありますか」
男の苛虐な言葉で烈己の頬は再び怒りの色を見せた。
「運命の……悪夢?」
「言い方がちょっと悪かったですかね? 夢ならまだ醒める分よかったんですけど、これは現実の話ですもんね。言葉にするならなんでしょう、運命の名を語った──地獄?」
男が惨憺な言葉を告げ終わると同時に、烈己の右拳はものすごい速さで男の左頬を殴りあげていた。
有名海外アニメみたいな火花が目から出る錯覚に襲われながら、男は激しい音と共に畳へ倒れ込み、殴られた頬を両手で押さえながら「イッテェ〜ッ!!」と今までで一番生気のある声を腹から出した。
「ふざけるな! 錘でも棘でもなんだって来いってんだ! 俺はどんなに痛かろうが血を流そうが呪いなんかに屈しないっ、100年も呑気に眠ってたまるか! 俺は俺の人生を卑下したりしないし、負けるつもりもないっ、お前なんかより数億倍も幸せになって寿命を全うしてやる! イケメンスパダリα見つけて可愛い子供たくさん産んで孫の結婚式見送ってから死んでやるんだ!!」
烈己は一切の息継ぎもせず全てを言い終わると、気が済んだのか大きく息をひとつ吐き「失礼します」と最後に付け加え、何が起こったのかイマイチ状況を理解できずに畳に倒れたままのαを一人残して襖を勢いよく閉めた。
ズキズキと痛む左頬を撫でながら男は呆然と烈己が出ていった襖をしばらく眺め、そして突如笑い出した。
「アッハハッ、なんだよあの、したたかで壮大な未来設計。イケメンスパダリッ……何様なんだよっマジでっ、ハハハッ、腹イテェッ……。ハー、孫の結婚式って何歳まで生きるつもりなんだよ、ほんと……」
盛大に笑うだけ笑って、男はだらんと脱力し、大の字で仰向けになってぼんやりと天井を眺めた。笑い過ぎたせいで頬だけでなく腹や顎の付け根も痛い。
「久しぶりにこんな笑ったわ……」
一瞬感慨深くなったのも束の間、男は一度閉じた瞼に烈己の怒った真っ赤な顔が浮かんでしまい、再び一人で腹を抱え笑う羽目になった。
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