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寒い夜はふたりで
※この作品は、糸川さんの転勤決定から引っ越しをするまでの期間のお話です。
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年明けに転勤の内々示を受諾して、それを糸井にも話してから、一週間。相変わらず仕事は忙しく、なるべく早く切り上げようと努力しながらも二十一時を過ぎた金曜の帰り道、見上げたマンションの自室の窓が明るく光っているのを確認して、糸川は巻きつけたマフラーの下の口元を緩めた。
金曜の夜はほぼ毎週、糸井は職場から糸川の部屋に直接帰宅するようになった。週七日のうちの三日は一緒にいるのだから、半同棲とか、週末婚とか呼べるような関係だ。
先に帰って合鍵で中に入った糸井は、毎回夕食を作って糸川の帰りを待ってくれている。べつに糸井に炊事を強要するつもりはないのだけど、自炊派の糸井はどうせ自宅でも作るのだからと、それは特に苦にはなっていないらしい。むしろ自分一人で食べるよりは、必ず美味しいと言ってくれる糸川に食べてもらえる方が作るモチベーションは上がるのだと、にこにこしながら話してくれた。
ちょうど一階にあったエレベーターに乗り込み、七階のボタンを押す。箱が上昇し、扉が開くのをそわそわと待って、短い廊下を急ぎ足で歩く。
「ただいま!」
玄関ドアを開けると、解錠音を察知していた糸井がすぐに奥から出てきてくれる。
「お帰りなさい」
そうしてふんわりとした笑みで出迎えてくれるこの瞬間が、糸川は何よりも好きだった。
マフラーを下げて、ちゅっとくちびるの先を触れ合わせる。すると糸井が少し驚いたように目を見開き、あたたかい指の背で糸川の頬に触った。
「外、寒かったですよね。糸川さんの周りの空気が冷たい」
「んー、晴れてるしね。今夜は冷え込んでるよ」
「今夜はおでんですよ」
「ほんとー! おでん大好き」
脱いだコートを受け取った糸井が、目を細めて笑う。
「まだ少し煮込みが足りないから、先にお風呂入ってください。そろそろお湯たまる頃なので」
「え、いいの? 何か手伝うことない?」
「あとは様子見ながら煮込むだけですから。ビール? 焼酎?」
「うーん、じゃあビールで!」
「ふふ、了解です」
糸井はキッチンへ戻っていき、糸川は脱衣所へ向かった。
湯張りが終わったばかりの浴槽で冷えた肌をぴりぴりさせながらじんわりと温まり、一週間の疲れを吐き出すようにため息をついて腕を伸ばす。
幸せだな、とつくづく思う。糸井のいる生活。糸井に愛される日々。
どれだけ愛を注いでも、糸井は少しも疎ましがらずにスポンジみたいに吸い込んでくれて、こうして糸川へ還元してくれる。そうしたら糸川はまた糸井が愛しくなって、あふれた愛はまた糸井へ注がれる。
おお、これは永久機関の完成ではないか。
図らずも大発見をした心地で、糸川はふふっと笑いながら水面を泡立たせた。
全身を洗って再度しっかり湯につかって、さて出ようかと思ったところで部屋着を準備するのを忘れていたことに気づく。裸でリビングを横切ったら糸井くんに怒られそうだなぁ、と思いながら風呂の扉を開けると、脱衣所にはきちんと糸川の部屋着と下着が準備されていた。脱いだスーツも回収されている。
(愛されてる……)
重ねてしみじみ幸せを感じて、部屋着を着てリビングに行く。ダイニングテーブルには、おでんの鍋が鎮座していた。
「着替えありがとう」
「いえいえ。はいこれ、取り皿。食べたいものどれでもどうぞ」
かぱ、と蓋を開けられた鍋が湯気を上げる。
渡された菜箸で種を選ぶと、糸川の実家のおでんとの相違に気づく。斜め切りの人参とソーセージは、糸川の知るおでんには入っていない。そしてこんにゃくはねじり糸こんで、肉は牛スジ串ではなく鶏モモだ。
「けっこう僕の知ってるおでんと違う。このへん」
「あー、そうかも。ちょっと今日のは時短仕様です。牛スジは柔らかくなるのに時間がかかるし、ねじり糸こんは短時間でも味染みがいいんですよ」
「人参とソーセージは?」
「それは……糸井家では定番なんですけど。親心かな? 少しでも野菜を食べさせたいっていうのと、子どもの好きそうな具材を入れてあげようっていう」
「なるほどー。いただきます」
「はいどうぞ」
糸川の前にビールを置きながら、糸井はにこにことおでんを口に運ぶ糸川を見つめている。
「ん! 人参美味しい! 甘いね!」
「でしょー、おでんの人参美味しいんですよ」
「ソーセージも美味しい。ビールに合うー」
「良かった、おでん種としては賛否が分かれるところだから」
糸川の反応にほっとしたように、糸井も自分の取り皿に選び取って腰を下ろした。
(賛否が分かれるところ、か)
ビールを飲みながら、食事を始めた糸井を見やる。
(……それなら、前までのきみなら、入れてもいいかどうかを事前に確認してきそうなものだけどね)
ふ、と笑みが漏れた。
些細ではあるけれど、たぶんこれも、糸井の信頼を獲得できたことのひとつの証跡だ。
「ん?」
大根に向けて大口を開けた糸井が、糸川の微笑んだ視線に気づいて眉を上げる。
「ううん、なんでもないよ」
この幸せが、二年の中断を挟んでも、ずっと続くことを糸川は信じた。
食事を終えて、少しテレビを見てくつろいで、糸井は風呂に入りに行った。
糸川は一足先に寝室へ向かったのだが、ドアを開けて、その室温の低さに驚いた。
「さっむ!」
暖房の効いたリビングとの室温差が大きくて、糸川は急いでエアコンをつける。部屋が暖まるまでの間、とりあえずベッドに潜り込んでみるが、その布団もひんやりと冷たい。
(しまったな、先にエアコンつけとけば良かった)
とにかく糸井が風呂を上がるまでに布団をあたためておかねばと、布団の中で糸川は携帯の画面を点けた。
ここから二ヶ月ほどのうちに、転勤先で住む家を探してしまわなければならない。糸川も大阪の地理や電車には詳しくないので、最近は暇さえあれば、もっぱら地図アプリと路線図と物件情報とを交互に眺めているのだ。
やらなければならないことではあるのだけど、気は進まない。自分で決めて受け入れた転勤ではあるけれど、そしてそれを糸井も応援してくれているけれど、こうして新たに暮らす場所を探すことが、つまり自ら進んで糸井から離れようとしているようで。
離れたくない。傍にいたい。なのに離れなければならない。
考えても仕方のないその葛藤に、糸川はもうずっと苦しんでいた。
しばらくすると、寝室のドアが開き、リビングの電気を消しながら糸井がやってくる。
「しかめっ面でなに見てるんですか?」
ほかほかの体が布団に入ってくるのを迎えながら、糸川は物件情報サイトを開いていた携帯を脇に置いた。
「べつに。ただのニュース」
笑って抱き寄せると、糸井がぴくっと身じろいで、糸川の左手を取る。
「糸川さん、手すごい冷たくなってる。湯冷めしちゃったかな」
「ああ……この部屋寒かったから。僕、末端冷え性で手先とか冷たくなりやすいんだよ」
「そうなんだ……」
呟いて、糸井はふにふにと揉んでいた糸川の手を自分の首筋に押し当てた。風呂上がりのしっとりした熱い肌の感触と、その下の少し早い脈。
「俺で暖とってもいいよ」
そう言って笑う糸井の瞳が、わずかに潤んでいる。間接照明だけの薄暗い部屋の中で、その潤みが光をはじく。
「……あっためて」
首筋から少し手をずらし、親指を糸井の下くちびるに引っ掛けるようにすると、糸井は口を開いてその指先をちゅうっと吸う。口内でその指に舌を絡められて、糸川の背がぞくっと震えた。
「やらしいなぁ、もう」
親指を咥えさせたまま、糸川は糸井に深く口づける。横たわって向き合った体を寄せ合うと、互いの中心は既に熱を持っていた。
「ん、んぅ」
その熱にはまだ触れず、右手を糸井の上衣の裾から忍ばせて平らな胸を撫でると、糸井は目をつぶって呼吸を乱す。
「糸井くんの服の中、あったかい」
暖をとっているだけだと、嘯いて糸川は胸をさすり、ふっくらと充血してきた小さな突起を指の腹で押しつぶすように刺激する。呼吸を荒くしながら親指を吐き出して顔を背けようとする糸井の口に、糸川は人差し指と中指を押し込んだ。
「もっとあっためてよ」
舌の真ん中をこするように、その指を小さく抜き差しすると、その動きを追うように糸井は舌を絡めてくる。疑似フェラチオのような感覚に、糸川の興奮は煽られた。
「……かーわいい」
「やぁ……」
「糸井くんの中はあったかくてきもちいよ」
「んん」
「早くもっと奥に入りたいなぁ」
耳朶に口づけながら吹き込むと、糸井がまた目を強くつぶって糸川の指に軽く歯を立てる。頬が上気していて、恥ずかしいのと気持ちいいのが綯い交ぜになっている表情がとんでもなく色っぽい。
たまらなくなって、糸井の肩を押して仰向けに横たえ、糸川はその上に覆いかぶさった。糸井の口から抜き出した手を、下着の中へ忍ばせて後孔を探る。
「あっ」
その口に触れ、少し力を加えると、指先は簡単に糸井の中に飲み込まれた。おそらく入浴中に糸井自身の手でやわらかく解されたそこは、内側までローションでとろとろに潤っている。
「すごい……こっちは熱いくらい」
「や、待っ……」
「待ったらつらいのは糸井くんの方でしょ?」
「……い、いじわる……」
困った顔で睨んでくるのも、かわいいだけなので糸川を調子に乗せる一方だ。
糸井が嫌がっていないのを確認した糸川は、二本の指で糸井の中を無遠慮に動き始める。糸井の体を知り尽くしたその動きは的確で、感じるポイントを緩急をつけて責め込まれ、糸井はあっという間に絶頂寸前へ追い上げられてしまう。
「……あ、やだ、出ちゃう……」
「感じやすくなったね、糸井くん」
「そ、そういうこと言わないでって……」
「挿れてほしくなったら言ってね、言ってくれたら挿れてあげる」
「……なんか、今日すごい、糸川さん意地悪だ」
「ん? そう?」
すらっとぼけながら、糸川は糸井の中の敏感な部分を強く引っ掻いた。
「ぅあっ!」
「……糸井くんがかわいすぎて、ちょっと腹立ってきちゃったからかなぁ」
自分で暖をとっていい、なんて。触ってほしかったくせに、そんなあざとい言い訳で誘惑してくるなんて。
(愛され慣れてきてくれたよね、糸井くん。そんなふうに言えば僕が乗ってくるって、わかってて言ってるんでしょ)
そしてまんまと誘惑されて乗ってしまう自分の単純さが、なんだか腹立たしかった。
「あ、あ、も、だめ、い、いれて。指だけはやだ」
腫れた前立腺をぐりぐりと刺激し続けられて、強すぎる性感に音を上げた糸井が白旗を上げる。その懇願に、満足げに糸川は口の端で笑った。
「うん、ちょっと待って」
いつもの収納から、ゴムとローションとバスタオルを取り出す。それらで準備をする糸川の手元を、糸井の視線が追ってくるのを見るのがけっこう楽しい。
下着をずらして取り出した屹立の先端からくるくるとゴムを引き下ろして装着するのを凝視している、糸井の期待に満ちた視線。頬を紅潮させて挿入を待っている、その欲情した表情に一番興奮する。
糸井のズボンと下着も最低限だけずり下ろして、ローションを纏わせた先端を押し当てると、糸井の襞がひくひくしているのがわかった。
「っあ……!」
侵入の瞬間は、どれだけ回数をこなしても糸井の体はそれなりの緊張でこわばる。けれど、くぷんと中ほどまでを受け入れてしまうと、今度は奥へ迎え入れようとする貪欲な蠕動が糸川を包む。
「あー、やば……」
毎回その吸い込むような動きに意識を持っていかれそうになる糸川は、抗って気をそらすために糸井に口づけた。
布団の中で、ほとんど着衣を乱さないまま、繋がった二人の動きでベッドが小さく軋む。
いつもは服を脱いでぴったりと肌を合わせて繋がることが多い二人なので、珍しく着衣のままというのが、待てなかった感があって獣っぽくて、糸川は興奮した。それは糸井も同じなのか、いつもよりも少し、感度が高い。
「は、あぁ、あ、あー……」
抑えようとしてもどうしても押し出されてしまうといった風情の、律動に合わせたかすれた喘ぎが糸川の耳元でくぐもる。それが徐々に切迫してきて、糸井は糸川の背中に爪を立てた。
「あ、いく、もぅいく、う」
涙を滲ませた訴えに、糸川はティッシュを三枚抜き取り、糸井の先端を覆う。それに許可を得たように、糸井はぎゅっと体を固くした。
「っ……、ぅ、っ……!」
吐き出された精液で、受け止めたティッシュが重くなる。その処理をしながらも、糸川は律動を止めず、ゆるく深く糸井の中を穿ち続けた。
射精したのに、身の奥で重い快感を生み続ける糸川を遠ざけたくて、糸井は苦しそうに糸川の胸を押した。けれどその両手は、手首を握られて頭の上に押し付けられてしまう。
「い……ぁ、もう、無理……」
力の入らない糸井の抵抗は弱い。それを抑えて奥を突き続けていると、苦しげだった糸井の表情が、だんだん融けたように緩んできて、半分閉じた目の焦点が合わなくなってきた。
(もう少し……)
糸井の再絶頂が近いことを悟って、糸川は律動のペースを上げる。
暑い。いきたい。でもまだもうちょっと。
自分の遂情の欲求を耐えに耐え、糸川は部屋着の背中を両手で掴んだ。そのまま引き抜いて、脱いだ部屋着を床に放る。その手でまた、糸井の両手と指を絡めた。
「あ、あ」
糸井が無意識のような声を上げ、内側がぎゅうう、と収縮する。その一瞬後、糸井の体が大きく痙攣した。
「……――っ!」
「……っう」
こうなっては糸川の鋼の精神力をもってしても如何ともしがたく、うねるように締め付ける糸井の中で糸川もようやく精を放った。
呼吸が荒れて息苦しいのに、深呼吸するよりキスがしたい。
苦しいのは同じはずなのに、のし掛かるように崩れて口づけた糸川を、糸井はちゃんと受け入れてくれた。
そのキスの合間に、ふふ、と糸井が笑う。
「……よかった」
「うん?」
何がかと問うように糸川が見やると、糸井は繋いだ両手ににぎにぎと力を込めた。
「糸川さん、指先まであったまったね」
ふにゃっと笑う糸井の笑顔に、糸川も思わず力が抜ける。
あったまったどころじゃない、こっちはじんわり汗もかいているというのに。まったく、この高性能暖房器具は。
「ねえ、やっぱり糸井くん、僕と一緒に大阪に行く気ない?」
「えー?」
「糸井くんがいないと冬が越せない」
「仕事あるし却下ー。がんばってふた冬越えてきてください」
「んー!」
胸元にぐりぐりと額を押し付けた糸川に、くすぐったそうに糸井は笑い声を上げる。
「ふた冬越えたら……ね」
笑いに紛れて落ちるのは、祈るような声。
「……うん。約束」
繋いだあたたかい指先に力を込め直して、二人はもう一度、約束を結んだ。
<END>
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