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むすんだその手を 06

 再会の日に、もう片時も離れていたくないという意見が一致してから、二人が同居の部屋を決めるまではあっという間だった。  以前は二人それぞれの勤務先への通勤の便を考慮する必要があったが、糸井が独立した今は、糸川の通勤だけを考えれば良い。家賃と周辺環境と間取りで検討して、少々古いがリフォーム済みの2LDKのマンションがちょうど空いていたのをすぐに押さえ、近くに糸井の仕事場としてワンルームも借りた。  費用を気にする糸井をよそに、とにかく早く、と糸川が引っ越し業者のサービスをフル活用。六月の末には入居が完了してしまった。 「すごい……俺ほとんど動いてないのに引っ越し終わっちゃった」  業者を見送り、家具の配置も整った部屋に戻って、糸井は室内を感心しきりで見回す。その背後で、全てを手配した糸川が得意げに笑った。 「さすがプロだよね、手際が違うよ。これで糸井くんの誕生日は一緒に過ごせるね」  急いでいたのはそれも理由の一つなのか、と糸井はやや呆れる。引っ越しに関わる費用について、見積もりから請求書まで糸井は何も見せてもらっていない。こういう費用を出し惜しんでいては何のために日々忙しく働いているかわからない、と主張した糸川がまとめて全て払ってしまった。  まあ普段から贅沢をするわけでもない人だし、何より引っ越し作業の煩雑さから解放してくれたのだから、糸井は糸川に甘えて感謝するのみだ。 「ありがとうございました。俺の仕事部屋の方まで」 「いーんだよー。貯め込んだって使うあてもないんだから」  暑い暑い、とクーラーボックスの中の飲み物を糸川が取り出す。冷蔵庫はさっき電源を入れたばかりなので、中が冷えるまでまだしばらくかかるだろう。  そのクーラーボックスの横にあるキッチンカウンターの上には、購入時よりやや大きな鉢に植え替えられたサボテンが鎮座している。過去に糸川が糸井に贈った雪晃だ。 (もう四年も前か……)  二人が出会ってつき合い始めてからもうそんなに経つのかと、振り返って糸井は感慨に耽る。そのうち二年弱は遠距離恋愛で、一年半は別れていたけれど。  それでもその間、糸井はずっと、糸川が好きだった。他の大量の植物たちを園芸店に引き取ってもらうことにしたときも、この鉢だけはどうしても手放せなかった。  それだけ想ってきた糸川と、今こうして同じ部屋で暮らせるようになったことが、まだ半分信じられないような心地だ。  一時は、もうそんなことは叶わない夢物語のように思っていたのだけど。叶ってしまったからには、そのことを伝えなければならない人がいる。 「糸川さん、あの……父に新しい住所を知らせてもいいでしょうか」  遠慮がちに糸川が問うと、糸川は意外そうな視線を糸井に向けた。糸川には実家から絶縁されたとしか話していない。 「……ああ、ええと、父だけは理解してくれているというか……ゲイだって言ったときに拒絶しないでくれたというか。引っ越ししたら、新しい住所を連絡しなさいって言われていたので」  それももう何年も前の話だ。一度何も連絡を入れない糸井に対してどうなっているのか心配するようなメッセージが来ていたが、同居の話はなくなったと伝えると、そうかとだけ言って、あとは体を気遣う言葉を送ってくれた。  父の本心まではわからないが、家族の中で唯一、糸井の性的指向に拒否反応を示さないでいてくれた人だ。 「うん、それはもちろん。連絡して差し上げて」  快く頷いて、糸川はダイニングテーブルの席に座る。そして向かいの席を示して、糸井に座るよう勧めた。 「……ちょっと、糸井くんに相談なんだけど」  糸井が席に着くと、糸川は脇に置いていた仕事用の鞄から、クリアファイルを取り出してテーブルに置く。中には、都のパンフレットが入っていた。 「……パートナーシップ宣誓制度」  小さな声でタイトルを読み上げた糸井に、糸川が頷く。 「うん。宣誓をしてもしなくても、この先きみとずっと一緒に生きていきたいのは変わらないんだけど、僕はきちんと形にしたいと思ってる。でも、糸井くんが望まないなら強いるつもりはまったくない。返事も急がないから、考えてみてほしいんだ」  とても冷静に、糸川は言ったように見えた。けれどテーブルの上で腕組みをしたその指先は固く握り込まれて、落ち着きなく親指が動いている。  糸川さん、緊張してるのか。と気付くと同時にこれが正式なプロポーズみたいなものだということも認識した。 「……その答えについては、考えるまでもないですね」  ふふ、とはにかんで糸井は頭を下げる。 「末長く、どうぞよろしくお願いします」  ずっと一緒に、と二人で何度も言い合ってきた口約束を具体化する方法として、糸井の頭の中にもパートナーシップ宣誓という選択肢は浮かんでいた。糸川もそれを望んでくれているというなら、断る理由はどこにもない。 「……よかった」  顔を上げると、糸川は目に見えてほっとした顔をしていて、けれど緩めた口元をすぐに引き締め直した。 「宣誓は、しよう。でもその前に、きみのご両親に直接、宣誓をすることのご報告とご挨拶をしたいと思うんだ」 「え……」 「きみと家族になろうっていうのに、きみのご両親に挨拶もしないなんていうのは良くないと思うから」  当然と言えば当然の流れなのだが、糸井は視線を落として表情を曇らせる。  家族から縁を切られているという事実は知られているが、その際の具体的なやり取りや経緯を、糸井は糸川にまだ話してはいなかった。自分のことだけでなく、糸川との関係や、ひいては糸川の存在まで否定するものなので、糸井も積極的に話したいわけではない。自分の身内にそういう考えの者がいるということも、あまり直視はしたくない。  でもこの先ずっと共にいるためには、互いの家族の存在は避けては通れないものなのかもしれない。 「……糸川さんに、酷いことを言うかもしれません」  危惧した糸井に、糸川は鷹揚に笑いかけた。 「気にしないよ」 「会おうともしてくれないかも」 「何度だって出向くさ」 「殴られたりしたら?」 「必要なら殴られておくよ。あまり続くようなら止めてほしいけど」  糸川の意志は固いらしく、翻意を促すのは諦めて糸井は俯いた。そして、あの年末の夜を思い出す。冷房が効き始めたばかりの部屋はまだ暑いのに、冴え冴えと星の光る屋外の寒さまで思い出せるようだった。 「……同性の恋人と一緒に住もうと思ってる、というところまでは話してあるんです」  糸井が今まで伏せてきた話をしようとしていることに気づいて、糸川はテーブルの上で糸井の手の甲を握った。 「うん」 「俺がゲイだったことが、母と弟には受け入れられなかったみたいで。……昔俺が記憶をなくしたとき、男の変質者にレイプされたせいじゃないかって噂が立って、二人はその噂から一生懸命俺を守ってくれていたそうなので、余計に。俺のことを、ゲイなんかじゃないって否定してくれていただけに、実際は守る価値なんかなかったってことを知って、ショックだったんだと思います。母は黙り込んで、弟は……すごく怒ってました」  糸井が、自分の頬をさするように触れる。 「殴られて。記憶をなくしたあのときに、死ねば良かったと言われて」  そして、少しためらって、呟いた。 「……俺も、その方がいいと思いました」  ぎゅ、と握った手に糸川は力を込めた。  あぁそうか、と納得する。再会の日、閑散とした糸井の部屋を見て感じた彼が消えてしまいそうな危惧は、きっと杞憂などではなかったのだ。  周りへの配慮なのだろう、徐々にフェードアウトという姿勢が糸井らしい。そこに時間がかかったなら幸運だ。本当に間に合ってよかった。 「そんなこともあって、家族に会うのは、ちょっと怖いというか。その前に会ってもらえるかって話もあるんですけど。……でも、この機にきちんと話しておくべきではありますよね」  気は進まないながら同意してくれた糸井の手の甲を、糸川は慈しむように指で撫でる。 「会った結果がどうあれ、僕の気持ちは変わらないから」  それだけは安心してほしいと笑んだ糸川に、糸井はぎこちなく頷いた。

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