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第32話 全力で愛してくれ3
次の日、図書室に来た相原を見て、櫂斗は驚いて固まった。
「堀内先生、これで質問に答えてくれますよね?」
ニッコリ笑った彼は、昨日は茶髪だった髪が黒くなっていて、言葉遣いも丁寧語になっている。さすがにここまでされては断る訳にはいかないので、櫂斗は頷いた。
「ってか、昨日の今日でどうやって染めたんだ?」
何となく悔しくて口を尖らせて言うと、相原は裏道使って寮を抜け出して、髪染め買ってきました、と言っている。
「相原……それバレたらルームメイトも困るだろ?」
「ああ、俺一人部屋なんで大丈夫です」
「そういう問題じゃない」
櫂斗は近くの席に座る。すると、あれ? と相原は声を上げた。
「準備室じゃないんですか?」
「生徒は立ち入り禁止だって言ったろ?」
早く座れ、と促すと、相原は櫂斗の隣に座った。なんで隣なんだよと思ったけれど、同時に課題のプリントを出したので、本当に質問なんだな、とスルーする事にした。
「それで? 質問って何だ?」
相原が座って準備ができたところで先を促す。
「……ここ。問題の意味が分からないでーす」
ふざけた風にいう相原を櫂斗は一瞥し、解説を始めた。相原はニコニコしながら相槌を打ち、プリントに解答を書いていく。彼は元々理解力があるのか、櫂斗が少しヒントを言うだけで解答までたどり着いていた。
(ふざけているようで、頭は良いんだな)
櫂斗は相原にそんな感想を抱くと、相原は次の質問、と櫂斗を見る。
「堀内先生趣味は何?」
「……それは課題の問題と関係無いだろ」
「えー? 趣味くらい教えてくれたって良いじゃないですか」
食い下がる相原に櫂斗はため息をついた。どうしたものかと視線を巡らせると、相原がシャーペンを持つ手を振る。その一瞬前に、その手が震えていたのを見てしまい、彼が見た目ほど軽くはなく、この質問をするのにすごく緊張しているんだな、と思うとあしらうことができなかった。
「……散歩と読書かな。全然できてないけど」
「へー、先生オススメの本とかあります?」
答えられるだけ答えてやるか、と櫂斗は相原の質問に付き合う。
「昨日取ってもらった本の作家は? 他の作品もオススメだぞ」
特に初期の作品は、表現がえげつないほどグロい、と櫂斗が言うと、じゃあそれ貸してください、と言われる。
「いや、ここにあるから。それ読めよ」
「じゃあ、ここに無いオススメありますか?」
どうやら相原は、櫂斗から本を借りたいらしい。別に本を貸すことに問題は無い。けれどめんどくさいな、とは思う。嫌な予感しかしなくて、櫂斗はため息をついた。
「……」
彼はニコニコしながら櫂斗の返答を待っている。
「…………分かったよ、明日持ってくる」
櫂斗はそう言うと、相原は小さくガッツポーズをした。その素直な反応に、櫂斗は苦笑する。
「じゃあ次」
「まだあるのかよ……」
質問を続ける相原に、櫂斗は口を尖らせた。相原は、まだまだたくさん聞きたいことありますよー、と笑う。住んでいる場所や血液型なども聞かれ、櫂斗はぶっきらぼうに答えていく。
櫂斗が答えてくれて嬉しかったのか、ニッコリと笑った相原の顔が、亮介と重なってドキリとした。顔は全然似ていないのに何で? と櫂斗は顔を逸らす。
「俺のプライベートな話聞いて、どうするって言うんだ……」
「え? 先生は友達とかと、プライベートな話しない?」
好きな料理は? と聞かれ櫂斗は固まった。相手は高校生だし聞かれている事も大したことじゃない。これくらいサッとかわせないのか、と頭では考えるけれど、身体が動かないし、言葉も出ない。どうしてこんなにも動揺してしまうのだろう?
「先生?」
「あ、いや……好きな料理だったな。好きかどうかは分からないけど、中華料理はよく作る」
すると相原は、意外そうに目を丸くした。
「へぇー、先生料理するんだ。今度食べてみたいなぁ」
「……」
櫂斗はまた黙ってしまう。他人をいなす事なんてしょっちゅうやってきたのに、何故か相原相手だと固まってしまうのだ。でも、嫌な予感はだんだん確信に変わっていく。
(何か、調子狂う……)
そう思っていると、隣で相原がクスクスと笑った。
「先生、可愛いって言われません?」
「……言われねーよ」
嘘だー、と相原はまだ笑っている。恋人である亮介なら言うけれど、とは口が裂けても言えない。櫂斗はムスッとした。
「じゃあ、綺麗は?」
「もっとねぇよ。課題と関係無い質問、これ以上するなら、オレは準備室に行くけど?」
すると相原は慌てて再び課題をやり始める。軽いようでいて、案外素直な相原の態度に櫂斗はホッとため息をついた。それでも彼は話したいらしく、課題をやりながら話しかけてくる。
「先生は休みの日、何してるんですか?」
「……あー……」
櫂斗は言葉に詰まった。真っ先に思い浮かんだのは、亮介とのセックスだ。いくらなんでも、それを正直に話す訳にはいかない。
「ダラダラ寝てる事が……多い、かなー……」
誤魔化すように言いながら、櫂斗はやっぱりまずいな、と思う。質問の回答が、亮介やセックスに繋がる確率が高いからだ。
生徒の模範であるべき教師が、休みの日には別の事を身体に教えこまれていると知られたら、学校にはいられなくなる。
そう考えたらゾクゾクしてしまった。
(くそ、何で亮介いないんだよ……)
亮介がいない一ヶ月間、禁欲するなんてことはしないけれど、一人で性欲処理するのは虚しいものがある。
櫂斗は長く息を吐いて、思考を落ち着かせた。
「先生? どうしたの?」
「えっ? いや……。ほらここ、漢字間違ってるぞ」
話し掛けられて慌てた櫂斗は、誤魔化すように相原の誤解答を指摘する。ホントだ、と相原は訂正した。
「でも先生、寝てる事が多いって意外。デートとかしないの?」
「……その言い方だと、デートする相手がいる前提じゃないか」
「え? いないの?」
しまった、と櫂斗は内心舌打ちした。自ら墓穴を掘ってしまったようだ。
視界の端で、相原は両手をグッと握りしめたのが見えた。櫂斗はまずい、と彼が話す前に喋る。
「デートなんてめんどくさい事したくないんだ。女だってめんどくさい」
頼むから引いてくれ、と櫂斗は心の中で願った。自惚れかもしれないけれど、十中八九、相原は櫂斗の事が好きなのだろう。でもここは先生という立場上、断らなければならない。何より、櫂斗には既に亮介という恋人がいるのだ。
「男は……?」
相原の震えた声がした。櫂斗は思わず息を詰める。
「男なら、理解し合えることろがたくさんあります」
「相原、それ以上は言うな」
「どうして? 先生と生徒だから? 男同士だから?」
相原の力がこもった声に、櫂斗は思わず辺りを見回す。しかし、誰も二人の会話に気付いた人はいなかった。
「周りの目が気になりますか? 俺はそれがどうでもいいくらい、先生の事が好きなんです」
ずっと近付きたかったと言われ、櫂斗は内心頭を抱える。
彼の顔が見られない。けれど、彼はじっと櫂斗を見つめていた。
どうしよう、断るのは当たり前だとしても、素直に引き下がってくれるだろうか?
櫂斗は大きく息を吸い込んだ。
「相原……ごめん。気持ちは嬉しいけど……」
「付き合えないですか?」
櫂斗は頷く。
「どうして? デートする相手、いないんですよね?」
理由を教えてください、と相原は食い下がった。
「……」
櫂斗は本当の事を言うべきか、迷った。しかし相原に話して、そこから噂を立てられるのが、怖い。
「相原……」
「はい」
「お前は男子校という狭い世界の中で、疑似恋愛をしたいだけだ。外に行けば、もっと良い人なんていくらでもいる」
相原が息を飲むのが分かった。そして、そろそろと息を吐くのも。
「初めて先生を見た時、綺麗な人だなって思ったんです」
相原は緊張で震える声で語り始める。
櫂斗の授業が受けられなくて残念だと思っていたけれど、図書室によくいることが分かって、相原も読書が趣味だから嬉しかったと言う。
櫂斗を見ているうちに、生徒には優しいし、授業も分かりやすいという噂を聞いて、ますますもっと知りたいと思い始め、夏休みの講座で実際授業を受けて、理想の先生だと思ったと言うのだ。
「ちゃんと先生としての立場を取りつつも、生徒に寄り添おうというのが肌で感じられて、笑っている顔が可愛いと思ったり」
相原は視線を落とす。
「憧れから、恋愛感情になるのはおかしいですか? これでも先生は俺の事、疑似恋愛だと言いますか?」
櫂斗はため息をついた。櫂斗の思った以上に、相原は本気だったらしい。
そして、こんなにもストレートで、純粋な気持ちを向けられたのは初めてだったので、櫂斗もどうしていいか、分からなくなってしまう。
「……オレは相原が思う程、できた人間じゃないよ」
櫂斗は苦笑した。相原と同じ歳の頃は、ゲイだということをひた隠しにし、母親の機嫌をとり、汚名を返上すべく、イメージのいい教職を目指して受験勉強をしていた。そんな経緯で教師になった櫂斗の、どこが理想の先生なのだろう?
「何でですか? 先生、さっきから俺の質問に答えてくれてません」
「……とにかく付き合えないし、諦めてくれ」
櫂斗はそう言うと、立ち上がって準備室に向かい、ドアを閉めた。
櫂斗は逃げたのだ。
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