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8オメガの喜び
フェロモン抑制チョーカーが届いたのは、シグラがルジェとのデートを終えて戻ってきた頃だった。
クガイが大きな段ボールで届いたそれをシグラの部屋に運び、そこから二人で数量の不備や不良品はないかと一つ一つ目視で確認を始める。クガイはずっと「めんどくせえ」とぶつぶつ言ってはいたが、なんだかんだと丁寧に確認してくれていたから、シグラも特に咎めたりはしなかった。
そうしてすべての作業が終わったのは夜だった。
のんびりと作業していたからか、気が付けば半日を費やしていたらしい。
「ストレスだ」
翌朝。
しょんぼりとした顔で目を覚ましたシグラに、クガイが楽しげに笑いかける。
「たった1日の作業でそんな」
「僕は細かな作業が苦手なんだよ……」
「その割には真面目に検品してましたね」
「まあ……欠陥があれば困るのはレシアたちオメガでしょ。僕はオメガの味方なんだよ」
オメガバースにおいて、いつも不憫なのはオメガである。漫画を読んでいたときからずっと、シグラは「もっとオメガが救われる世界はないのか!」と涙を流しながら悔しい思いを噛み殺していた。
正直アルファは勝ち組だからどうでもいい。勝ち組は勝ち組なりに――もしかしたらルジェのような「バース性でしか見られない」という悩みはあるのかもしれないが、それよりもまずはオメガの問題である。
さらに言えばオメガは謙虚だ。心が綺麗で、いつだって相手のことを思っている。そんな姿にも胸を打たれて、シグラはどうしても彼らを助けたいと思っていた。
「ところでシグラ様、今日は1日予定が空いてますが」
「……というか僕って毎日何して過ごしてたの?」
「まあおおよそ婚活っすね。伯爵家の名前を使って強引に約束を取り付けてはいろんな人とデートしてましたよ」
「はー……それは暇になるはずだよ……」
いまだベッドで横になっているシグラは、起き上がる様子もなくまだ脱力している。
「今のシグラ様は婚活しないんすね」
「まあね。僕、”結婚”ってこともあんまり分かってないから」
「そこから……」
顎に手を置いて考える仕草を見せたクガイは、しかしすぐにニヤリと笑う。シグラはその表情に気付かない。ぐったりとして目を閉じていたから、ベッドが揺れてようやくクガイのほうを見た。
本来であれば主人のベッドに上がるなど執事の行動としてはありえないことだ。しかしクガイの雰囲気がそう思わせるのか彼がそれをするとまったく違和感もなく、シグラも特に何も思うことはない。ただ自身の上に居るクガイを見て、不思議そうに目を瞬くばかりである。
「じゃあ、エロいことは?」
「僕は気持ちいいことが好きだよ」
「ですね。流されすぎっすよ」
唇が重なると、シグラは抵抗もなく受け入れる。口を開いて舌を誘い、自身を脱がせているクガイのベストをなぞるようにするりと脱がせた。
枕とクガイに挟まれて、シグラはまったく身動きが取れない。
熱が近い。たくましい体がシグラを押さえつけている。その閉塞感にさらに体が昂ると、シグラは積極的に舌を伸ばしていた。
「……んっ……クガイ……」
「もう勃ったんすね。……すっかりエロい体になって」
気持ちの良いキスに溺れながら身を任せていると、気がつけばシグラは何も身につけていなかった。
クガイの手が直接肌に触れる。それに一度びくりと体が跳ねたが、拒絶もなくキスを続ける。その手は体をじっくりと撫でて、やがて下に向かった。ほんのりと勃起したそこである。
「……シグラ様、キス好きですね」
「んー……落ち着く……」
触れられながらも、シグラはずっと舌を絡めていた。クガイの首に腕を回して、離れないようにと抱きしめている。そんなシグラの要望に応えるように、クガイもキスを止めることはない。
クガイの手がシグラの中心に触れると、焦らすようにゆっくりと先っぽを撫でていた。それにもどかしい快感を覚えて、シグラからは甘やかな声が漏れる。
「……ん、どうすっかなぁ……」
「あ、んぅ、ク、ガイ……もっと……」
「はいはい。こんなときばっか甘えて……可愛いけど、最後まですると止めらんねえし……」
ひとまず射精をさせるかと、クガイの手がシグラを追い詰める。
しっかりと勃起したそこに指が絡み、淫猥な動きで快楽を引きずり出されると、シグラの腰も大きく揺れた。
濡れた音だけが室内に漂う。ぬちゅぬちゅと粘着質なそんな音を聞いていれば、キスをされて動けないままのシグラの快楽も一気に駆け抜けていく。
クガイは貪るようなキスをする。それに身を任せているとシグラはいつもボーッとしてしまって、わけも分からないくらい気持ちよくさせられるのだ。
「あっ、いれ、挿れて、クガイ、ナカ……」
「だめ、まだ朝ですから」
「ん、いや、したい……挿れて、気持ちぃ」
「挿れたらシグラ様、1日動けなくなるんすよ」
シグラの膝が震えて、射精感が這い上がる。逆らうことなくその感覚に身を委ねるのと、部屋の扉がノックされるのはほとんど同時だった。
「……あっ……ん……!」
「シグラ様は着替え中っすよ。何の用ですか」
「旦那様がシグラ様をお呼びです」
ベッドの上で脚を開き射精の快楽に体を震わせるシグラは、ぼんやりとする思考の中「旦那様」と言われてようやく現実に戻ってきたようだ。
快楽に溺れたように目尻は垂れたままだったが、クガイが離れるのを見てのそりと体を持ち上げた。
「……父……父が僕に何の用なのかな……」
「そりゃあらしからぬことをいろいろやってますからね。お見合いした三人全員にお断りの手紙出すとか、最近ではまったく婚活もしてませんし、積極的に外に出るわけでもない。挙句あれ。フェロモン抑制チョーカーなんて取り寄せて……うちの息子に何があったんだって変貌ぶりに驚いてんすよ」
「そんなに変わった?」
「変わりすぎってくらいには。……少なくとも、俺の知る限りシグラ様は誰かに甘えるようなことはなかったんで」
そう言われても実感が湧かないのは当たり前のことである。
以前のシグラはどれほど男にがっついていたのかと、思うのはその程度のことだった。
「シグラ様、失礼いたします。旦那様がお呼びですので着替えを……」
「あ、レシア、おはよう」
「お、え? その格好……ヴィンスター!」
「うるさいな。合意だっつの」
ベッドに腰掛けたシグラは、その腹に散った白濁をクガイに甲斐甲斐しく拭かれているところだった。
「またあなたは……シグラ様。そういったときは私をお呼びください」
「おい何ちゃっかり売り込んでんだよ」
今日の着替えを持ってきたレシアが、クガイの隣で呆れたように眉を下げる。
そんなレシアを見て、シグラは突然「あ!」と大きな声を出した。
「レシアあれ、チョーカー。昨日届いてさ、しっかりチェックも終わったから」
「…………え。ああ……本当に……取り寄せたんですね……」
「まあ一個付けてみてよ。効果はクガイの鼻で試そう」
「それで煽られたとき抱き潰されんのはシグラ様ですからね」
「どんとこい」
「はぁー……」
シグラとしては願ったり叶ったりである。そんなシグラを見て深く長いため息を吐き出すと、レシアによって着替えが始まったシグラを置いて、クガイはひとまずチョーカーの一つを取りに離れた。
「それにしても、なぜあんなに多く取り寄せたのですか?」
「……この屋敷、オメガはレシアだけなの? それ知らなかったから一応ね」
シグラの何気ない言葉に、レシアゆっくりと目を見開いた。
――実は、オメガはレシア以外にもあと数名ほど居る。みな気付かれないように、使用人同士が団結して必死にその事実を隠していた。
発情期 の関係上、オメガには勤め先がほとんどない。オメガに理解のある職場も少なく、だいたいのオメガはそのバース性を偽っている。レシアがこの屋敷に来れたのは偶然で、そして運よく周囲にも恵まれた。レシアは周囲に支えられながら、そして就活に苦しむオメガの採用にも手を出していたのだ。
アルファ至上主義であるこの屋敷でオメガとして働くなんて、リスクはかなり高かった。それでもレシアが辞めなかったのは、オメガとしての意地と矜恃があったからである。
「……私以外にも……数名、おります」
「あ、やっぱり。それじゃあひっそりチョーカー配っておいてよ。たぶん襟で隠れるくらいだと思うし。仕事中でも付けられそうなものにしたからさ」
ありがとうございます、という言葉は、かすれてシグラには届かなかった。シグラはすっかり興味もないのか「それにしても父が僕に何の用事なんだろう……」ともはや次のことを考えている。
クガイが戻ると、レシアにチョーカーを一つ渡す。それを受け取ったレシアは、珍しくも情けない顔をしていた。
「ほら付けろよ。俺がチェックしないといけねえんだから」
対してクガイは心底嫌そうな顔をしていた。クガイはレシアと仲が良いわけではない。あまり関わってこなかったし、レシアがアルファを好いていないからレシアからのあたりが強く、積極的に親しくなりたいと思える人物ではなかったのだ。
「ほらシグラ様、俺が着替えさせますよ。あいつチョーカーつけるんで」
「うわ、びっくりした。んむ」
驚いて見上げたシグラに、クガイはすかさずキスをする。触れるだけのものを数度繰り返すと、満足したのかすぐにタイを締めていた。
そんな二人をぼんやりと見つめて、レシアは自身の手にあるチョーカーを見下ろす。シンプルなデザインのものだ。襟に隠れる喉から下を五センチほど広範囲に隠すようになってはいるが、素材が柔らかなために拘束感はなさそうだった。
おずおずとそれを付けてみる。やはり苦しくはない。うなじを隠すことで安心感が生まれて、心のどこかにあった危機感や焦燥が少しだけ消えた気がした。
「それ、オメガの匂いを相殺する成分が含まれてるんだって。定期的なメンテナンスは必要だけど、たぶんしばらくは大丈夫じゃないかな。ほらクガイ、ちょっと嗅いできて」
「げぇ……なんで俺がこいつの匂いなんか……」
不満をたれながらも、クガイは大人しくレシアの首筋に鼻を寄せる。
「……んー……確かに。つか、ここまで近づかないと分からないって結構すごいことっすよ」
「そうなの? やったじゃんレシア。ほかの在庫と一緒にチョーカーの管理任せていい? もちろん配ってもらっていいから。ほら、僕細かい作業苦手で」
「検品作業だけでぐったりしてましたね」
「二度としたくない」
うんざりとした様子のシグラに、レシアは思わず抱きついた。クガイがちょうどベルトを締めていたところである。
「わあ! 何!? やっぱ管理は嫌だった!? でも僕本当に細かい作業は自分ではやったことなくていっつも”力”に頼りっぱなしだったっていうか、」
「ありがとうございます。シグラ様」
オメガが普通に働くなんて馬鹿馬鹿しいと笑われてきた。就活をしても全然うまくいかず、せめてベータになってから出直してこいとは何度も言われたことである。面接の時点で体を求める者も居た。オメガだからと性の対象にしか見ない者ばかりだった。
だからこそレシアは今こうしてオメガに気遣った物を配布されることで、オメガも普通に働いて良いのだと初めて認めてもらえた心地になれた。
「ありがとうございます」
もう一度繰り返して、今度は唇にキスを落とす。クガイだけはつまらなさそうにそれを見つめていたのだが、やがて「早く着替えますよ」と、すぐにレシアを引き剥がしていた。
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