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9父と息子
「僕の父ってどんな人なの」
父の居る一室に向かう道すがら、シグラはひっそりと隣に居るクガイに問いかける。前を歩いているレシアには聞こえていないようだった。
「あー、まあ厳しい人っすよ。笑わないし甘くもないし。奥様は朗らかな人でしたけど、だから上手くいってたんでしょうね」
「……母は?」
「体が弱く静養が必要ってことで、別荘のほうに住んでます。去年からでしたかね」
「…………ふーん……」
去年のことなんて今のシグラには分からないから、何とも言えないリアクションしかできなかった。
しかし死んだわけではないのなら大丈夫かと気楽に構える。バラバラにされたり肉塊になったりしていない限りは人間は再生可能であることを彼 はよく知っているのだ。
やがてとある部屋の前で足を止めたレシアは、中と二、三度やりとりをして、すぐに扉を開く。クガイもその場から入るつもりはないのか、動きを止めてシグラの背を軽く押した。
「……遅い」
扉が閉まると、すぐに固い声が届く。少し怒っているのかもしれない。なんで少しくらい待てないんだよと思いながらも、シグラはソファに座る男の元に歩み寄った。
「何の用?」
言いながら正面に腰掛けると、男はピクリと眉を揺らした。
実の息子というシグラから見ても、その男はずいぶん整った顔をしていた。歳は50を過ぎた頃だろうか。シワが深く刻まれているが、それが渋みを増して色気を演出している。シグラと似ている部分と言えば金髪と碧眼くらいのものである。どうしてこの遺伝子があるのにまったく似なかったのかが不思議なほどだった。
「その目はどうした」
「目?」
「色が違う」
まるで責められているように思うのは、その雰囲気のせいだろう。シグラの父はまったく隙のないオーラをまとい、鋭い目でまっすぐにシグラを見つめている。
「あー……まあ、ある日起きたらこうなってたっていうか……」
「報告は受けている。最近、結婚相手を探すことをやめたらしいな。側に置いているのもあの隣国のスパイだったか。人が変わったようだとも言われているようだが」
ある種何かの確証があって言っているのか、父の目はまったく揺らがなかった。やはり父親にもなると、さすがに息子の変化には気付くものなのかもしれない。特に中身が丸ごと変わったともなれば違和感を覚えて当然である。
見た目は身内なのに中身は他人なのだ。きっと雰囲気もまったく違うのだろう。
「何が言いたいの?」
「……おまえは私に対して、そんなふうに気さくな子ではなかった。母が倒れた頃からずっと気を張って、母が元気なうちにと結婚相手を見繕っていたな。しかし私にも、兄にも頼ることはしない。……おまえが気さくに接するのは、母だけだったと記憶している」
「……”シグラ・ローシュタイン”は、みんなから嫌われていたって聞いたよ。25にもなって必死に婚活してるから笑われ者だったってさ。そんなふうに言われてる人が、あなたみたいに隙のない人に頼み事なんかできるわけないじゃん。それも婚活のことって……余計親に言いにくいよね。歩み寄らなかったのはシグラなの? それともそっち?」
「……きみは、誰かな?」
父の目がスッと細くなる。しかし怒っているわけでも、責めているわけでもなさそうだ。
「名乗るなら先にどうぞ」
「私はギリス・ローシュタイン。ローシュタイン伯爵家の当主だ」
「僕はシグラです。残念ながら、その名前しか知らない」
シグラが名乗らないことにも、ギリスが怒った様子はない。
厳しいのは顔つきと雰囲気だけなのか。シグラが足を組んで座り直しても気にした様子はなかった。
「シグラは、アルファ至上主義のローシュタイン家にベータとして居辛くなったから、せめてアルファの相手を探して婚活をしてるって聞いたんだけど」
「それは相手を選ぶ基準の話で、結婚相手を探している理由ではない」
「……それで、僕を呼んだ理由は?」
「シグラはどこに居る」
ギリスの瞳がそこで初めて、責めるような色を宿した。
「あれはベータだが私の息子だ。誰とも知らない男と家族ごっこをするつもりはない」
なんだかんだ息子のことは大切に思っていたのかと、シグラはなんとなく安堵した。
やはり「ローシュタイン家が従う」と言っていたのはただの親の愛情だったということだろう。周囲はギリスの人間性を見て裏を探っていたようだが、この口ぶりからしておそらく裏はない。
本人が居なくなってからそんなことをしても、まったく意味はないというのに。
「……申し訳ないけど、それは知らない。僕は勝手にここに飛ばされただけだから。……もしかしたらシグラも、別の幸せな世界で生きてるのかもね」
「……幸せな?」
「嫌だったんでしょ、この世界が。母親しか味方が居ない、婚活を頑張ってもうまくいかない、嫌われて笑いものにされて、ベータってことをずっと負担に思って生きて、それでも負けないように頑張っても何一つ成果なんか出ない。僕なら嫌だよ、そんな人生。逃げたいって思うに決まってる」
「死んだわけではないのか?」
「さあ、どうだろ。僕は死んだ後に来たけど、全部がそうとは限らないんじゃないかな」
シグラは呑気にあくびを漏らす。それをじっと見ていたギリスに気付いたのか、シグラはすぐに嫌そうに顔を歪めた。
「さっきから見過ぎじゃない? そんなに息子の顔が珍しい?」
「いや……シグラが気を抜いている顔というのを初めて見た。こんな感じなのか」
「ふぅん。……まあ、こっちの世界にシグラを戻す方法があるなら、探しておいてあげる」
「……いいのか?」
「いいよ。結構楽しんでるし」
男同士の恋愛はまだ見れていないが、セックスは前の世界で生きていたときよりも気持ちが良かった。できればこれから目の前で男同士のじれじれ恋愛を展開してほしかったが、父親がシグラを望むのであればわがままも言っていられない。もしかしたらシグラを戻す方法を見つける前にじれじれが見られるかもしれないから、そうなることを願っておくしかないだろう。
「……そうだ。オメガ用のチョーカーなんだけど」
「あれは何だ。なぜあんなものを大量に注文した」
思い出したのか、ギリスはすぐにじろりとシグラを睨み付ける。オメガに何か恨みでもあるのか、恐ろしいまでの目つきだ。
「あれは従業員用。ここの使用人に数人、オメガが居るから」
「なっ……!」
採用は使用人だけで行っていた。古株の使用人ばかりで、ギリスの意向も分かっていたはずである。
まるで裏切られたかのような感覚に、ギリスはさらに渋い顔をする。
「全員クビにする……!」
「いいよ、クビね。じゃあ僕も出て行こうっと。で、オメガちゃんたちだけのお屋敷作って、そこで毎日婚活パーティー開いてあげるんだよ。そしたらほら、オメガちゃんたちはハッピーだし、僕も生BLが見れてハッピー。婚活だからオメガちゃんに会いに来てくれた相手もハッピーでみんな幸せ。正直僕はシグラじゃないからこの屋敷に居る理由もないしね。思い入れも情もないから、身一つでも出ていける」
引き抜きでクガイだけは連れて行こうかなと、そんなことを考えながらシグラは立ち上がった。
クガイが居なければ気持ちの良いセックスを誰もしてくれなくなる。世話をしてくれる人も欲しいと思っていたから、ひとまずはクガイとレシア、そしてこの屋敷に居る数名のオメガを連れて引越しをしよう。
そこで地盤を築き、やがて盛大なパーティーを開くのだ。
シグラの頭の中はすでにこれからのことでいっぱいだった。表情にも出ていたかもしれない。しかしギリスには背を向けているし、気持ち悪く思われていることはないだろう。
部屋を出るかとノブを掴んだところで、背後から「待ちなさい」と落ち着いた声が追いかけた。
「……出ていくことはない。きみがシグラに戻ったとき、大変な思いをするのはシグラだ。……その間だけはオメガの存在を認める。あのチョーカーも良いものを選んだようだしな」
「えー……いいのに、気を遣わなくて」
「後のシグラのことを考えろ」
まあ、確かに。
本当に戻れる方法があるのかは分からないが、何かの拍子にころっと元に戻って混乱するのはシグラである。きっとBLになんか興味のないシグラは、どうして自分の結婚もまだなのに人のことをしなければならないのかと怒り狂うに違いない。屋敷やパーティーの運営を放棄されては、今度は集められたオメガたちが可哀想なことになるだろう。
無職の人間を増やすのは本意ではない。シグラのことはともかくとして、そこに巻き込まれた人たちが無職になったり宙ぶらりんにされるという可能性だけは、さすがに見て見ぬ振りはできなかった。
「はーい……」
「兄にも事情を伝えておく。あまり派手に動くな。見合いで会った三人には断りを入れておけ」
「断ったけど絡んでくる場合は?」
「…………適当に相手に合わせて断れ」
「はいはい」
けれど残念ながら、ゼレアスとは狩猟の約束があるし、ルジェとも犬を見る約束がある。後一回はどちらとも会わなければならないから、その次からは約束を取り付けるなということか。
新しい世界に来て知らないことばかりで楽しかったのだけど。……狩猟をするのも犬を見るのも、一回できただけでも良かったと思うべきなのかもしれない。
部屋を出ると、すぐそこにクガイとレシアが立っていた。二人とも落ち着かない様子で、シグラが出た途端に心配そうにシグラを見つめる。
「……え? 何? 大丈夫だったよ。というか部屋に戻ろうよ、疲れたー……」
いつもの調子で肩を落としたシグラを見て、二人はようやく安堵したように微笑んだ。
部屋に戻ると、レシアはさっそくチョーカーを配ると言って、はりきって部屋を出て行った。自身がつけて安心感が増したからこそ共有したかったのか、少し興奮気味だったようにも思う。
シグラはそれを見送ると、ぱたりとベッドに身を投げる。どこかぼんやりとしているようだ。
「シグラ様、どうしたんすか」
ベッドの縁に腰掛けたクガイが、シグラの頬を撫でながら問いかけた。
「んー……シグラってさ、意外と好かれてたんだなって」
「旦那様と何かあったんですか」
「うん。バレてた。僕がシグラじゃないって」
「あー……まあ俺でも気付いたくらいだし、あの人はそもそも鋭い人っすからね」
クガイは納得したように笑うと、シグラの髪を耳に引っ掛ける。
「……シグラはきっと、見えてる世界が狭かったんだね。一生懸命いろんなことを頑張ってたみたいだから、きっとその部分だけは周りの人間も評価していたはずなのに」
「どうなんすかね。俺は関わってもなかったからあんまり知らないんすけど……そんなこといきなり言い出すと不安ですね。もしかして”シグラ様”をやめたくなった?」
ギッ、とベッドが揺れる。片手でシグラの体を跨いだクガイは、幾分冷ややかにシグラを見下ろしていた。
「……やめたくなった、か……そうじゃないけどね。ちょっと嬉しかったかな」
「ふぅん……」
何を思っているのか、目を細めたクガイは、一度考えるような間を落とす。感情は読めない。そもそもシグラはマイペースだから、他人のことを伺うことは得意ではないのだ。
数秒の後、クガイはゆっくりと体を倒すと、触れるだけのキスをした。
「ん……するの……?」
「する。最後まで。いいすか」
「うん」
おかしな様子のクガイを不思議に思う間も無く、口付けが深く変わる。
舌が絡んで、唾液が溢れた。何度も角度を変えては吸い上げて、シグラの体も熱くなる。
唇が頬にキスを移す。そうして輪郭から首筋へ、そうして鎖骨へ――クガイはしっかりとベッドに上がると、全身にキスを落としながら、手際良くシグラを脱がせていく。
「……クガイ……後ろ、触って」
すべてを脱いだところで、シグラはすぐに脚を開いた。
実は、初めてセックスをした日からずっと、奥がうずいて仕方がない。初めて以降もたくさんセックスをしたかったのにそんな機会もなくて、ずっとお預け状態だったのだ。
「まだですよ。トロトロになってから」
「あっ……ん」
首筋に噛み付かれたかと思えば、鎖骨に、肩に、クガイは今度、噛み跡を残している。少し様子が変だとは思ったけれど、こうして乱暴にされるのも悪くはないために、シグラは新しい快楽に身を震わせるだけだった。
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