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エピローグ
「ん……」
やけに大きな小鳥のさえずりで目が覚めた。そういえば最近、部屋換気扇に鳥の巣ができていたっけ。
……近々なんとかしなければいけないな。
そんなことを考えながら、まだ完全に開ききらない瞳を擦り、ベランダに続く窓のカーテンを開けた。
「……っ」
昨夜も遅かったためか朝一番の日差しはキツい。続いて窓も少し開けてから部屋をでた。
棚からカップを1つとりだしてコーヒー豆をドリップにかけ、テレビをつけて、パンをトースターにセットした。
そこで時計の針が7時をさす。
……ああ、仕方ない。そろそろ時間だな。
苦笑しながら立ち上がろうとしたとき、ちょうど扉の開く音がした。
「……はよ」
「おはよう」
大きなあくびをしながら入ってきたのはまだ眠そうな顔。
帰ってきて早々寝てしまったので、着ていたシャツはぐしゃぐしゃだ。
「顔、洗ってこいよ。パンでいいか?焼いといてやる」
「……ぁー……、……いい、自分でやっから……」
「昨日遅かったな」
「ああ……スープの作り方を教えてもらっててさ。マジ、眠ぃ……つーか、いけね!今日も早くこいって言われてたんだった!」
寝呆けた顔が途中から色を変えて、慌てて洗面所に向かっていく後ろ姿を俺は笑って見送った。
ーーこうしてこの家に帰ってくるのは3週間ぶりだ。
相変わらずあちこちで試合があるし、それに加えて取材やら余計な仕事も増えてきた。もうじき大事な試合も控えているから仕方ないことだけれど。
でも合間をぬってこの家には帰るようにしていた。
俺とヒナのこの家に。
高校時代を過ごした地元。大通りからはずれた場所にある神社、そのそばにある5階建、小さなマンションの一室。
ヒナのバイト先からも少し離れているこのマンションに、俺たちは部屋を借りていた。もっと条件のいい物件もたくさんあった。もう少し市街地にでれば新築の大きなマンションなんていくらでもある。
けれど、ここは俺とヒナの始まりの場所だったから。
だからこの場所を選んで部屋を借りた。あの時のあの気持ちをいつまでも忘れたくはないから。
あのあとすぐ、ヒナは試験に受かって資格をとった。
すぐに違う職場に移ると思いきや、まだあのラーメン屋を続けていた。スープの作り方を伝授してもらったら、今度はイタリアンレストランに勤めたいと張り切っている。なんでもいろんな経験を積みたいそうだ。前向きな目標はいかにもヒナらしい。今のヒナは楽しそうだ。いや、ヒナだけじゃない。俺も。
「イヅル!ちょっともう行くわ!」
「食ってかないのか?」
「ああ。あ!コーヒーだけ飲む!……悪いな」
「そのくらい気にすんなよ」
2人分作っておいたコーヒーメーカーに手をかけて、カップに注いでやる。バツが悪そうにヒナが席について小さく礼を述べてコーヒーを飲みだした。
ヒナはまだ『依存しない関係』にやけにこだわっている。理由はヒナの中で、まだ俺とヒナは対等ではないから…らしい。
『とりあえずの目標は叶ったけれど、俺はまだまだだ。お前の負担になりたくないから、甘やかさないでくれ』
ヒナの言葉通り、ここの家賃は半分ずつ。例えば朝の目覚し代わりなんかもそれだ。ヒナは朝が弱い。以前は起こしてやっていたのだが、それすらも気にしていたようで。だから今日もギリギリまで声をかけずにいたのだが。
でも、そんなことはどうでもいいと思ってしまう。一緒にいるだけで幸せなのに。
何度か伝えたけれど、その都度叱られてしまった。だからもう口にだしては言わないけれど。
「イヅル?もう行くぞ」
「ああ」
軽く笑っていると不審そうにヒナが覗きこんできた。ヤツの後に続いて、玄関まで見送りにいく。
狭い廊下にしゃがみこみ、スニーカーの紐を結びながらヒナがボソリと呟いた。
「お前……今度いつ帰ってくんの?」
「んー……2週間後かなぁ?」
「ふーん……」
「ヒナ?……っ!」
「……行ってきますっ」
唇が触れたのはほんの一瞬。
慌てるように片足の踵を踏みながら、大きく開けたドアの外へヒナが飛び出していった。
……いつもこの家に帰ってきている時には俺がしてることだ。なのに、逆にされると何故か照れくさい。
「はは……」
小さく笑って、もう誰もいないドアの向こうに手を振った。
俺ももう出かけなければならない。これでまたしばらくは会えない。
ーーけれどもう、不安になったりはしない。
『お前<俺>は俺<お前>のHERO<唯一>だから』
それだけはきっと、ずっと、変わらない。
どんなに好きになっても、これほどまでに焦がれるのは、お前しかいない。
偶然なんかじゃない、運命だったんだ……そう思わせるほどの唯一の存在。
ヒナ
いつまでも一緒にいよう。
何があっても絶対に俺はここに戻ってくるから。
毎年正月には欠かさずにあの神社に行こう。
『この幸せがずっと続きますように。』
……あの時の願いを叶えていくために。
これからいくつもの試練があるかもしれない。
でもお前と一緒ならどんなことだってできる気がするんだ。
アパートをでる前にテーブルにメモを残した。
たった一言を書いた紙の上にはボールペン、それと……
ポケットから裸のまま取り出したモノ。ソレの一回り小さめの方を紙の上に乗せた。
銀色の緩やかな細いカーブが、光に照らされてキラキラと輝く。
反応が見れないのは残念だけれど仕方がない。
玄関のドアを開けると、眩しいくらいの晴天だった。でも、もうそこにアイツの顔は浮かんではこなかった。だって、もう記憶の中なんかじゃない。
……今はその笑顔がすぐ隣にあるのだから。
『……なんかさ、俺、お前とはずっと前から友達みたいだった気がすんだよな。』
『あ、俺も思った。なんだろうな、これって』
『うーん……運命、ってヤツ?』
『なんだソレ!気持ち悪ぃ!!』
『あはは』
『でも……なんかそれ、ちょっとわかるな。出会いってみんな運命だよな。あ、飛行機雲!』
『アハハ!お前何、願ってんだよ。それ流れ星だろ』
『飛行機雲も流れりゃ一緒みたいなもんだろ!』
『全然違うし。つーか何願ったんだよ』
『あ、今お前だって一緒になって願ったじゃん』
『俺のは別に言ってもいいけど。つーか一緒に言うか?』
『う……まあ、いいけど』
『じゃあ……せーの』
ーーずっとこんなふうにいられたらいいな
「……」
見上げた空のあまりの晴天に浮かぶ飛行機雲を見て、急に思いだした。
出会ってまだ間もない頃。いつもの中庭に続く渡り廊下で壁にもたれながら、意味もなく空をみていた日。何気なくみつけた飛行機雲をみて話した言葉。それに気づいて笑ってしまった。
紙に書いた言葉……それは出会った頃抱いた気持ちと同じものだったんだ。
間違えたり、すれ違ったりしたけれど、あの頃から俺たちの気持ちはいつも同じだったんだな。
ーーお前とずっと一緒にいたい
あの時のような飛行機雲。
それにもう一度願いを込めてから、俺はアパートの階段をかけおりていった。
END
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