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後編
中学校に入ると、成長期に入ったらしい亮治の体はみるみる大きくなった。
俺よりずいぶんと小さかったはずの身長は1年生を終える頃には並び、2年の夏には当たり前のように追い越されていた。
別に俺が特別小さかったわけじゃない。
人並みに成長期を迎えたし、人並みに身長だって伸びた。
ただアイツが人並みじゃなかっただけだ。
おそらく中学の3年間で30cmは伸びただろう。
制服の裾を出してやるだけじゃ間に合わないと亮治のお母さんは頭を抱えてたっけ。
人並み外れてたのは、身長だけじゃない。
その身体能力ってやつも桁外れだった。
所属していたリトルリーグ自体は3年間で最高成績が全国大会ベスト4止まりだったものの、エースナンバーを背負った亮治の球速は体の成長と共にみるみる伸びていき、最後の試合では時速140kmを軽く超えるストレートを武器にできるまでになっていた。
バッティングでも5番を任され、得点圏打率は出場選手中断トツの1位とチャンスに圧倒的に強いメンタルと技術を見せつけた。
となると当然、中学卒業後の進路が話題になる。
実際アイツの所には関西屈指の強豪校や東北に初めて夏の大会優勝旗を持ち帰った高校など、私立の雄と呼ばれる学校から推薦入学の話がわんさか来ていた。
またわざわざ県外に出なくても、うちの県にも古豪強豪、野球で有名な学校はいくらでもある。
県内だけで引く手あまただ。
俺の家庭教師ぶりが良かったのか元々頭まで良かったのか、亮治の成績は決して悪くないし、生活態度も非常に真面目でトラブルのトの字もありゃしない。
行きたい学校、やりたい野球...アイツはどこでも好きなように選べるはずだった。
しかしいざ蓋を開けてみれば...亮治が選んだのは俺と同じ高校。
県内有数の進学校ではあるけれど、野球部自体は可もなく不可もなくという学校だ。
旧制中学時代に1度だけ甲子園に出場した事はあるらしいが、それ以降は県予選を突破できた事はない。
「お前なぁ、何でよりによってアソコ選んだんな。甲子園出たいんじゃないんか」
そう怒った俺に、体は大きくなってもどこか甘える仕草の残る亮治はまるで『怒らないで』とでも言いたげにムギュとしがみついてきた。
「たかちゃんを甲子園に連れて行くんじゃけ、たかちゃんとおんなじ学校に行かにゃ意味なかろ? 応援席の一番ええ所で見せちゃげるけん...怒らんといて? 俺、ちゃんと甲子園行くけ、ずっと俺だけを応援しといてよ?」
『ね?』と覗き込むように見つめられて、俺がそれ以上何も言うわけにはいかない。
昔からそうだ。
俺は亮治にとことん甘い。
亮治も俺にだけは甘えきってる。
そしてそれは相変わらず...俺達にとっては当然の事で、何の苦でもない。
亮治にとって俺という存在が何よりも大きいと気付いたとある学校関係者に押し付けられた入学案内のパンフレットは、当人に目を通される事もなくクチャクチャにされ、そのままゴミ箱に直行した。
高校に入って亮治は本格的な筋トレを始めた事で驚くほど逞しくなった。
身長も更に伸び、目線が少し上にある...どころじゃなく、明らかに顔を上げないと目を見て話せないくらいだ。
何度も言うが、決して俺が小さいわけじゃない。
亮治といるせいで小さく華奢に見られるが平均身長は余裕で超えてるし、陸上をやってたからそこそこ筋肉だって付いている。
ただ、亮治は胸が分厚くて脚も太くて真っ黒に日焼けしてて...男として憧れるような、少し悔しさを感じるような、そんなすごい体になっていた。
おまけに亮治は...結構イケメンだ。
着る物なんていつもジャージか、俺が適当に見繕ったGパンにTシャツばっかりだから到底お洒落とは言えないけれど、気付けば休み時間や練習に向かう途中などで女の子に囲まれてる姿をよく見るようになった。
中にはハッキリ『付き合ってくれ』という子や堂々と手紙を渡す子もいた。
そんな子に困ったように笑いながら、けれど毎回きっぱりと断る亮治を見て、何故かいつもホッと胸を撫で下ろす俺。
何故かなんて、その頃はわからなかった。
でも、亮治には俺以外の人間を見て欲しくないと本気で思った。
あの頃にはもう、俺の中で亮治への気持ちは少し変わり始めていたのかもしれない。
夏の県予選が始まると、俺はどんな用事があろうとも球場に応援に行くようになった。
亮治を優先したいがあまり、せっかく声をかけてもらってたものの陸上部への入部は断ったくらいだ。
『アイツは亮治の専属マネージャーか?』なんてやっかみ混じりの陰口なんてのも全く気にならなかった。
地区予選。
1年の時は打線がまったく奮わずあっさり2回戦敗退。
しかし2年の時は初戦、2回戦を無失点6回コールドであっさりと突破した。
既に背番号1を背負っていた亮治は試合を重ねるごとに最高球速を上げ、エラー絡みでの失点はあったもののストレートはとうとうこの日150kmを超えた。
いよいよ甲子園出場かと地元もやけに盛り上がり、注目選手としてテレビにも取り上げられたものの、結局決勝ではやはり連続エラーから失点。
そこから調子を崩したまま立て直すことができず、中学時代亮治に声かけていた県内随一の強豪校に逆転負けを食らった。
秋の新人戦は亮治が肩の違和感を訴えた為に控えに回り、この時もベスト4であえなく散った。
秋の大会での敗戦は、即ち春の選抜大会の出場校から漏れる事になる。
圧倒的な才能だ、近年稀に見る逸材だと言われながら、いまだに亮治は甲子園のマウンドに立てずにいた。
そして運命の3年生の夏。
亮治の体調も仕上がりも完璧だった。
この頃になると、たかが練習試合であっても観客席には生徒や親とは全く空気の違う人間の姿が目立つようになっていた。
スーツの上着を膝に乗せ、細かくスコアを書き込んだりビデオを回したり。
おそらくプロのスカウトだったんだろう。
彼らの目は誰もかれも真剣で、亮治がそれほどの選手なのだと実感させるには十分だった。
勿論、うちの親父を中心とした市の商工会やPTAも大騒ぎだ。
万全の状態の亮治がいる今年のうちの高校は予選前から代表の最有力で、みんないつでも休んで甲子園に行く気マンマンだった。
私立ではない地元の子ばかりが通う公立校だからこそ、盛り上がりは半端じゃなかった。
しかし県予選の組み合わせ抽選の3日前...うちの高校は大会への出場を辞退した。
レギュラーではない1年生、2年生の数人による連続暴行と恐喝が発覚したのだ。
大会が始まる前に...亮治の最後の夏は終わってしまった。
今もあの日の...校長室に部長や監督と共に呼び出された日の亮治の顔は忘れられない。
すべての糸が切れてしまったような、すべての感情を失ってしまったような顔。
誰も亮治に声をかける事ができなかった。
彼がどれほど努力してきたのか、みんな知っている。
彼がどれほどのプレッシャーと戦ってきたのかも知っている。
そして彼は、何一つとして悪くないのだという事も。
亮治への同情の声が上がる中、アイツは学校に出てくる事もできなくなった。
それどころか、小学生の頃からの日課だったはずのうちに飯を食いに来る事すらしなくなった。
そんな亮治に俺が我慢できたのは2日だった。
少しそっとしておいた方が良いなんて事、理屈ではわかってる。
けどそれ以上に、アイツの顔を見ないなんて無理...会いたくて、慰めてやりたくて...俺の方があっさり限界を迎えた。
学校なんて行ってる場合じゃない。
自分で不細工なおにぎりを作り、お袋が用意してくれてた味噌汁をポットに入れて隣のマンションに向かった。
籠城される覚悟でガンガンドアを叩きまくれば、そこは案外あっさりと開放される。
現れたのはいつも俺の後ろをついて回ってるだけだった頃そのままの幼い顔をした、けれど体だけはバカみたいに大きい男だった。
「ごめんね、たかちゃん...俺、甲子園に連れて行ってあげられんかった...」
普段あんなに凛々しい顔をくしゃくしゃにして、亮治はポロポロと涙を流す。
俺は思わずその頭をしっかりと胸に抱き込んだ。
可哀想とか、同情だとか、そんな気持ちはまるっきり無かった。
ただ愛しくて愛しくて愛しくて...そうすれば俺の思いが伝わるような気がしたからだ。
亮治は俺の腰にしっかりと腕を回してくる。
しっとりと俺のシャツが湿ってきたのは、たぶん暑いからってだけじゃないはずだ。
しゃくり上げるように動く頭を撫で、俺達はそのまま動けなくなった。
どれくらいの時間が経ったろう。
お互いの体温がすっかり合わさって同じになった頃、俺の腕の中で亮治がポツリと呟いた。
「たかちゃんは...高校卒業したら大学行くんじゃろ?」
「おう、関西の大学に行く。農学部に醸造について専門で勉強できる研究所があるけぇ、そこにな。灘のメーカーと提携してオリジナルの日本酒開発もしよるんで。うちの会社継ぐんじゃし、本格的に勉強しときたい」
「ほしたら俺も...おんなじ大学行く」
「バカ言うなや。なんぼお前が頭悪うないいうても、さすがに今の成績じゃったら無理じゃ」
「死ぬほど勉強する」
「ダメじゃ。死ぬほど言うんなら、お前には他に死ぬほど頑張らにゃいけん事あろうが。プロ入りの話、来とるんじゃろ?」
「まだプロ志望出しとらんもん。たかちゃんと離れとうないもん。俺、たかちゃんを甲子園に連れて行きたいけ頑張ったんじゃもん!」
トクントクンと胸が鳴った。
わかってた...わかってるつもりだった。
亮治が俺の夢を叶えたい一心で野球に打ち込んでいたと。
亮治の夢のすべては俺の為だけにあるんだと。
けどこうして改めて言葉で伝えられてみて、俺は自分の気持ちに気付く。
亮治は俺だけのものだ。
そして俺は...亮治だけのものだ。
誰にも渡さないし、俺は亮治以外の誰のものにもならない。
想像以上の自分の醜い独占欲に少し驚く。
いつからこんな思いを抱いていたのだろう...けれど不思議とそれを嫌だとも思わないし、心のどこかで当たり前だと感じていた。
「亮治、俺はまだお前に夢を叶えてもろうとらん」
「だ、だって...俺の甲子園は...」
「今度はオールスターのマウンドに立っとるところ見せてくれぇや。俺、お前のピッチングフォームすごい好きなんよ。ほじゃけ、プロの選手からバンバン三振取って、俺の為にお立ち台でヒーローインタビュー受けてくれぇや。勿論俺には特等席のチケットくれんにゃいけんで?」
「でも...でもプロなんかなったら...たかちゃんと離れる事になる...俺、たかちゃんと離れたら頑張れん」
「ちゃんと頑張れるお守りやるけ大丈夫じゃ」
胸元から亮治の顔を引き剥がす。
涙と鼻水でカピカピになった顔を指で綺麗に拭いてやり、チュッと額にキスをした。
「どうな? 頑張れる気になったろ?」
「まだならん...て言うたら?」
亮治の脚を伸ばさせそこに乗り上げる。
さっきまで泣いてたはずの亮治の目は、今度は期待でキラキラしだした。
俺は心臓をバクバクさせながら、目の前のちょっと分厚い唇をペロッと舐めてみる。
そこからどうしたら良いかわからず、とりあえずムチュッと自分の唇を押し当てた。
驚いたように一瞬目を見開いた亮治は反動をつけて体を起こすと勢いよく俺を押し倒してくる。
そのままただひたすらムチュムチュと唇を押し付けあいながら、俺達は床をゴロゴロと転がった。
「あ、たかちゃん...どうしよ...」
息継ぎの仕方なんてわかるはずもなく、二人ともぜーぜー言いながらそっと抱き合う腕の力を弛める。
どうしようの言葉の通り、亮治は本当に困ったように眉を思いっきり下げていた。
「なんか...勃った」
「...まあ、俺もじゃ」
仕掛けたのは自分の方だからと、俺は亮治のハーフパンツの穿き口から手を突っ込む。
そのまま、言葉の通りギンギンになってしまった亮治の中心をキュッと握り込むと、真似するように亮治も俺のジーンズの隙間から手を差し入れてきた。
「お前、この先のやり方とか知っとる?」
「いや...知らん」
「ほしたら今日は...このまま抜き合いだけしよ。お前がドラフトかかってプロ入りが決まったら...その時最後までしてみようや。それでええか?」
亮治の同意を確認するまでもなく、俺は穿いてた物を全部脱ぎ捨てる。
亮治も慌ててハーフパンツと下着を脱いだ。
俺のよりちょっと太い亮治の中心を、改めてじっと見ながら握ってみる。
他人のそれであっても、嫌悪感などまったくない。
それどころか俺とのぶつけ合うようなキスで形を変えているそこがやけに可愛く思えた。
亮治も同じだったらしい。
躊躇う事もなく手が伸びてきて、俺のをやわやわと握りしめた。
それぞれが思うように相手のモノを刺激しあう。
昂った気持ちと体は正直で、二人ともいとも簡単にお互いの手の中に欲を吐き出す。
けれど若さというやつか、それぞれもう出す物も気力も空っぽになった頃には下半身だけでなく全身が汗とそれとは違う物でベタベタになっていた。
つけっぱなしだったテレビでは県予選の抽選会の様子が中継され、開け放たれていた窓からは、腹が立つほど真っ青な空に入道雲が見えた。
あれから干支が一回り。
亮治は新人でいきなりオールスターに選ばれると2回を投げ、6連続三振なんて離れ業をやってのけた。
チームが負けたからMVPは逃したものの当然優秀選手に選ばれ、そのお立ち台で『たかちゃ~ん、約束守ったよ~』と号泣したのは今でも語り種だ。
当然今年もファン投票ぶっちぎり1位で出場が決定した。
そして俺は膵臓癌で急逝した親父の跡を継ぎ、変わらず丁寧な酒造りで人気の小さなメーカーを守っている。
杜氏頭と再婚した亮治のお母さんとうちのお袋に支えてもらいながら。
「なあ...いい加減...一緒に暮らそうぜ」
大人になり、少し格好をつける事を覚えた亮治は、セックスの後に必ずこう言う。
いくつになってもこいつの目には俺しか映ってない事が堪らなく嬉しいけど、俺はその言葉に頷いた事はない。
「俺には大事な役目があろうが。お前がプロ辞めた時に...安心して帰ってこれり場所を守っとかんにゃいけんじゃろ」
断るとわかっていても亮治は必ず言う。
きっと亮治も、俺が変わらずコイツの事だけを考えて生きていると実感したいんだろう。
「なあなあ、今年のオールスター...甲子園なんで...」
「ほうか...ほしたらリベンジじゃのぉ。バシッと決めぇよ」
一頻り汗が引いたところで再び亮治が覆い被さってくる。
体は悲鳴をあげているのに、俺は悦んでその重みを受け入れた。
俺の体と心は、今も亮治にとってはここ一番のお守りだ。
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