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第51話与えられた二択【2】

「・・・・・・はぁ———」  ジャレッドは重たく長い溜息をついた。  もうあれから五日も経った。  結局どちらとも心を決められないまま、日だけは進んでしまう。  父アンデレがきつく言いつけているのか、どの近衛兵も使用人も、イーノクの死とジャレッドの国王就任について話題に触れることは無い。  それでも時折、背中に刺さる視線がちりちりと痛く、今日は気を紛らわしたくて、久しぶりに街へ出たいとギルに伝えたのだったが。  それが間違いだった。ジャレッドへの警護は厳しくなり、ギルの他に王族生き残り組のうち一人が必ずつき——今日の担当はメーリン——、近衛兵がわきを固める厳戒(げんかい)態勢が組まれている。  メーリンは耳を隠すためにフードを被り目立たなくしている。けれど武装した騎士の集団はどうあっても注目の的となる。  念のため王家を表す家紋は伏せてあるものの、人通りの多い場所では何事かと好奇の目にさらされる。  悪意のない視線であっても、これでは王宮内にいるのと息苦しさは変わらない・・・・・・。 「ジャレッド様、あちらを見て、花のオブジェがもう一つ完成したようですね」  気をつかったように耳元でそっと囁き、ギルがアランテアトロンの広場を指差した。  不要な暴動を避けるためにイーノクの暗殺に関しては国民に伝えられておらず、王都は相変わらずのお祭りムードが続いている。  しかしどんなにジネウラのオブジェを作ろうが、祝いの飾り風船を飛ばそうが、彼女がイーノクの妻としてヴィエボ国の地を踏むことはもう有り得ない。  華やかなムードそのものがジャレッドの目には虚しく、かえって哀痛を(あお)る。 「もういい、王宮に帰るよ。付き合わせて悪かったね」  来なければよかったと思いながらも、ジャレッドは障壁のごとく並んだ近衛兵たちに微笑んだ。 「では次は私に付き合ってもらえますか?」 「なんだって?」  誰かと思えばギルの声だ。しれっとジャレッドの手首を掴むと、悪びれもなく近くに引き寄せる。 「ジャレッド様、走りますよ」  言われた途端に手を引かれ、ジャレッドは駆け出していた。近衛兵たちの呆然としている顔がみるみると離れていく。 「あ、ちょっと!・・・・・・大丈夫なのか?」  この行為は規律違反ではないのだろうか。  するとギルは「大丈夫です」と楽しそうに息を弾ませる。 「メーリンには話をつけてありますから、ちょっと汚い手を使ってしまいましたけど」 「汚い手? 金か?」 「はは、違いますよ。彼、ああ見えて物凄く大食漢らしいんです」  ジャレッドは眉を顰め、「そんなわけない」と疑いの声を上げた。  メーリンは細く小柄で天使のような外見さながらにテーブルマナーが美しい。幾度か食事の時間を共にした時も、非の打ち所がない上品な食べ方をしていた。小さな口で、小さく切り分けた料理を、ゆっくりと口に運ぶ彼の食べ方をこの目で見てしっかりと記憶している。 「偶然に厨房でつまみ食いをしているのを見かけて、私も大変驚きました。自分のイメージを壊してしまうのが恥ずかしいようで、周囲には内緒にしているそうですよ。なので、ジャレッド様とのデートを見逃してもらう代わりに、私の元実家にご招待して差し上げました」 「・・・・・・信じられないけど、なるほど」  オウグスティン家の養子になる前の、ギルの元家族は王都で食事処をやっている。 「お前は顔を出していかなくていいのか?」  不幸か幸いか、ギルが元の家族と離れた理由は不仲でも捨てられたのでも死別でもない。  ジャレッドがじっと見上げると、ギルは首を横に振って「今日は辞めておきます」とノーの返事をした。 「もう少し日が近づいたら会いに行こうと思います」 「そうか・・・・・・」  そうだ、安易に顔を出せる状況ではないのだった。  これからギルの身に起きることを、彼自身の口で家族に伝えなければならないというのはとても酷なことだろうに。 「無神経だった、ごめん」  ジャレッドが声色を沈ませると、グイと手を勢いよく引っ張っぱられた。よく考えれば手を繋いだままだった。 「ほら、何処に行きたいですか? 今日はジャレッド様と楽しむ日にしたいのです。何処へでも行きましょう、日が暮れるまでまだ時間がありますよ?」  ギルの優しさに胸がギュッと絞られる。切なく痛む。  ジャレッドは「ウン」と返事をした。時を刻む秒針を止められるすべがあるならば、自分の持てる何に替えても欲しいと願ってしまう。 「連れていってよ、ギル・・・・・・」  そう一人呟いたその時だ。  流れるようなバイオリンの音が、ジャレッドの耳に響いた。 「バイオリンだ、誰が弾いてるんだろう?」 「アランテアトロン広場の方ですね、観に行ってみましょうか?」  ジャレッドは頷く。  広場には人だかりが出来ていた。中心にいるのは小さな楽団。  バイオリンは王侯貴族のたしなみとして弾かれる楽器なため、庶民にとっては珍しい音色だ。  街のマーケットでは流通せず、滅多に手に入らない。 「誰が———」  楽団の顔ぶれはほとんどが子どもで、身につけている衣装から判断するに低所得者層で暮らす子どもたち。  ジャレッドはその中に見つけた、バイオリンを弾いていたのはインガルだった。 「・・・・・・イニー」 「彼と知り合いですか?」 「友だち」 「友だち? ん、彼の顔どこかで・・・・・・」  幼い頃、ジャレッドとインガルが遊んでいたまさにその場にギルもいた。その時のことを覚えているのだろう。 「イニーは元貴族。アラン公爵の息子だよ」  途中、ギルが眉をぴくりと動かしたように見えた。しかし同時に演奏曲が終わり、ジャレッドは「待って」と止めるギルの声を聞かずに、人混みをかき分けていた。  拍手喝采のシャワーの中、観覧客から楽団の子どもたちへ駄賃(だちん)がわりの様々な品が投げられ、花束やコイン、紙幣が飛び交っている。 「おおっ! ははは、すごい」  ジャレッドは歓声をあげ、自分の着ている衣服を探った。金目のものは見当たらず、袖口に付けられた金のカフスボタンを外す。  それをインガルに向かって投げ、コツンと頭に当ててやった。頭をさすりながらカフスボタンを拾い上げ、インガルはこれでもかと目を見開く。なにせボタンは王家の紋章入りだ。 「イニー! いい演奏だったよ」  最前列から叫ぶと、インガルはお化けでも見た顔で立ち上がった。

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