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第50話与えられた二択【1】

 シャツがはだけた姿のまま、ジャレッドはぼんやりとベッドに座っていた。  新しく噛まれた場所がチクチクと痛み、思えば、いつもよりも身体が怠くて重い。腰骨も少し痛む。  ジャレッドは講堂から戻ってすぐ、ギルに抱かれた。  あんなに激しく求められたのは初めて身体を繋げた日以来で、何度絶頂しても気を飛ばしてもやめてくれなかった。  目が覚めたらギルはベッドに居なくて、探しにいこうとしたけれど、ジャレッドの服が見当たらなかった。  雪崩(なだ)れ込んだ場所はギルの寝室。  香油と精液まみれのぐしゃぐしゃになっていたであろうジャレッドの服は回収されており、とりあえず手元にあったギルのシャツを羽織った。  ギルの寝室には窓がなく、どれだけの時間交わっていたのか分からない。部屋には誰も来ず、父も何も言ってこない。  それはいいとして———、ずっと待っているのにギルが戻ってこないじゃないか。くっついていられるなら、もっとしていたかったのに・・・・・・。  そう考えていると、ドアが開いた。ジャレッドがまだ寝ていると思ったのか、ギルは足音を忍ばせて部屋に入ってくる。 「起きてるよ、ギル、どこ行ってたの?」  ジャレッドは細心の注意を払って扉を閉め終えたばかりの男に声をかけた。  とんだ甘ったれた声が出たが、気にしなかった。 「・・・・・・はあ、びっくりした。起きていたならもっとはやく言ってくださいよ」  ギルはわざとらしく溜息をつく。 「うるさい・・・・・・。ね、して?」  言葉のわりにたいして驚いてなさそうなギルの身体に身を擦り寄せ、ジャレッドはキスをねだった。  ギルは濃厚にキスを返してくれる。 「・・・・・・ン」  唇を吸われ、ちゅるりと侵入してきた肉圧の舌が誘うように敏感な場所をかすめていく。懸命にギルの舌を追いかけ、唾液が混ざり合い、ちゅくちゅくと動きに合わせて角度を変える。  しだいに熱い息が漏れてきて、ジャレッドは我慢ができなくなった。  まだドアの前に立ちっぱなしだったギルをベッドに押し倒し、しっかりと着こまれた軍服を脱がしにかかる。  しかしジャレッドの手は、ギルの大きな手に捕まり押し戻された。 「いけません、ジャレッド様もそろそろお着替えを。続きはまた夜になったら致しましょう」 「ヤダ・・・・・・今したい、ずっとこうしてたい・・・・・・ッ」  瞳を潤ませて訴えかける。ジャレッドの本能の昂ぶりを表すように、とろんと溢れ出した涙の中でぱちぱちと火花が弾けた。 「ジャレッド様、私は死ぬのではありません。言葉は交わせなくなりますが眠っているだけです。ジャレッド様がおそばに置いてくださる限り、一緒におります」  それと、死と、何がそんなに違うんだ。ジャレッドにはそう思えて仕方がない。 「イヤだよ・・・・・・ギル、イヤだよ・・・・・・」  イヤイヤと言い縋ると、ギルは思い詰めた表情でジャレッドの頭を抱き締めた。 「そんなのイヤですよ、私だって」  ツンと、子どもみたいに()ねた言い方に思わず息を止める。 「・・・・・・たかを(くく)っていたのは私も同じなのです。まさかイーノク様が亡くなるなんて思ってもいませんでした。こんなにも早くジャレッド様を残していかねばならないことに私がどれだけ嘆いているか・・・・・・、貴方が一番よく知っているでしょう?」  ハッとしてジャレッドは顔を上げようとしたができなかった。見られたくないのか、ギルに頭の後ろを押さえ付けられている。  ギルの胸元に鼻先がくすぐられ、少し苦しい。抗議のために胸を叩くとあっさりと手は緩み、ギルはジャレッドが身体を起こしているうちに背中を向けてしまった。 「ギル・・・・・・ごめん、もう我儘は言わない。ちゃんと着替えるから」 「そうしてください、お願いします。新しいお召し物でしたらそちらに置いてありますので」  ギルはこちらを見ずに返事をした。部屋に入ってきて最初に置いたのだろう、ラウンド型のスタンドテーブルの上にはハンギングされたままのブラウスとパンツ、ベルト、下着が用意されている。 「お手伝いは必要ですか?」  いい、とジャレッドは首を横に振る。  一人で着替えを済ませ、いつものクセでスタンドテーブルの上を(まさぐ)り不思議に思った。 「あれ、剣がない」 「剣は二振りとも国王陛下に預けてあります。剣と魔力の塊にどんな関係性があるのか調べるのだと言われたのですよ? 忘れてしまいましたか?」 「あ、そっか、ぜんぜん聞いてなかったし、持ってかれたのにも気づかなかった・・・・・・」  知らずうちに話されていた内容事項は二つあった。  イーノクとジネウラが婚姻の儀をあげる予定であった日を新たにジャレッドの戴冠式(たいかんしき)の日取りとすること。その時までは剣は預かり、ブレンダ、ハニー、メーリン、ティムソン、レックスの五人に保護してもらうということ。  それらをギルに教えられ、ジャレッドは肩を落とす。 「すっごく大切な部分を聞いてなかった・・・・・・」  婚姻の儀の日取りは『空に星も月も浮かばない日』、年に一度訪れる静寂の日(ノクターノ)の夜に予定されていた。  黒髪ラーナの絵本の中ではラーナが生まれた日とされ、ヴィエボ国で最も縁起の良い日とされる。  真っ暗な夜の日にラーナは耀きと共に生まれ落ち、星や月を創り出したとされる描写があり、物事のはじまりを祝う日取りとしても最適とされている。  その日が二十日後前後で訪れると予測があった。  当初の予定通りならば、あと数日でイーノクがジネウラを連れて戻り、静寂の日(ノクターノ)に合わせて式典の準備を行うはずだった。  父の目論(もくろ)んでいることはなんとなく想像がつく。  国民の黒髪ラーナ信仰に(なら)い、魔法の力を少しでも受け入れやすくするために、絵本の描写を真似て見せようとでも言うのだろう。 「あの人たちは、皆んな魔法を使えるのかな?」  ジャレッドはふと小首を傾げる。溢れるほどの魔力を持っていたとしても、父の期待に応えるにはジャレッドだけではやり方さえ心許(こころもと)ない。 「全員ではないと聞いていますが、皆がその知識はあると。魔力の塊を使役する方法もいずれすぐに見つけ出してくれるでしょう」 「ふぅん」 「・・・・・・ですから」  ふいに、ギルは思い出したように付け足した。 「ん?」 「ですから、安心して任せておけばよいと思います。・・・・・・クライもおります。心配することは何もございません」 「ギル」  たまらずギルから目を逸らし、ジャレッドは奥歯を噛んだ。  その言葉はジャレッドだけに向けられたもので、二人に向けられたものではないのがわかってしまった。ギル自身が紡いだ言葉の中にギルの存在はハッキリと省かれている。  どうしてそんな言い方をするのかを、分かっているのに分かりたくなくて、「そんなこと言うな」と罵って、「お前がいないと何もできない」と泣いて困らせてやりたかった。  そしたらきっと「これじゃあ安らかに眠りにつけません」と眉尻を下げて溜息をつくんだ。  ・・・・・・そう思いながら、ジャレッドは心に逆らって嘘をついた。 「うん、お前がいなくても俺は立派にやるよ。だからギルも安心してよ! 俺が国を治めるうちは毎日ふかふかのベッドに寝かせてやるからな」  ———声は震えていないか? 涙は出ていないか? ちゃんと笑えていたか? あとは何を気にすればいいのだろう。けれど、ぎこちなく微笑んだジャレットを見て、ギルはスゥと目を細め、ふっと鼻先で笑ったように息をついた。 「思ってもないことを」 「何だよ、頑張って言ったんだぞ・・・・・・?」  目の奥が鈍く熱を持ち、また涙が溜まってくる。ジャレッドの精一杯の強がりを無下(むげ)にするなんて、ギルにしては珍しい行動だ。 「すみません」  ギルは愛おしげにジャレッドの頬を撫で、ぽつりと名前を呼んだ。 「・・・・・・ジャレッド様、二人で逃げてしまいましょうか。力も国も身分も何かもを捨ててどこか遠くへ。何も考えなくてもよい場所へ」  一瞬、思考が止まった。 「え・・・・・・?」  ジャレッドは困惑した声を出す。 「戴冠の日までに逃げてしまえばいい、 今ならそれが出来る。貴方がそうしたければ、誰に咎められようと私は着いて行きます」  ギルの口調からは、諦めや投げやりな調子は微塵も感じられなかった。  哀しみに声を震わせることもなく、ひたすらにジャレッドの意思にすべてを委ねるような、耳に低く響く、穏やかで優しい言い方だった。

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