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第50話

 文維(ぶんい)とあの宋暁(そう・しょう)との猥褻(わいせつ)な行為を目の当たりにした時でさえ、煜瑾は文維が自分を愛してくれていると信じられた。それでも、文維は自分では満たされないものを、宋暁に求めたのではないかと煜瑾は切なくなる。  そして今夜、文維の求めを拒んだことに、煜瑾は後ろめたさを感じていた。 「…泊まりたくないというか…」  文維の態度は曖昧だった。それが、また煜瑾を不安にさせる。  けれど、文維の理由はもちろん煜瑾が思っているのとは違っていた。  文維とのセックスを拒絶しておきながら、煜瑾はまだ頬を赤らめ、目を潤ませ、どこか物欲しそうに見える艶めかしさだ。そんな煜瑾の無意識の色香に、文維は自分の劣情を抑える自信が無いだけだ。 「わ、私は…、文維と…」  煜瑾は、その頬を濡らしながら、もう一度文維の胸に飛び込んだ。 「今夜は、文維と…、手を繋いで…朝まで寝たいです…」  清純で、愛らしい恋人からのお願いに、文維はもう、苦い思いを押し殺して、薄い笑みを浮かべるしかなかった。 「煜瑾…。そうですね。今夜は、朝まで手を繋いで寝ましょう」  文維の答えに、煜瑾は少しホッとした表情になり、文維から離れて立ち上がった。 「お夕食にしましょう、文維。(とう)家のローストビーフがあるのです。文維も好きですよね」  ようやく煜瑾らしい素直で清純な笑顔になって、文維も安堵する。 「いただきましょう。他にも何ができるか、冷蔵庫を見てみましょうね」  優しく穏やかに文維が言うと、煜瑾は嬉々としてキッチンに向かった。その後ろ姿を恨めし気に見ていた文維だったが、ふと深刻な顔になり、何かを決心した。 ***  冷蔵庫の整理を兼ねて、文維は煜瑾の好きなフルーツサラダや、冷凍エビを使ったマヨネーズ炒めなどを手早く作った。煜瑾は唐家のシェフ自家製のローストビーフを解凍し、以前よりずっと上手に切ることができるようになっていた。 「こうして、煜瑾と食事を出来るだけでも幸せだと思わなければね」 「文維?」  料理をダイニングテーブルに並べながら、文維がポツリと言った。 「あ、いや…。私は、本当に反省しているのです。…今回は、煜瑾を失っても不思議では無い状況でした」 「文維!…そんな、私は…」  思い詰めた文維に、煜瑾は驚いて恋人の腕を掴んだ。 「いいえ。私は、大切な煜瑾を傷つけ、泣かせるという大罪を犯しました。その罪に相応しい罰は、大切な君を失うこと。それが、私にとっても、非常に苦しいことだから…」  文維は悲しそうに口元を歪めた。そして、煜瑾が掴んだ腕と反対の腕を伸ばし、温かく大きな手で、白く、滑らかな煜瑾の頬を包み込んだ 「だが、今回はそんな最悪の罰からは逃れられた。天使のような君の優しい心のおかげです」 「違います…。私が文維を愛していて、文維が私を愛しているから…。だから、2人で居なければ、乗り越えられない…そうでしょう、文維?」  純真な煜瑾が眩しいとはいえ、もう目を背けることはできない文維だった。 「そう…ですね、煜瑾」  文維は煜瑾の(ひたい)に口付け、そっと抱き寄せた。 「そうですね、私たち2人で乗り越えましょう」  煜瑾は相変わらずの天使の笑みで、微塵も文維を疑う様子が無く、穢れなく美しかった。

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