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第1話 ギルド受付のハイネ
「ハイネ~。おまえもこっち来て飲めよ~」
「そうそう、今夜はゴールド剣士様の奢りだぜ」
「俺はまだ勤務中ですよ」
「そう固いこと言うなって」
「せっかくの祝いの酒なんだから、綺麗どころもほしいんだよぉ」
「ちょっと、アタシたちがいるってのに何言ってんのよ!」
「お~? なんだおまえら、その程度の面 でハイネさんに勝てると思ってんのかぁ?」
「なんですってぇ!?」
「おいおい、やめとけって。せっかくの酒が台無しになるだろ」
冒険者や酒場の女性たちの声が、より一層賑やかになった。そんなどんちゃん騒ぎから視線を外し、受付台に並ぶ書類にテキパキとハンコを押していく。
今日の依頼達成数は多くないが、大きな依頼が一つ完了した。隣街との間に広がる魔獣の森に現れた、SSランクの四ツ脚型魔獣――その魔獣討伐が、今日ようやく達成されたのだ。討伐したのは、この辺りで名を馳せているゴールドランクの剣士だ。
三ヶ月ものあいだ悩ませていた魔獣がいなくなったとなれば、明日からまた多くの冒険者たちがギルド へやって来るだろう。その前にやならければならないことは山ほどある。祝い酒だと酒場にいる全員に酒を振る舞っている件のゴールド剣士には悪いが、ただ祝っているだけではいられないのがギルドだ。
ギルドは各地に施設を構える世界規模の組織で、主に魔獣討伐や人々の護衛、遺跡調査や未知の領域の先遣隊といった仕事を冒険者たちに斡旋している。
ギルドは横の繋がりが強く、ギルドに登録して正式な冒険者になれば、世界中どの国でも冒険者としてギルドから仕事を得ることが可能だ。そのため冒険者を目指す人は多く、幼い頃から師匠のもとで修行をする子どもも少なくない。おかげでギルドの規模はあっという間に大きくなり、依頼数や報奨金の額も増え、いまや世界中に冒険者が溢れるほどになった。
そんなギルドの窓口業務を行うのが受付で、俺もその一人だった。
ギルドの受付は試験を経て先輩受付のもと研修を行い、ギルドマスターに正式に認められなければ一人前になれない。十年前に一人前になった俺は、すっかり手慣れた業務を流れるようにこなしていた。
細い金縁眼鏡を指で押し上げ、処理済みの書類をまとめて箱に入れる。次はランクアップ処理に必要な書類の確認と、明日から貼り出す依頼書の仕分けが待っていた。これだけの量なんだから、夜間受付の人手を増やしてもらえないものかとため息が漏れる。
以前は小さなギルドだったここも、魔獣の森や街の先にある古代遺跡の影響もあり、そこそこの規模になった。それなのに日中の受付は二人、夜は一人という少人数のままだ。
責任者であるギルドマスターも隣街のギルドと兼任だから、どうしても目が行き届かない。ギルドマスターが顔を見せるたびに人員補充をお願いしてはいるものの、いまだにそれが叶うことはなかった。
「忙しそうだな」
「そうですね。明日からはここへ来る冒険者も増えるでしょうから、今夜のうちに済ませておかなければいけない書類が山のようです」
「それでは、魔獣討伐をしてしまったのが申し訳なくなるな」
苦笑にも似た声に、書類から顔を上げた。
目の前には黒髪を短く切りそろえた体格のよい男が立っている。精悍な顔立ちながら人懐っこさを感じるのは、やや垂れている黒目のおかげだろう。いまも目尻を緩めているからかゴールド剣士としての威圧感はなく、俺より年上だという感じもしない。
「いえ、これで安心して隣街と行き来できるとみんな喜んでいます。事務処理はギルドの仕事ですから、気にしないでください」
にこりと微笑みかければ、「それでも」と言葉が続いた。
「ハイネに無理をさせているのかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる」
剣ダコでゴツゴツとした指が、さらりと頬をかすめた。
誘われているんだな、と気づいた。さて、どうしようか。
書類が山積みなのは本当で、明朝までに処理を終わらせておきたいのも本当だ。
経験値を稼ぐのに効率がよい魔獣の森だけでなく、古 の宝が眠ると噂される古代遺跡も抱えるこの街には、朝から大勢の冒険者たちがやって来る可能性が高い。日中の業務は、当日のことに使わなければ処理が追いつかないだろう。
(……とはいえ、俺もしばらくご無沙汰だしな)
魔獣討伐のためにランクアップを目指して依頼をこなす冒険者が多く、日中だけでは追いつかず夜にまで持ち越される事務処理で手一杯な日々が続いていた。
おかげで、ここ十日間ほどは誰ともベッドを共にしていない。そろそろ人肌が恋しくなってはいるけれど……と、頬をかすめた指をチラリと見る。
剣ダコで硬い手だが、意外と繊細に動くのをよく知っている。ゴールド剣士らしく鍛えられた体には十分満足できるし、無茶をせず一回で終わってくれるから翌日の仕事に響くこともない。愛撫は丁寧だし、しつこくないし、ほどほどに貢いでもくれるし、これまで何度も寝ている相性のいい相手だと思っていた。
(でも、魔獣討伐が終わった直後ってことは……)
興奮が残っているだろうから、これまでより多少は激しくなるだろう。
大抵の冒険者は大きな依頼を達成した日は精神も肉体も昂ぶっているからか、ベッドの中まで引きずってしまいがちだ。それはそれで悪くないが、明日からのことを考えると体力は十分に残しておきたい。
「心配していただいてありがとうございます、ヒューゲルさん」
意識してにこりと笑い、ファミリーネームを口にした。友人としても付き合いの長いこの人なら、これだけで理解してくれるはずだ。
「きみが名前を呼んでくれないということは、わたしは振られたということか」
「申し訳ありません。今夜いっぱい、事務処理が続きそうなので」
「いや、そんなつれないきみも美しいと思うよ」
「相変わらず口が上手いですね」
「いつも本心だというのに、心外だな」
そんなことを言ってはいるものの、黒目は穏やかに笑っている。
右手を軽く振りながら賑やかな酒場のほうへと戻っていく背中を見送ることもなく、俺は受付台へと視線を戻した。
(さて、さっさと処理を済ませないとな)
二十八歳にもなると、さすがに徹夜は厳しい。受付を閉めるまであと五時間しかないが、果たして終わるかどうか……。
(いいや、終わらせてみせる)
そうして明日こそは誰かをベッドに誘おう。久しぶりに隣街からもたくさん冒険者が来るだろうから、その中から選ぶのも悪くない。
鍛え抜かれた剣士や拳闘士もいいが、ほどよい筋肉でスラリとした弓術士も捨てがたい。たまには魔術士という選択肢もなくはないが、十日振りの性欲発散の相手としては物足りないかもしれない。
(じゃあ、やっぱり剣士あたりかな)
そう考えただけで、じわりと腰が疼いた。
腹の奥に熱が灯るのを感じながら、それでも目は素早く書類の文字を読み取り、手は的確にハンコを押していく。ギルドに併設された酒場の賑わいを聞きながら、俺は黙々と書類を振り分けていった。
++++
「はぁ、さすがに疲れた」
明け方四時、ようやく自分の部屋に帰ることができた。
結局、日付が変わったあとも仕事は終わらず、霞む目を瞬かせながら終了したのは三時を過ぎた頃だった。
その時間にはすでに酒場も掃除を終え、静寂を迎えていた。顔馴染みの看板娘が置いておいてくれたサンドイッチを食べ、真っ暗なカウンターに皿を戻してギルドを後にした。そうして歩いてすぐのアパルトメントに帰って来たわけだが、シャワーを浴びる気力も体力も残っていない。
「……起きてからでも、いいか」
本当は体をさっぱりさせてから寝たいが、三日間も日付が変わるまで仕事をしていた疲労もあって無理そうだ。
細い金縁眼鏡を外してベッド脇の机に置き、寝間着に着替える。せめて顔だけでも洗おうと洗面台の前に立ち、鏡で自分の顔を見た。
「こんなに疲れているのに、我ながら物欲しそうな顔をしてるな」
鏡に映った顔は見慣れたものだが、自分でもわかるくらい欲求不満そうに見える。これじゃあ誘われるのも当然だ。むしろ、疲れているせいか気だるい雰囲気さえも見て取れて、さぞかし男心を揺さぶったことだろう。
それでも昨夜断ったことを申し訳なかったとは思わない。
「そういう気遣いが面倒なんだ」
これが恋人だったりしたら、きっと何日にも渡って気を遣い言葉を尽くさなければいけなかったに違いない。そういうことが面倒で、これまで後腐れのない男としかベッドを共にしてこなかった。
いわゆる体だけの関係でいえば、昨夜誘ってきたヒューゲルさん以外にも両手に余るくらいいる。一度だけの関係なら、それに両足の指を加えても足りない。そんな関係でも構わないと言われ相手に困らないのは、自分の容姿のおかげだ。
黄金で作ったような長い金髪に透き通る碧眼、白い肌に女性のようにも見える整った顔立ちは、女性だけでなく男たちからも劣情の目で見られてきた。
俺はそんな容姿と、多くの冒険者と出会えるギルドの受付という立場から相手に不自由したことがない。見た目や話し方から淫乱だと蔑まれることもなく、むしろ俺とベッドを共にできることを誇りにする男が多いのは幸いだった。いや、これも言動を着飾ってきた努力の賜物だ。
「体つきのいい冒険者が見つかるといいな」
連日真面目に働き、今夜も徹夜で仕事を終わらせたのだ。ご褒美として自分好みの男とベッドに入りたいと思っても神罰は下らないだろう。
できれば、筋肉がしっかりついた逞しい体がいい。剣ダコで硬くなった手のひらに全身を撫でられたい。明日の仕事が終われば、翌日は久しぶりの休日だ。時間はたっぷりあるから朝までセックスすることだってできる。なんなら昼までベッドの中でもかまわない。
そのくらい精力旺盛で、でも無茶はせず、蕩けるようなセックスをしてくれる男なら、なおよし。さらに清潔なベッドや大きな風呂のある部屋と、美味しい食事や酒をご馳走してくれるなら、もっといい。ついでに黒髪で碧眼なら……。
「……最後のは無しだな」
疲れているから、黒髪碧眼なんてくだらない容姿を思い描いてしまった。
頭を軽く振り、顔を洗って寝る準備をしてから髪を結んでいた紐を解く。窓の外を見ると、うっすらと太陽が昇り始めていた。
「昼過ぎには起きないと……」
そうして夕方にはギルドに出勤し、いつもと変わらない日常を送る。もう十年近くくり返している生活だ。
カーテンを閉め薄暗くなった部屋でベッドに潜り込むと、すぐに夢の世界へ旅立つことができた。
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