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第2話 出会い
日勤の受付二人を見た瞬間、思わず苦笑しながら「すごかったんだね」と声をかけていた。疲れ切った二人はそれでも受付らしくにこりと笑い、そのうち一人が「夜も大変そうよ」と口にする。
「そんなに?」
「魔獣討伐が終わったって話、もう二つ先の街まで届いてるんだって!」
「それにほら、前に古代遺跡に行ったっていう魔術士、彼女が“太古の富 ”を手に入れたって話ももっと広がってるみたいよ」
「あぁ、そういえばそんな報告が上がってたね」
「おかげで、我こそはって冒険者が休む間もなく来たんだから!」
「魔獣のせいで来るのを諦めていた人たちが大勢いたってことね」
十五歳から二十年、このギルドで受付をしているベテランのサザリーが苦笑している。その隣で「お昼を食べる時間もなかったんだからね!」と頬を膨らませているのは、この街のギルドに来て三年目のリィナだ。
王都から離れたこの街には、申し訳程度のギルドしかなかった。もともと大きな湖や森、それに古代遺跡の観光で成り立っているような街だったから訪れる冒険者は少なく、かつてはそれで十分だった。
ところが森に魔獣が棲みつくようになり、いつしか魔獣の森と呼ばれるようになると、小さなギルドに魔獣討伐の依頼書が多く届くようになった。魔獣は冒険者たちのランクアップに最適な相手だから、依頼書がなくても討伐に訪れる冒険者は多い。そのため、ほかの街からやって来る冒険者の数が少しずつ増えていった。
さらに訪れる冒険者を増やしたのは、それまでただの寂れた遺跡だと思われていた古代遺跡が注目され始めたからだ。そうしてついに、“太古の富 ”が発見されるに至った。
太古の富 は、文字どおり古 の時代に作られたと言われているもので、いまだに全容は明らかになっていない。ただ不思議な力を秘めていることは確かで、武具に加工すれば珍しい代物になり、売り払えば大金を得られる、まさに“お宝”と呼ぶに相応しいものだった。そんなお宝を冒険者たちが放っておくはずがなく、小さなギルドだったここには、さらに多くの冒険者がやって来るようになった。
そうしてただの観光地だったこの街――サウザンドルインズは、魔獣討伐と太古の富 を求める冒険者たちであふれかえる賑やかな街へと変わっていった。
俺が受付としてやって来た十年前も、いまほど賑わってはいなかった。それ以前は、さらに閑散としていたらしい。そんな街で二十年受付をしているサザリーにとっては、思ってもみなかった大きな変化に違いない。たまに「昔が懐かしいわ」とこぼすことがある。
一方、忙しいギルドこそやる気が出るのだと言っているリィナだが、さすがに食事休憩も取れない忙しさには不満が隠せないようだった。プンプンしながら、最後の書類にハンコを押している。
「夜の討伐は危険だから、昼間ほどは忙しくないと思うわよ」
自分の左手で右肩を揉んでいるサザリーが、少し疲れた顔で笑ってそう話す。
「日中の書類は処理し終わったんだけど、明日貼り出す依頼書の仕分けまではできなかったの。ごめんなさいね」
「大丈夫だよ、サザリー。それくらいなら昨日までより楽だし」
「うわーん、ありがとうハイネ~」
「リィナもお疲れ様。それより、夕飯食べて来なよ」
にこりと笑ってそう言うと、「うひゃあ! 黄金の受付嬢の微笑み、クラクラする~」と言いながら、リィナが酒場のほうに小走りで消えて行った。サザリーにも「あとは俺がやっておくから」と言えば、「ありがとう」と笑って荷物を片付け始める。
「そういえば、明日はお休みだったわね」
「そうなんだ。忙しくなったタイミングで、ごめんね」
「大丈夫よ。それにハイネはしばらくお休みなかったでしょう? ゆっくり休んで」
「ありがとう」
「それじゃあ、あとはよろしくね」
「任せて」
頷いたサザリーの手には、いつものカバンだけでなく大きな包みがあった。ということは、今夜は夜ご飯を持ち帰るということだ。
サザリーには働き盛りの夫と食べ盛りの娘がいる。ギリギリまでギルドの仕事をしていたから、酒場の料理を持って帰ることにしたのだろう。どんなに忙しくても手作りを欠かさない料理好きのサザリーが出来合いを持って帰るということは、本当に忙しかったということだ。日中がそれなら、夜も安心はできない。
「今夜までは気が抜けないか」
金縁眼鏡をクイッと上げ受付台の前に座ったところで、目の前に人影が近づいたことに気がついた。
「依頼の受付ですか?」
いつもどおりの言葉をかけながら顔を上げた先にいたのは、全身真っ黒な軽装備を身につけた黒髪の青年だった。背中に背負っている武器から、剣士だということはわかる。胸元に見える首飾り型のランクチェッカーが銀色ということは、シルバーランクだ。顔に見覚えはないし、おそらく魔獣討伐が終わったことでサウザンドルインズにやって来た冒険者だろう。
もう夕方だというのにギルドへやって来たということは、これから依頼をこなすつもりなんだろうか。
(夜は危険だから、シルバーランクと言えど受けることは少ないはずだけどな……)
中には腕試しだと言って、夜の討伐に出向く冒険者もいなくはない。そういう冒険者だろうかと思って顔を見ていたのだが、男は一向に口を開こうとしなかった。
「受付ではないんですか?」
もう一度声をかけると、男はハッとしたような顔をした。
(もう見慣れたと言えば、見慣れてしまったけど)
初めて俺を見る男の中には、目の前の剣士のようになる人も多い。
容姿のせいか俺を見た相手がこんなふうになるからか、リィナが口にしたように、いつの間にか俺は“黄金の受付嬢”と呼ばれるようになっていた。男の俺を受付嬢って……と思わなくもないが、まぁ、言い得て妙だとも思うから、あえて否定したりはしない。
「予想以上だ」
ごく小さなつぶやきだったが、俺の耳にはしっかりと入ってきた。
なるほど、誰かに話を聞いてサウザンドルインズにやって来た口といったところか。魔獣と古代遺跡のどちらの話を聞いたのかはわからないが、ついでに俺の噂も聞いたに違いない。
(ということは……)
俺が冒険者とベッドを共にするという噂も聞いているかもしれない。
視線を剣士の顔から首、肩から腕、胸へと滑らせる。軽装備の上からでも、鍛え抜かれた体をしていることはよくわかった。
おそらく背丈は俺より頭半分ほど大きいだろう。残念ながら受付台からは下半身が見えないが、きっと上半身と同じように逞しいに違いない。文句なく俺好みの冒険者だ。
(それに、黒髪に……目は灰青色か?)
純粋な碧眼じゃないが、それがかえって男らしい目元に見える。
体つきは文句なし、シルバーランクなら体力もあるだろう。整った顔立ちは若そうに見えるが、若輩には感じられない。身につけている装備はそこそこ高級なものだし、懐具合も悪くなさそうだ。
何より、さっきからジッと俺を見ている眼差しには劣情が混じっている。
(それなりのホテルでの一晩の相手としては、悪くないかな)
そう考えていた俺の前に、一枚の依頼書が差し出された。受け取ったそれには、魔獣の森の討伐依頼が書かれている。討伐対象はSランクの夜行性四ツ脚型魔獣の夜狼 、受注可能な最低ランクはシルバーだ。
(なるほど、これなら夜の受付に来たのもわかる)
「こちらの依頼でよろしいですか?」
「はい」
……うん、低すぎず響きのいい声も悪くない。
「夜の討伐には危険が伴います。できれば一人じゃないほうがよいと思いますが」
このことは依頼書にも書かれている。読めばわかると思うが、念のために確認するのも受付の仕事だ。
「大丈夫です」
はっきりそう口にするということは腕に自信があるんだろうが、かといって自信過剰には聞こえない。きっと、それなりに経験を積んでいるのだろう。
(まだ若いと思ったけど、もしかして童顔なだけか?)
チラッと見た顔は、やはり俺より若く見える。
「それでは依頼を登録しますので、ランクチェッカーを出してください」
ランクチェッカーはギルドが発行する冒険者を示す身分証であり、名を刻んだ分身でもある。名を刻むのは万が一のときに名前を確認するためであり、家族に遺品として届けられるようにするためでもあった。
剣士が差し出したランクチェッカーは銀色に光っていることから、間違いなくシルバーランクだ。長方形のチェッカーは特殊な金属で作られており、中には討伐履歴や報酬などの情報が書き込まれている。チェッカーを受け取り、専用の台座に載せて依頼書の番号と俺の名前を登録する。
ギルドの受付は、冒険者が依頼を受けるときに自分の名前も同時に登録しなければならない。ほかにも報酬の決済やランクアップの手続きをするときにも名前を登録する義務がある。
これは手続きで不正が行われないように管理するための仕組みで、受付の名前を登録しなければ、たとえ依頼を達成しても認められないという厳しいものでもあった。代わりに理由もなく処理を怠り冒険者に不利益を与えた受付は、すべての街のギルドから追放されることになっている。
ギルドから追放されるということは、受付だけでなく冒険者になることもできない。それどころかギルドに関係している仕事にも就けなくなる。どの国でもギルドに関わりがない職業はほとんどないから、追放は実質的に生きていけなくなるということだ。
それだけギルドは重要な組織であり、事務処理を行う受付は大きな責務を負っているということでもあった。
ランクチェッカーに登録しながら、俺は首を傾げた。別に不正を見つけたからじゃない。処理済みの依頼数があまりに多かったからだ。
(これだけの数なら、ゴールドランクに上がっていてもおかしくないはずだよな)
ざっと見ただけだが、報酬の低い依頼はほとんどなかった。中にはシルバーランクでは難しいはずのSSランクの討伐達成もあったし、どう考えてもシルバーランクとは思えない内容と数だ。
これなら夜狼 の討伐に一人で向かおうとしているのも不思議じゃないが、それよりもどうしてシルバーのままなのかが気になる。
(ランクアップしたくない冒険者なんていないはずだけど)
ランクアップすれば受けられる依頼の数も種類も増える。報酬額も上がり、有名にもなれる。小さな村や町なら歓迎されて宿代も食事代も無料 、貴族のお抱えになったり家や身分を保証されたりと、輝かしくも豊かな未来が広がっている。
ランク無しからスタートする冒険者は、ブロンズ、シルバー、ゴールドとランクを上げ、最終的にはSSS超級討伐も受注できるプラチナランクを目指すのが一般的だ。むしろランクアップと一攫千金を狙うからこそ冒険者になるはずなのに……。
「何か問題がありましたか?」
「いえ、大丈夫です」
いくら受付とはいえ、人様のランクチェッカーを延々と覗き見るようなことはしてはいけない。素早く履歴を消した俺は日時と自分の名前を登録し、依頼書を受注済みの箱に入れてから銀色のチェッカーを剣士に差し出した。
「受付終了の時間までに戻って来ます」
そう言った剣士の指が、チェッカーを載せた俺の手のひらをするりと撫でる。
「討伐祝いに、奢らせてください」
「は……?」
チェッカーを首にかけた剣士は、それだけ言うとギルドから出て行った。
「……まさか、数時間で討伐して戻って来るってことか?」
魔獣の森までは、歩けば一時間はかかる。夜狼 の棲息地は、さらに森の奥深くだ。見つけるのにどのくらい時間がかかるかは運かもしれないが、見つけてすぐに討伐できるほど簡単な魔獣じゃない。
依頼対象はボスと見られる一頭だけだが、おそらく群れで行動しているはずだから数の上でも簡単ではないだろう。それを、受付終了までの七時間弱で終わらせて帰って来る、というのだろうか。
「シルバーランクが、一人で……?」
さすがに無茶だろう。そう思いながらも、撫でられた手のひらを見た。
ゴツゴツした指は、いかにも剣士らしい硬さだった。出て行くときに見た後ろ姿は、思った以上に逞しかった。軽装備の上からでも、ガッシリした腰にキュッと引き締まった尻、しっかり動く足の筋肉がはっきりとわかった。想像以上に俺好みの体つきだと思った。
(さっきのは、誘われたんだよな)
そう思った途端に腰の辺りがムズムズとし始め、腹の奥がじわりと熱を帯びるのがわかる。
(名前は……、ニゲルだったか)
誘い方も、驚きはしたが、悪くはなかった。少しのやり取りだけではわからないが、手慣れているような感じはしなかった。それでも不慣れというふうでもない様子は、一晩の相手として申し分ない。
セックスがうまければ、街にいる間相手をしてもらうのも悪くなさそうだ。年下っぽい感じがしたが、面倒臭いことさえなければ楽しめそうな気がする。
そんなことを考えていた俺の前に、再び人影が近づいた。
「ハイネさん、今夜、どうかな?」
「依頼の受付なら、空いてますよ」
「あーぁ、振られたかぁ」
「おまえ、その誘い方は露骨すぎんだろ。そんなんじゃあハイネの相手は務まらないぜ?」
「今夜こそはって思ったのになぁ」
顔馴染みの冒険者が、残念そうな表情を浮かべながら隣の酒場のほうへと歩いていく。その後ろを冷やかしながら歩くのも馴染みの冒険者だ。併設された酒場を見ても、ほとんどが見知った顔ばかりだった。
ということは、新しくやって来た流れの冒険者は出歩いていないということで、夜の討伐に向かおうと考えている冒険者もほぼいないだろう。それなら、時間どおりに仕事を終えられるに違いない。
(あとは、本当に時間内に戻ってくるか、だな)
その後は予想したとおり依頼受付の仕事はほとんどなく、ほかの事務処理をテキパキとこなすだけで済んだ。そうして受付を閉じる午前0時になる直前、シルバーランクの剣士は有言実行とばかりに戻ってきた。
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