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第5話 意外な特技

 ニゲルがギルドや酒場にいるのが当たり前になってきたその日、俺は休みを取ることになったサザリーの代わりに日中の受付として受付台の前にいた。なんでも娘が急に熱を出したらしく、しかし夫は仕事で休むわけにもいかずにサザリーが看病することになったということだった。  ちょうどリィナの休日と重なっていたため、俺が代わりに一人で受付業務を行うことになった。  十年前、十八歳になったばかりだった俺は、ギルドの受付として初めてサウザンドルインズにやって来た。そんなド新人だった俺に、受付のあれこれを教えてくれたのはサザリーだ。  しばらくは二人で日勤をこなし、当時はサザリーが夜の受付もこなしていた。サウザンドルインズは比較的治安のいい街だが、だからといって夜更けに一人で帰宅する若い娘が安全だという保証はない。当時はギルドの近くにアパルトメントはなく、サザリーはギルドから徒歩十分ほどのところにある親戚の家に居候していた。  その日もいつもと同じように午前0時を回ってから帰路についたサザリーを、柄の悪い冒険者が待ち構えていた。優しい笑顔と気立ての良さで密かに人気だったサザリーに、一方的な思いを募らせていたのだろう。  暗闇に引き摺り込もうとする冒険者からサザリーを救ったのは、一人の男だった。男は行商人で、サウザンドルインズには冒険者に道具類を売るためにやって来ていた。  このときの縁でサザリーは男と結婚し、夫となった行商人はいまでも行商を続けている。今日も仕事で二つ隣の街まで行く約束があり、どうしても娘の看病ができないのだと、街を立つ前にわざわざギルドに寄ってくれた。 (本当にいい人と結婚したよな)  サザリーは俺にとって仕事の先輩だが、何かと世話を焼いてくれる姉のような存在でもあった。そのサザリーが幸せな生活を送っているのは俺としてもうれしい。娘もかわいい盛りだし、俺にも懐いてくれている。娘の看病のために休むというなら、喜んで代わりを勤めよう。 (まぁ、ほぼ徹夜明けっていうのは堪えるけど)  いや、徹夜になったのはニゲルのせいだ。あいつがしつこくシなければ、朝八時からの日勤にも十分耐えられた。  昨日のニゲルは、ギルドを閉めるまで酒場で待っていた。仕事が終わった俺に用意していた夜食を勧め、ついでに酒も奢ってくれた。  ニゲルとは、もう両手両足の指の数を超えるほどベッドを共にしている。食事と酒だけなら、その倍の数は共にしているだろう。  そんな付き合いが続くと、ただの体の関係というよりも友人のような気がしてくるから不思議だ。気がつけば、自分がサウザンドルインズから遠く離れた小さな村の出身だということや、親兄弟を知らずに育ったことなど、滅多に話さない身の上なんかを口にしていた。ニゲルのほうも、王都に近い街で育ったことや、十四歳でギルドに登録し冒険者になったことを聞かせてくれた。  十四歳でギルドに登録したことには驚いた。早くて十六歳、大抵は十八、九で登録を認められるというのに、やっぱり相当な腕前なんだろう。それなのに、どうしていまだにシルバーランクなのか気にはなったが、そこまで踏み込んで聞くのはさすがに遠慮した。  そんなふうに親しく話をする間柄になったからと言って、別に恋人というわけじゃない。相変わらずセックスはするものの、そういう関係に俺は十分満足している。  昨夜は、成り行きでニゲルが止まっている宿屋に連れ込まれてしまった。宿屋の主人とは何度も顔を合わせているからか、昨夜も生ぬるい笑顔で迎えられたような気がする。そういうのが嫌で流れの冒険者とベッドを共にするときにはホテルか清潔な連れ込み宿を取ってもらっていたんだが、一度それを口にしたとき、初日に泊まったホテルを月単位で借りようとしたので慌てて止めた。  ニゲルは懐に余裕があると言っていたが、それでもホテルに宿泊し続けるなんて馬鹿げている。俺がそう言えば、にこりと笑いながら「ハイネさんとの逢瀬のためなら、お金なんていくらでも使いますよ」なんて恐ろしいことを言う姿に目眩がした。  ニゲルという男は、本当は馬鹿なのかもしれない。冒険者としての腕は確かなんだろうが、体だけの関係でしかない俺に莫大な金を使おうだなんて馬鹿げている。  そりゃあ奢ってもらうのも目的の一つではあるが、ほどほどで十分だ。美味しい料理と酒、それに清潔なベッドと風呂があればいい。それ以上の施しなんて必要ない。 (必要以上に貢がせるなんて、それじゃあ娼婦か愛人じゃないか)  そんな存在になりたいわけじゃない。後腐れがなく面倒なこともない、お互いに欲を吐き出すだけの関係で十分だ。  性欲以外の欲が混ざれば、必ず面倒なことが起きる。気持ちを伴えばろくなことにならない。俺はそんな目にあいたいとは思わない……これまでも、これからも。 「あれ? 今日はサザリーさんじゃないんだ?」 「はい、娘さんが熱を出したみたいで。今日は一日俺が受付なんです」 「ほんとに? 黄金の受付嬢に受け付けてもらえるなんてラッキー」 「誰が受け付けても変わりませんよ?」 「いやいや、黄金の受付嬢は幸運の女神だって、ずっと言われてんだぜ? なぁ?」 「そうそう、みんなハイネに受け付けしてもらいたいんだけど、いつもは夜間だろ? さすがにそう頻繁に夜の依頼を受けるのはなぁ」 「今日来てよかったなー。よっしゃ、せっかく幸運の女神の名前を登録できるんだ、お宝探しに古代遺跡にでも行くか」 「お、そりゃいいな。俺もそうするか」  気がつけば、馴染みの冒険者たちの多くが古代遺跡の依頼書を手にしていた。中には明らかに自分のランクより下の依頼書を持ってくる冒険者もいたが、本人がそれでいいと言うのを止めるわけにもいかない。  列ができ始めたのを解消するため、俺はひたすら受付業務をこなすことにした。そうして昼休憩に入ったとき、以前サザリーに言われたことを不意に思い出した。  あれは俺が夜の受付担当になることが決まった日だった。サザリーに「ハイネの名前争奪戦も、これで少しは落ち着くわね」と、苦笑混じりに言われた内容。あのときはよくわからなかったが、今日のことでなんとなく察することができた。  冒険者が依頼を受けるときには、ランクチェッカーに受付の名前も登録する。今日、列を成していた冒険者たちは、ランクチェッカーに俺の名前を登録したかった、ということなんだろう。誰が受け付けようとも何も変わらないと思うが、験担(げんかつ)ぎの一種だと思うことにし、午後の受付業務もひたすらこなすことに専念した。  達成済みの依頼書が入った箱を見ると、多くが古代遺跡に関する内容だ。それに苦笑しながら、一度受付を閉めて夜の準備を始めようとしていたとき、ギルドの外が騒がしいことに気がついた。  中途半端に開いているドアの向こうから何人もの声が聞こえる。ただの話し声ではなく、焦ったような大声も混じっていた。  これはただごとじゃないかもしれない、そう思った俺はギルドの外に出た。 「誰か薬学士を連れてこい!」  薬学士、と聞いて、怪我人か病人が出たのだとわかった。  薬学士は、魔術を使わずに病気や怪我を癒すことを生業にしている職業だ。大きな街には何人もの薬学士がいるが、サウザンドルインズには一人しかいない。それも結構な年齢のおじいさんで、年若い孫は弟子になったばかりだと聞いている。年寄りに急いで来てもらうにしても限界があるだろう。  輪になっている冒険者たちの後ろから、中心のほうを見る。そこには服のあちこちが破れ、露わになった肩を掴んで呻いている男が横たわっていた。顔にはこれでもかと脂汗が流れ、手で押さえている肩には黒ずんだ血が見て取れる。 (あれは……もしかして)  遠目では黒ずんで見えるが、灯りに照らされた部分は緑色にも見えた。  普通、人間の血は固まるにつれて黒ずんでいく。それが変色しているときは、大抵が毒に侵されている場合だ。  毒を持つ魔獣に襲われたか、もしくは運悪く毒素や毒液を撒き散らす植物で切ってしまったか。どちらにしても、早く毒を取り除かなければ命に関わるだろう。 (薬学士で間に合うだろうか……)  薬学士は症状を診てから原因を特定し、薬などを使って治療を行う。そのため、魔術士のようにすぐさま治療することはできない。  ギルドや酒場に癒し手である白手袋の魔術士がいれば話は早かったのだろうが、残念ながらここ一週間ほどは白手袋を見かけていない。そもそもサウザンドルインズのギルドで扱う依頼書には白手袋の魔術士が絶対に必要な案件が少ないから、訪れる白手袋の魔術士も少ないのだ。  だから薬学士を連れてこいと叫んだのだろうが、見る間に顔色が悪くなる男に、集まった冒険者たちも焦りの色を見せ始めていた。 「あの、正式な白手袋ではありませんが、俺が診ましょうか」  思わず口に出してしまったが、少しだけ後悔した。  ギルドの受付になったとき、自分が白手袋を目指していたことは忘れてしまおうと決意した。なぜなら受付に魔術士の力は必要ないし、知られて再び冒険者にならないかと誘われるのが面倒だったからだ。それに、二十代を前にもう一度白手袋を目指すのは体力的にもつらかった。  俺はこの先ずっとギルドの受付で生きていく、そう思って白手袋のことは言わずにきた。 「え? ハイネさんって、白手袋だったんすか?」 「いえ、そこまではいかなかったんですけど、解毒はできると思います」 「この際、魔術士かどうかなんていい。薬学士が来るまで保ちそうにない。頼めるか?」  おそらく横たわっている男を知っている冒険者なのだろう。大きな体をかがめ、必死に男に声をかけていた顔が悲痛な表情で俺を見た。  俺は少しばかり抱いていた後悔を振り切り、こくりと頷いて輪の中心に近づいた。  ++++  結論から言えば、解毒は成功した。久しぶりに魔術を使ったからか体はひどく疲れていたが、一人の命を救ったのだと思えば安いものだ。  その場に居合わせた冒険者たちからは、案の定「冒険者にならないのか」だとか「喜んでパーティを組むのに」といった言葉を投げかけられたが、すべてにこやかに微笑んで受け流した。  騒ぎがあったから遅れてしまったが、夜の受付を開かなくてはいけない。倒れていた男のそばにいた冒険者に、礼だと言って渡された魔力回復薬を一気に飲み干す。 「……へぇ、飲みやすくなったんだ」  昔は妙に甘ったるくて苦手だったが、わずかに桃のような香りがする回復薬は随分と飲みやすくなっていた。まぁ十二年も経てば味も効果も改良されるか、そんなことを思いながら受付台の前に座ったところで、見慣れた気配の人影に覆われた。 「依頼の受付ですか?」  見上げれば、予想どおりニゲルだった。軽装備を身につけているということは、今夜は依頼をこなすつもりなのだろう。  だから受付かと先に言ったのだが、なぜか俺をじっと見るだけで口を開こうとしない。 「ニゲル?」  いつもと違う雰囲気に、思わず名前を口にした。  すると、スッと依頼書を差し出してきた。Sランクの夜行性二ツ脚型魔獣討伐とは、また危険な依頼を……。そう思いはしたものの、ニゲルの腕なら心配はいらないだろうと思い直す。 「今日は朝から仕事だったんですね」 「サザリーが急に休みになったからね」 「ということは、明日は休みですか?」 「いや、いつもどおり夜の仕事がある」  そんな会話をしながらテキパキと受付処理をし、手渡されたランクチェッカーに登録を済ませる。 「でも、朝までシても平気ですよね」 「は?」 「これ、さっさと終わらせて来ます」 「ちょっと、」 「今夜はホテルにしましょう。部屋を取っておきますから」 「おい、」  俺の言葉なんて聞こえていないのか、勝手に今夜の予定を告げたニゲルは、さっさとランクチェッカーを首から下げてギルドを出て行った。いつもとあまりに違う様子に、呆然となる。  たしかに多少強引なところはあるが、いつもは俺の話を聞くし勝手に予定を決めたりはしない男だ。それに翌日の俺の仕事を考えることも忘れず、そういう意味でも理想的なベッドの相手だった。 (何なんだ)  本当は呼び止めてどういうことか聞きたかったが、仕事を放ってまで追いかけることはできない。それに、あまり大声で名前を呼ぶのも気が引けた。  おそらくギルドや酒場にいる冒険者の多くは、俺とニゲルの関係を知っている。というよりも、俺が冒険者と寝ることを知らない人のほうが少ないだろう。  それでも、まるで痴話喧嘩をしているような姿は見られたくなかった。俺は痴話喧嘩をするような相手は作らないし、そんな相手がほしいとも思っていない。もし誤解でもされて変に言い寄られるようになっても困る。 (そもそも痴話喧嘩じゃないし)  そんなことを思いながら書類にハンコを押していると、またもや大きな人影が受付台に近づいてきた。 「ニゲルとうまくいってないのか?」 「ヒューゲルさん」 「困っているのなら、俺から話をしようか?」 「いえ、大丈夫ですよ。もし何とかしたいと思っていたら、自分でなんとかしますし」 「知ってるでしょう?」と言いながらにこりと笑えば、「そうだったな」とヒューゲルさんも笑う。  なんだかんだ言って、ヒューゲルさんとは長い付き合いだ。ベッドを共にするようになったのはここ二年くらいだが、その前から受付と冒険者としてよく知っている。冒険者の中でランクチェッカーに俺の名前をもっとも多く登録しているのは、おそらくヒューゲルさんだろう。  そのくらい古い仲でもあるヒューゲルさんは、こうしてたまに俺のプライベートの心配までしてくれた。 「それでも困ったことがあれば、遠慮なく相談してくれてかまわないよ」 「ありがとうございます」 「それから、これは差し入れだ」  大きな手に握られた瓶は魔力回復薬だった。しかも最上位の金色の瓶だ。 「ヒューゲルさんの耳にも届きましたか」 「しばらくは噂で持ちきりになるだろうな。『黄金の受付嬢は白手袋の女神でもあった』と、すでに十人から聞かされている」 「あー、それは申し訳ないと言うか……」 「いや、俺はハイネが白手袋の女神だと知っていたからな。むしろ誇らしく思うよ」 「やめてください。俺はもう白手袋を目指していないんですから」 「ははは。それより魔術を使ったのは久しぶりだろう? あとでドッとくるだろうから、寝る前に回復薬を飲んでおいたほうがいい」 「ありがとうございます」  改めてお礼を言うと、ヒューゲルさんは「体には気をつけて」と微笑みながらギルドを出て行った。てっきり酒場に来たついでだと思ったんだが、もしかしてわざわざ回復薬を渡すためだけにギルドに来たんだろうか。  昔からいい人だとは思っていたけれど、ヒューゲルさんもサザリーと同じで面倒見がよいのだろう。今度何かお礼をしないとな、そんなことを思いながら俺は粛々と受付業務を続けた。

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