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第14話 焦燥

 宣言どおり受付業務終了前に戻ってきたニゲルを連れて、今夜は自分の部屋に帰った。  恋人になってからは、ホテルよりも俺の部屋かニゲルが借りている宿屋に行くことが多い。それでも宿屋の主人の生ぬるい視線が気になって、最近ではもっぱら自分の部屋にニゲルを誘っていた。  昼間のうちに買っておいたエールと、ニゲルが酒場で調達した軽食をつまみに酒を飲む。  今夜の闇魔蝶(ダークバタフライ)の討伐は、俺が予想したとおり解毒魔術の触媒用に鱗粉を手に入れるために受けたもので、討伐報酬はついでだとニゲルが笑っていた。必要な分を手に入れたニゲルは、加工を加えるために明日、首飾りを道具屋に持って行くのだという。ますます貴重な首飾りになるなと思いながら、指先で滑らかな石を撫でた。 「気に入ってくれました?」 「え?」 「さっきからずっと撫でてるから、気に入ってくれたのかなと思って」 (そうか、そんなに触っていたのか)  無意識とは恐ろしいもので、指摘されるほど触っていたことに気づいていなかった。  首飾りの石は、ニゲルが古代遺跡から持ち帰った太古の富(エンシェントウェルス)だ。三週間かけて探し求めていたのは、魔術や魔力に影響を与えるこの遺物だったらしい。  石を手のひらに載せ、「どうしてもハイネさんの目の色のものがほしくて、時間がかかってしまいました」とはにかんだニゲルの顔を、俺は一生忘れないだろう。  そもそも、三週間で目的の太古の富(エンシェントウェルス)を見つけ出すなんて奇跡に近い。そう言ったら「さすがに俺一人じゃ無理なんで、プラチナランク級の探索士を雇いました」とニゲルが笑った。プラチナランク級という言葉に口元が引きつりそうになったが、うれしい気持ちに変わりはない。  ニゲルが見つけた石は魔力を貯めることができ、枯渇したときに取り出せる力を持つ遺物だった。それだけでなく、複数の魔術の威力を増幅することもできるそうだ。今回ニゲルが手に入れた闇魔蝶(ダークバタフライ)の鱗粉を使えば、解毒魔術の威力を増す道具にもなる、というわけだ。  白手袋ではない俺にこんな道具は身に余ると言ったのだが、またいつ魔術を使うことになるかわならないだろうからとニゲルに言われ、おとなしく受け取った。  お守りだと思えばいいかと思いつつ、内心では自分でも驚くほど喜んでいる。だからといって、うれしいという気持ちを素直に表せないでいた。なんとなく喜んでいる姿を見られるのが恥ずかしかったからだ。 (まぁ、ニゲルならとっくにわかっていそうだけど)  そんなことを思いながら、丁寧に首飾りを外した。そうして手のひらに載せ、ゆっくりと自分の魔力を石へと転移させる。するとニゲルの硬い手が石に覆い被さるように置かれ、じんわりとした暖かさを感じた。  こうしてニゲルが魔力を石に移すのは、隣街で首飾りに加工した石を渡されたときからだ。膨大な魔力を貯められるのなら思い切り貯めておきましょうという理由からだったが、きっとニゲルなりに俺を心配してくれてのことだろう。  街では俺が高度な解毒魔術を使えることが知れ渡っているから、いつまた魔術を必要とされるかわからない。頼まれれば断ることは難しいだろう。そんなことが続きでもすれば鍛錬していない俺の魔力はすぐに枯渇し、間違いなく倒れてしまう。  さすがにそこまでのことは起こり得ないと思うが、俺に関して心配性でもあるらしいニゲルは「用意しておくに越したことはないです」と言って、毎日のように俺と一緒に石に魔力をこめるようになった。 「なんだかこうしていると、本当に恋人になったんだなぁって気がします」 「は……?」 「だって、初めての共同作業じゃないですか」 「何を言い出すかと思えば……」 「やっぱり俺もサウザンドルインズに住もうかな」 「それはまぁ、ニゲルの好きにすればいいと思うけど」 「そこは『一緒に住む?』って言ってほしいんですけど」  何を言っているんだと目の前の顔を見ると、灰青色の目がジッと俺を見ていた。真剣な眼差しに視線を少しさまよわせたあと、重なったニゲルの手を見る。  ニゲルは、一箇所に定住することなく様々な街へと移動しながら依頼をこなす流れの冒険者だ。もし本当にサウザンドルインズに住むというなら、宿屋ではなく家を探さなくてはいけない。  この部屋がもっと広ければ一緒に住むこともできるだろうが、なにせ男の一人暮らしがやっとのアパルトメントの小さな部屋だ。寝室も兼ねている居間には、いま座っている二人がけのソファと小さなテーブルがあるくらいで、部屋の半分はベッドに占領されている。風呂もシャワーしかない小さなもので、かろうじて横に洗面台がある程度だ。キッチンなんて呼べるものはなく、酒を冷やすことはできても本格的な調理は難しい。 (もし俺が「一緒に住もう」と言えば、すぐに家を探しに行きそうだな)  ニゲルの行動が読めて、思わず苦笑してしまった。 「なんで笑うんですか?」 「いや、なんでもない」 「まぁ、笑った顔もかわいいからいいですけど」 「別に普通だから。って、ほら、もう今日は十分。今夜は依頼も受けたんだから、これ以上魔力を使うのは禁止」  そう言って首飾りをニゲルに渡す。受け取ったニゲルは丁寧に布で包み、テーブルの上の金縁眼鏡の隣に置いた。 「今度の加工は二、三日かかるそうです」 「まぁ滅多にない石だからね。それより、また隣街にまで行かせて……」 「ごめんは無しですよ。俺が好きでやってることですから」  サウザンドルインズにも加工を担う道具屋がいくつかあるが、太古の富(エンシェントウェルス)を加工できるほどの設備と腕を持った職人は見つからなかった。  そこで加工技術の優れた隣街に持っていき、首飾りにしてもらったのだ。今回の加工も同じ職人に頼むため、明日の朝一でニゲルが隣街まで行くことになっている。 「……うん。ありがとう」  にこりと笑ってそう言えば、「かわいいなぁ」と言ってキスをされた。 「問題は、首飾りがない間にハイネさんが魔術を使ったりしないかってことですよね」 「だから、もうそんなことは起きないって。あのときだって緊急じゃなければ声を上げるつもりはなかったんだ」 「でも、ハイネさんが解毒できるって大勢が知ってしまってるんですよ?」 「大丈夫だよ。それに、いまなら正式な白手袋だったアイクがいるんだし……」  そこまで口にして、夕方見たアイクの表情を思い出した。あれは、ただ知っている冒険者を見送るだけの目には見えなかった。  どうして“黒手の剣士”の呼び名を知っていたのかわからないが、きっとアイクはニゲルがそうだと思っているのだろう。ニゲルのほうには覚えがなくても、どこかで目にして……、それで、何か強く思うことがあったのかもしれない。俺がそう感じるくらい、あの目は……。 (ああいう目を、恋してる目と言うんだ)  俺がいま恋をしているから気づいたんだろうか。それとも、恋に鈍い俺でもわかるくらいのものだったんだろうか。  どちらにしても、恋をしている目に見えた。それに表情も、そういうふうに感じられた。 「ハイネさん、疲れてます?」 「……少しだけ」  これまでもニゲルに熱い視線を送る人たちを見てきた。ニゲルがサウザンドルインズにやって来た当初なんて、ベッドに誘う女性が山のようにいたのも見ている。  あのときは何も思わなかった。というより、ニゲルに思いを告げた日まで気にしたこともなかった。 (でも、いまはもう無理だ)  気にしないなんて、できそうにない。見ない振りなんて無理なことで、些細なことでも気になってしまう。いろんなことが怖く思えて仕方がなかった。  ざわめき出した気持ちをどうにかしたくて、隣に座っているニゲルの肩に頭を乗せる。 「甘えてくれるハイネさんも、かわいいですね」 「……ばか」 「かわいくばかって言うところも、かわいいです」  硬い手が肩に回り、優しく撫でてくれる感触にホッとした。そのまま長い金髪を撫でる仕草に胸が疼く。あぁ、俺はニゲルが好きなんだと思い、じんわりと熱が上がった気がした。 「疲れてるなら、今夜は寝るだけにし……」  ニゲルが言い終わる前にキスをした。  俺を慮って寝るだけにしようなんて、そういう優しさはいまはいらない。胸の中に渦巻くざわざわとしたものを早くどうにかしたくてたまらなかった。そのためには、ニゲルと抱き合うのが一番いい。 「積極的ですね」 「そういう俺は嫌?」 「いいえ、そんなハイネさんもかわいいと思います」 「じゃあ……」 「疲れてません?」 「大丈夫。あ、でも魔術を使うのは、なしだから」 「わかってます」  にこりと笑ったニゲルに、もう一度キスをする。そうして唇が触れるか触れないかの状態で囁いた。 「魔術を使わなくても、ニゲルは十分に俺を満足させてくれるよ」  直後に齧りつくようにキスをされた俺は、ビリビリなんて関係ないくらいドロドロに抱かれた。  ++++  翌朝、ニゲルは早い時間に部屋を出た。ギルドの前でサザリーの夫と待ち合わせをし、連れだって隣町へと向かうためだ。  ちょうどサザリーの夫が行商で隣街に行くことを聞き、ニゲルのほうから護衛を申し出た。依頼でもないのにどうしたのだろうと訊くと、「だって、ハイネさんにとってサザリーさんはお姉さんみたいな人なんでしょ?」と言われて、意味がわからなかった。  ニゲルいわく、俺の姉のような存在ならニゲルにとっても同様らしい。だから、その夫も同じなのだと言う。  それなら同じように家族みたいに思っているヒューゲルさんはどうなんだと言いたくなったが、それとこれとは別だと言うだろうから指摘するのはやめておいた。  ニゲルからは「サザリーさんには『ハイネのこと、くれぐれも大事にするのよ』と釘を刺されたんで」という話も聞いた。その言葉にうっかり胸が熱くなった俺は、ニゲルに何度もかわいいと言われながらキスをされてしまった。  もはやニゲルの「かわいい」は口癖みたいなものに違いない。だから気にしなければいいんだとわかっているのに、言われたときのことを思い出すだけで口元がにやけそうになる。 「ニゲルが帰って来るのは夜かな」  熱くなった頬を手でパタパタと仰ぎながら窓の外を見た。  晴れ渡った空の先に、薄暗くこんもりした森が見える。いつの間にか魔獣が棲みつき、魔獣の森と呼ばれるようになった森だ。  今回ニゲルたちが向かう隣街は、魔獣の森の脇を抜ける比較的安全な街道の先にある。それでもニゲルが護衛を兼ねてと申し出たのは、最近耳にするようになった噂が原因の一つだろう。 「街の入り口付近でも見かけるようになるなんてね」  十日間で三度、サウザンドルインズの入り口で魔獣を見たという目撃情報があった。いずれも小型の魔獣で、見た目や動きから考えるとAランクだと思われる。  あの森が魔獣の森と呼ばれるようになってから何度かそういうことがあった。目撃情報だけだから、いまのところギルドも静観する方向で動いている。 「前の四ツ脚型魔獣のこともあるし、油断はできないか」  あのとき出現したのは森だったから、そこまでの大事には至らなかった。しかし、今後また魔獣が現れ人的被害が出そうだと判断されれば、対策を練らなくてはいけない。現れた魔獣がSランク以上なら、ギルドから正式に討伐依頼が出されることになるだろう。  ヒューゲルさんが討伐したあのSSランクの魔獣は、魔獣の森でも街に近いところに現れた。おかげで三カ月もの間、近隣の街と安心して往来することができなくなった。そのため近隣のギルドと協力して討伐依頼を出したくらいだ。  今回の目撃情報が、あのときのような魔獣出現の前兆でなければいいけれど……と、心の底から願う。 「それに、今度SSランクの魔獣なんてものが出たら……」  きっと、いや十中八九、ニゲルも討伐に向かうだろう。  シルバーランクの腕前と雷の魔術を使うニゲルなら、本来ゴールドランクが請け負うSSランクの魔獣相手でもなんとかなるかもしれない。それでも危険なことに変わりはなく、できればそういうことには関わってほしくないと思ってしまう。 「俺はギルドの受付なのにな」  冒険者が依頼を受けたいと言うのなら、よほどのことがない限り邪魔をしてはいけない。もし単独でランク以上の討伐依頼を受けるというのなら止めようもあるが、たとえばパーティを組んでの討伐なら止められないかもしれない。そもそも「止められないかもしれない」なんて考えること自体が受付としては失格だ。 「あーもう、止めよう」  起きてもいないことを考えても仕方がない。それよりも、今日の受付業務をしっかりこなすことのほうが大事だ。  俺は頭をふるふると振り、シャワーを浴びて気分を変えることにした。 「あの、ハイネさん」 「どうした?」  夜の受付業務が始まる直前にアイクから声をかけられた。受付台の前に座ったまま、そばに立つアイクを見上げる。 「あの、……明日、仕事の前に会えませんか?」 「明日って、……あぁ、明日は休みだったっけ」  こくりと頷いたアイクの柔らかそうな金髪が、ふわりと揺れた。 「どうかした? サザリーには言えないこと?」 「ええと、仕事の話じゃなくて……」  アイクの言葉に、ピンときた。きっと“黒手の剣士”のこと、つまりニゲルのことを話したいということだろう。  一瞬、胸の奥がざわりとしたが、キュッと唇を引き締めてから「わかった」と答えた。  その日、ニゲルは受付業務が終わる直前にギルドへやって来た。思ったよりも行商に時間がかかり、帰りが遅くなったのだと言う。受付窓口を閉め、二人連れだっての帰り道で「こんな遅くになるなら、護衛がついていてよかったってことだね」と言えば、少し疲れた表情ながら「魔獣は出ませんでしたけど」とニゲルが答えた。 「出なくてよかったよ」 「あれ? 俺の腕、信じてません?」 「そうじゃないけど、危ないことは起きないほうがいいから」 「それはそうですけど。……って、ハイネさん、今夜は宿のほうに来るって、」 「今夜はちゃんと休んだほうがいいよ」 「でも、」 「明日、サザリーのうちにお呼ばれしたんだろ?」 「あー、まぁ、はい」  今日のお礼にサザリーの娘がニゲルを昼食に呼んだのだと、夕方サザリーから聞いた。それなら疲れた顔なんて見せないように、しっかり休んでお呼ばれしたほうがいい。  それに……。 「それに俺も、ギルドに行く前にアイクと食事をする約束をしたんだ」  だから、今夜は一緒じゃないほうがよかった。もし二人きりになってしまったら、よくわからないざわざわとしたものを散らしたくてニゲルに縋ってしまいかねない。そんなみっともない姿は見せたくなかった。 (そもそも、何を焦っているのかよくわからないし)  そう、このざわざわとしたものは焦燥感に似ている。どうしてこんな気持ちになるのかわからないが、こういうときは一人でちゃんと落ち着いたほうがいい。 「また明日」  まだ何か言いたそうなニゲルにキスをし、くるりと踵を返してアパルトメントのほうへと足を踏み出した。

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