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第15話 憧れの人

 アイクに誘われて向かった店は、ギルドを挟んで俺が住むアパルトメントと反対側の川沿いにある小さな店だった。こちら側に来ることがほとんどない俺には馴染みのない店だが、近くに部屋を借りているというアイクは、「ここのミートパイ、とてもおいしいんですよ」とニコニコ勧めてくれた。 「それで、話って?」  話を切り出したのは俺だった。  食事も終わり俺はコーヒーを、アイクはソーダ水を飲みながら、少しだけ静かな時間が流れる。 「あの……、ニゲルさんって、“黒手の剣士”ですよね?」  いつもの快活な笑顔ではなく、少し緊張したような表情でアイクが訊いてきた。どう答えたものかと思いながら、コーヒーカップをソーサーに置く。 「個人的なことを、本人の知らないところで答えることはできないよ」 「そう、ですよね……。あの、すみません」  ぺこりを頭を下げるアイクの金髪が柔らかく揺れた。同じ金髪でも直毛の俺とは違ってふわふわで触り心地がよさそうだなと、揺れる髪の毛を見ながら口を開く。 「どうして俺にそんなことを訊くの?」  再び柔らかく金髪が揺れ、俺よりも濃い碧眼がこちらを見た。 「ハイネさんは、ニゲルさんの恋人だって聞いて」 「それじゃあ、ますます個人的なことには答えないって思わなかった?」 「……思いました、けど……。でも、サザリーさんに“黒手の剣士”って呼び名は知らないって言われて、ベテランのサザリーさんも知らないのなら、あとはハイネさんに聞くしかないって思ったんです」 「まぁ、随分前に流れた呼び名だし、噂で聞いたのも短い間だけだったからね」  あちこちで名を挙げる冒険者がいるなか、一瞬しか噂にならなかった冒険者の名前が忘れられるのは珍しくない。とくにニゲルの場合は“黒手の剣士”という呼び名を嫌がっていたようだし、本人が意図して広がらないようにしてきたのかもしれない。 「それにしても結構前に噂になった名前なのに、よく知ってたね」  ニゲルの話では、冒険者登録をした十四歳から十五歳にかけて呼ばれていた名前だそうだから、十年ほど前の話だ。本人が“くだらないプライベート”と呼ぶ時期に呼ばれていた名前だからか、いまでも“黒手の剣士”と聞くだけで眉が寄ってしまうらしい。 「僕の師匠が、“黒手の剣士”とパーティを組んだことがあったんです。あ、師匠って言っても三人目の師匠で、僕が十九で冒険者登録できるかどうかってときに助けてくれた人なんですけど……」  元白手袋であるアイクの師匠ということは、白手袋の魔術士だ。冒険者になったばかりの頃はよく声をかけられパーティを組んでいたとニゲルも話していたし、そのときに出会った人かもしれない。 「その師匠が、すごい剣士がいるんだって一度だけ話してくれたんですけど、それが忘れられなくて……。僕、本当は剣士になりたかったんです。だから“黒手の剣士”の話を聞いて、すごく憧れたんです」 「剣士って、きみが?」 「あはは、やっぱり無理だって思いますよね? 僕も途中で気づいてはいたんです。背は伸びないし筋肉もつきにくいし、向いてないんだろうなぁって思いながら修行してたんですけど。まぁやっぱり無理だってことで、最初の師匠には放り出されちゃいました」  笑顔だが、おそらくショックだっただろうし未練もあったのだろう。俺には笑っているアイクの目元が寂しそうに見えた。 「そのあと魔術士ならと思い直して修行を始めたんですけど、ギルドの登録に一度失敗してしまって……。そのときの師匠にも放り出されて、それで三度目に拾ってくれた師匠から“黒手の剣士”の話を聞いたんです」 「アイクもいろいろあったんだな」 「いえ、もう昔のことなんで全然平気です! まぁ結局冒険者になってもあまり役に立てなかったっていうか、魔術士にも向いていなかったみたいで、辞めちゃいましたけど」  寂しそうに微笑みながらソーダ水を飲むアイクは、おそらくまだ冒険者への未練を断ち切れていない。冒険者は辞めたが、少しでも関わりたくてギルドの受付になったのだろう。  そういう未練はよくないと言う人もいるが、白手袋を諦めた俺には未練や葛藤はよく理解できる。アイクは冒険者への思いを糧に真面目に仕事に取り組んでいるのだから、責められるところはない。  それにサザリーやリィナから聞いたとおり、アイクは正直で素直なんだろう。でなければ問われるままに自分の過去を話したりはしない。それでも、“黒手の剣士”の正体を知りたがっている理由がわからないうちは気を抜かないほうがいいだろうと思い、金縁眼鏡をクイッと上げた。 「それで、“黒手の剣士”を探してどうしたいの?」 「どうしたいっていうか、もしニゲルさんが“黒手の剣士”だったら、憧れの人の近くで働けるんだって、興奮してきて」 「興奮?」 「僕、いままで全部ダメダメだったけど、今度こそはって思ってるんです。憧れの人のそばで働けるのなら、もっとがんばれるような気がして、それで……」  興奮からか、少し潤んでいる碧眼がきれいだなと思った。キラキラした顔が眩しくて視線を逸らしたくなる。 (あのときの俺も、こんな感じだったんだろうか)  憧れの人のそばにいられるだけで毎日が楽しかった。いつか憧れの人の隣に立ちたいと奮起し、修行に励んだ。おかげで解毒の魔術だけは一流になった。  でも、俺の思いは憧れだけでは終わらなかった。憧れという強い思いは、いずれ別の気持ちに変わっていく。 「もしニゲルが憧れの人だったとしたら、どうする?」 「僕、もっとがんばれる気がします! 今度こそ放り出されないように、もっと一生懸命がんばれる気がするんです!」  真っ直ぐな気持ちが眩しい。いや、かつての俺もこんなふうに思い日々を過ごしていた。 (そうしていつしか、憧れが恋に変わったんだ) 「憧れの人じゃなかったら?」 「もちろん、仕事はちゃんとがんばります。あの、“黒手の剣士”は本当に憧れで、僕にとって英雄っていうか、そういう人なんです。もうパーティを組むことはできないですけど、でも憧れの人のそばで働けるだけで夢が叶った気持ちになれるっていうか」 「そっか」 「あ、でもニゲルさんもすごいですよね。みんなシルバーランクのままなんてもったいないって話してます。僕は一度しか剣を使ってるところを見たことないですけど、本当にすごい人だと思いますし!」 「え? 剣を使ってるって、」 「部屋を借りる手続きをするのに、一ヶ月くらい前に一度サウザンドルインズに来たことがあるんです。近道で森を通り抜けようとしたときに偶然見かけたんですけど、そのときの姿を見て“黒手の剣士”じゃないかって思ったんですよね」  日中にもフリーで討伐に行くことがあるから、そのときにニゲルを見かけたということか。  もし夜だったなら、剣だけでなく魔術を使っているところを見られたかもしれない。そうしたらアイクは俺に訊ねるまでもなく、憧れのニゲルをキラキラした眼差しで見ていたことだろう。  俺は、アイクが“黒手の剣士”だと確信を得ていなくてよかったと思った。そして今後も知り得ないだろうことにホッとしている。俺から教えることはないし、ニゲルも訊かれて正直に話すとは思えない。  ということは、アイクは永遠にニゲルが憧れの人だと知ることはない。そのことに安堵し、安堵している自分にため息をつきたくなった。 「あの! ハイネさんとニゲルさんが恋人だって、僕わかってるんで! ニゲルさんがすごいっていうのは憧れてるだけで、ニゲルさんが好きだとか、そういうことはありませんから!」  慌てたようなアイクの言葉は、おそらく本心だろう。アイクが正直な性格だというのは普段の様子からもよくわかっている。  それでも俺は答える言葉を見つけられず、微笑みながらコーヒーを口にした。  ++++ 「わぁ! 剣牙狼(サーベルウルフ)も討伐したことがあるんですね」 「サウザンドルインズに来る前だけどな」 「やっぱり剣士ってすごいなぁ。憧れます」  少し早めにギルドへ来ると、帰り支度を始めているアイクと軽装備のニゲルが話しているのが目に入った。穏やかに会話している様子は、同期の冒険者仲間といった感じだ。実際、同い年なのだし、アイクも魔術士として冒険者を経験しているのだから、あながち間違いではない。  だからどうということはないんだとわかっているのに、勝手に胸の奥がざわりと騒ぐ。 (別に、怪しいことなんてないのに……)  以前、ニゲルの背中を見るアイクの表情に感じたものは、“黒手の剣士”への過剰なまでの憧れだったことはわかった。それを俺が勝手に「恋をしているんじゃないか」と疑ってしまったのだ。  その後、ニゲルが“黒手の剣士”と知らないアイクからは、あのときのような熱烈な視線を感じることはなくなった。剣士になりたかった未練があるからか、腕の立つ剣士としてニゲルに憧れを抱いているようには見えるが、そういう目でニゲルを見る冒険者はほかにもいる。ニゲルのほうも話しかけられれば答えるといった感じで、どう考えても俺が心配するようなことは何もなかった。  それなのに、二人が話している姿を見るだけで勝手に胸がざわざわしてしまう。……そうだ、こういうのが恋だった。良くも悪くも自分ではどうにもできない感情が嫌で、十年以上も恋を拒絶してきた。  それでもニゲルが相手なら、恋をしたいと思った。いろんな感情が湧き上がっても大丈夫だと思い、そういうのが恋だとわかっているのに、胸の奥にざわざわとしたものを感じるたびに不安と焦りのようなものを感じてしまう。 「ハイネさん」  俺の気配に気づいたのか、くるりと振り返ったニゲルがにこりといつもの笑みを浮かべた。お気に入りのその笑顔を見ただけで、たったいま体内で渦巻いていたざわざわとしたものが消えていく。  恋って、なんて厄介なんだ……そんなことを思いながら、お気に入りの表情に小さく笑って答えた。 「思ったより早かったんだ」 「見回りだけですからね。森の出入り口でAランクの魔獣は見かけましたけど、特に変わったところはありませんでしたよ」 「そっか」  何もなかったと言うニゲルにホッとした。  朝、自分のベッドで目が覚めたときには、もうニゲルの姿はなかった。  ここ数日、街の入り口近くで頻繁に魔獣を目撃するという話が出ていたことから、何人かの冒険者で街の周辺を見回ることになり、今日はニゲルもメンバーの一人になっていた。八時過ぎに出るというニゲルに、「じゃあ見送りできるね」と言った俺だが、結局見送ることはできなかった。 (見回りがあるんだから、ほどほどにって言っておいたのに)  もしSランクの魔獣に遭遇すれば討伐することになるかもしれない。だから体力も魔力も無駄遣いしないほうがいいと言ったのだが、気がつけば下腹にビリビリを感じながら何度もイかされていた。  おかげで今朝はニゲルが出て行く音で目が覚めることもなく、昼前まで足腰が怠くて起き上がれなかったくらいだ。 (俺はそんなだったのに、ニゲルは元気だな)  思わずため息が漏れてしまうほど元気に見える。さすがは現役の剣士と言うべきか、セックスに手慣れ過ぎていると言うべきか。 「街の近くに魔獣が出ることって、これまでもあったんですか?」  アイクの問いかけに「昔はなかったんだけどね」と答える。 「じゃあ、最近ってことですか」 「うん。魔獣の森も、昔はただの森だったからね」 「そういえば、僕が最後に冒険者として依頼を受けた街でも魔獣の数が増えたって言ってました。それで白手袋の需要が高まったって」 「ギルドマスターからは、そんな話聞いてないな。サザリーは聞いてる?」  ギルドの奥の部屋で書類の転送をしていたサザリーに訊ねると、「正式には聞いてないわ」と返ってきた。 「サウザンドルインズは中心地よりずっと外れにあるから、まだそうでもないってことなのかな」 「じゃあ、これから魔獣が増えるかもしれないってことですよね」  カバンにペンやノートをしまいながらアイクが口にした内容に、ドキッとした。  もしいままで以上に魔獣が増えれば、一般の依頼だけでなくギルドからの依頼も増えるだろう。それは冒険者たちの仕事も増えるということで、ニゲルが危険に晒されるということでもある。腕の立つニゲルなら大抵のことは大丈夫だと思うが、それでもやっぱり心配になってしまう。 「大丈夫ですよ、ハイネさん」 「ニゲル?」 「ハイネさんのことは俺が守りますから」 「いや、そういうことじゃなくて」 「それに、俺はハイネさんを一人残したりなんて、絶対にしませんから」  仕事の準備をしていた手を取られ、キュッと握り締められた。剣ダコで硬い手の感触に、ほんの少し泣きそうな気分になる。 「はぁ~、お二人ってすごくお似合いですよね。なんていうか、物語に出てきそうっていうか」 「なに、言ってんの」 「だって美男美女、じゃなかった、美男美男で、見た目も華やかじゃないですか。それに相思相愛なのも素敵だなぁって。ね、サザリーさんもそう思いますよね?」  アイクの言葉に、奥から出てきたサザリーは苦笑を返している。 「いいなぁ。僕、こういうのも憧れなんですよね……」  アイクの小さなつぶやきに被さるように、ギルドのドアが開く音がした。見れば、相変わらず逞しい体つきの見慣れた顔が入って来るところだった。 「ヒューゲルさん、今日はお疲れ様でした」 「ありがとう……って、どうして隣の男は嫌な顔をしているんだろうな」 「なんでもありませんよ」 「まったく、相変わらずハイネの恋人は心が狭いな」 「あなた相手じゃなければ狭くはなりませんから」 「おや、ついに心が狭いことを認めたか」  笑いながら近づいてきたヒューゲルさんは、すでに普段着に着替えていた。今日の見回りにはヒューゲルさんも参加すると聞いていたから、一度帰宅して汗を流してきたのだろう。  ということは、俺が思っていたよりも早くに見回りが終わっていたということだ。それなのにニゲルが軽装備のままというのは……。 (ギルドに直行したのか)  おそらく、仕事前の俺の邪魔をしたくなくて部屋には来なかったんだろう。でも借りている宿屋に戻ることはせずに、ギルドに来た。俺が早めにギルドに来るようになったことを知っているニゲルは、俺に早く会いたくて直行した、ということだ。 (そっか……)  ざわざわしていた胸の奥が、今度はくすぐったくなってくる。  こんなにもニゲルは俺を好きでいてくれるのに、どうして俺は不安や焦りを感じたりしてしまうんだろう。そういうのだって恋なのかもしれないが、俺ももっとどっしりと構えられるようにになりたい。 「それより、いつまで手を握っているんだ?」 「え? あ、これは別に、」 「せっかく繋いでいたのに、邪魔しないでください」 「きみたちが相思相愛なのは、みんな十分に知ってるぞ?」 「ハイネさんを補給してるんです」  ますますギュッと握り締められた手を慌ててほどいた。見れば酒場にいた冒険者たちも働いている女性たちも、ニヤニヤした顔でこちらを見ている。 (は、恥ずかしいことをしてしまった)  思わず俯いた俺の耳に、「食べていかないのか?」というヒューゲルさんの声が聞こえた。「え?」と顔を上げれば、ドアのほうを見ているヒューゲルさんと、いままさに出て行こうとしているアイクが見える。 「食べないのか?」 「え!? いや、あの、」 「約束したとおり、奢りだぞ?」 「いえ、あの、また今度で、大丈夫です!」  なぜか大慌てのアイクは、大きくぺこりと頭を下げて勢いよくドアを出て行った。いつもならサザリーや俺に挨拶をしてから帰るのに、今日はそれもなかった。  変だなと思ってサザリーを見ると、「あらあら」という表情を浮かべている。 「どうしたんだ……?」  俺のつぶやきに、どうしてかまた手を握ってきたニゲルが「ハイネさんは気にしなくていいですよ」と、何か知っているふうな顔をした。

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