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第1話
「おい、起きろ」
梅雨明け宣言があったにも関わらず、雨で鬱々とした日が続いたある日、一之瀬 春輝 は不機嫌な声で起こされた。その後に聞こえたのは雨の音。今日も雨かとうんざりする。
春輝は小さく呻いて目を開けると、黒髪の、眼鏡を掛けたルームメイトがこちらを睨んでいた。スマートな顔は大人びていて、制服じゃなくスーツでも違和感無いよな、と春輝は思う。
「毎朝毎朝……ちょっとは学習しろよ。起こすこっちの身にもなってみろ」
朝から小言を言われ、春輝はムスッとした顔で起き上がると、彼、水野 貴之 は部屋を出ていった。
「へーへー、寮長さま……」
春輝は閉まったドアに向かって呟く。
まったく、何でよりによってコイツがルームメイトなんだ、と春輝はため息をつく。ベッドから降りて洗面所へ行くと、まだ重たい瞼を顔を洗って目を覚ました。
顔を拭いて鏡を見ると、寝癖がついていることに気付く。水を付けた手ぐしでそこを撫でつけると、ふっと短く息を吐いた。
マッシュヘアに大きな目、小さな鼻と口は童顔に見え、おまけに色白なので、春輝は密かにコンプレックスを抱いている。身長こそ高校生男子の平均くらいはあるが、ここでは体格のいい生徒も多いので、これでも学校内では低い方だ。
旭 学園高等学校。質実剛健を校訓とし、部活動の推薦入学や、特進コースを設けて学力アップにも力を入れている、アサヒグループの学校法人だ。特に部活を通して日本代表レベルの選手になる生徒は多く、春輝もフルート奏者として、部活推薦で入学していた。
そんな、何かしらの才能で特化した生徒をまとめるのは一筋縄ではいかず、細かい寮則と校則が定められており、中には何でこんな寮則が、と思うものもある。
寮長である貴之が春輝を起こしたのもその一環だ。
(遅刻者には罰則として、寮長の定めた寮内の掃除、そしてルームメイトも遅刻を見逃したとして、連帯責任)
春輝は寮則を脳内でそらんじると、またため息をついた。こんな寮則があるなんて知らなかったし、真面目にそれを守る貴之がルームメイトなんてついてない、と春輝は着替える。
貴之は三年生で、部活推薦が大半の生徒に対して珍しく、特進コースの生徒だ。それはクラス分けですぐに分かり、一、二組が特進コース、三、四、五組が普通コースだ。選択制ではなく、成績の上位から人数で決められる。また三年生になると、進路別に細かく授業が分かれるそうだが、一年生で、三組の春輝には関係の無い話だ。
夏服になった制服に、校章が入った青色のネクタイを締める。壁掛けの時計を見るとギリギリの時間で、春輝は慌ててカバンを持ち、部屋を出て鍵を閉め、食堂へと走った。
食堂で朝食を流し込むように食べて、走って校舎に向かう。ちなみに寮の玄関から校舎の昇降口までは、徒歩十秒だ。
息を切らせて階段を上がっていると、担任が前にいた。先生が出席を取る時にいなければ、遅刻だ。
「おー、一之瀬、朝から運動か? 精が出るな」
運動部の顧問である担任は、わざと足を早めた。春輝は出席番号が一番なので、何がなんでも担任より早く教室に入らなければならない。春輝は一段飛ばしで駆け上がった。それを見た担任は声を上げる。
「その脚力、陸上部で生かさないか?」
「部活は重複して入れないんですよねっ? 結構です!」
春輝はそう言って担任を抜かしていくと、大きな笑い声が後ろで聞こえた。昔から逃げ足は早いので、それだけは自慢だ。
教室に入ると窓際の一番前の席に着く。同時にチャイムが鳴って、担任が教室に入ってきた。
教室内がイスを引く音で騒がしくなり、チャイムが鳴り終わる頃にはしん、と静かになる。
その後出欠席を取り、朝礼が終わるとすぐに、クラスメイトが声を掛けてきた。
「今日もギリギリだったね、春輝」
「間宮 、おはよ」
春輝は彼を見て笑う。間宮一彦 は入学してから、何かと声を掛けてきてくれる、クラスの中では一番仲が良い生徒だ。背格好や髪型が春輝と似ており、後ろ姿だと区別がつかない、と他のクラスメイトによく言われる。しかし間宮は、開いているか分からないくらいの細い目をしており、ずっとニコニコしているので顔を見れば一目瞭然だ。
彼は部活に入部しておらず、理由は聞いていないけれどおそらく特進コースに入るつもりで入学したのだろう。けれど三組にいるということは、と春輝は気まずくて聞けずにいる。もちろん、部活をやりながら特進コースにいる生徒もいるから、成績があと一歩及ばなかっただけなんじゃないか、と春輝は思っている。
「ねぇ春輝、寮長と一緒の部屋って、やっぱりやりにくいの?」
間宮から突然そんな事を聞かれ、春輝は戸惑う。
「やりにくいって?」
「ほら、消灯後に部屋から出るのは禁止されてるだろ? みんなは行き来して喋ったりしてるから」
「あー……」
春輝は遠い目をした。
そう、細かい寮則と寮長の目をかいくぐるように、この学校には生徒だけに伝わる裏技裏道がある。実際消灯後は誰かが監視しているわけではないので、一番破りやすい寮則だ。
「うん……一度抜け出そうとしたけど、寝てるかと思ってたのに声掛けられて、心臓止まるかと思った」
あれは小姑並の地獄耳だね、と春輝は言うと、間宮は笑う。
「いちいちうるさいしさ。あ、でも寮則破らなきゃ、うるさくないのか」
でもやっぱりうるさいよ、と春輝は伸びをしながら言う。どっちなんだ、と間宮はまた笑った。
「宿題やれーとか寝る前に歯を磨けーとか。オカンかよ」
「……」
春輝がそう言って口を尖らせると、間宮は無言で苦笑する。そこでチャイムが鳴ったので、話はお開きになった。
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