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第16話
部屋を出て食堂に行くと、そこはいつもと違い、がらんとしていた。
二人とも無言で朝食を摂ると、警察から追加の事情聴取があり、そこで間宮の処遇を聞く。こうなれば退学は免れないし、春輝の私物も証拠として警察の手に渡ったと聞いて、正直ホッとした。
しかし、最後に警察が言った言葉に、春輝は言葉が出なくなる。
「しかし男子校でこんな事が起こるとはね。可愛い顔してるから間違えたのかな?」
ニヤニヤとして言った男は、あからさまに故意によるものだった。何も言えず春輝は俯く。
「……話は終わりましたよね。早く帰ってください」
貴之が言うと、彼らは嫌な笑みを浮かべながら去っていった。
春輝の身体が怒りで震える。
「何で……そんな事言われなきゃいけないんだよ……っ」
「一之瀬……」
確かに、童顔で色白なのは気にしていた。けれど春輝はれっきとした男だし、どう考えても悪いのは間宮だ。なのにどうしてこちらが嫌な思いをしなきゃいけないんだ、と春輝は悔しくなった。
その後部屋に戻ると、春輝はベッドに横になって過ごす。貴之も部屋にいて、机に向かって勉強をしていた。
そういえば、特進コースは夏休みなのに何も無いのだろうか?
「水野、夏休み中講座とかあるんじゃないのか?」
「ああ。……でもまぁ、そこは一之瀬が気にする事じゃない」
「いや気にするだろ。ずっとオレに付き合ってるじゃん」
自分のせいで貴之の進路に支障が出るのは、春輝は許せなかった。何かと世話になりっぱなしで、今更ながらこれでは不平等だと思い始めたのだ。
「一之瀬、俺はお前に謝らないといけない」
「謝る? 何を?」
貴之は身体をこちらに向けた。彼は思ったより真剣な眼差しをしていて、春輝は思わずドキッとする。
「もちろん、寮長としての責務もある。だけど……」
俺は犯人の目星がついていたんだ、と貴之は言った。
「……え?」
どういう事だと、春輝は貴之を見る。
「食堂の箸が、減ってるって相談があって……」
貴之はその理由を話してくれた。
どうして箸ばかりが減るのか、と貴之は思っていた。しかし、初めて春輝と一緒に食事をした時、間宮も同じタイミングで食器返却口に来て、先を譲られる。
そこで春輝が使った箸を盗っていたのを、見てしまったのだ。思わず二度見してしまい、春輝にどうしたのか聞かれて、咄嗟に嘘をついたという。
それからも宮下に協力してもらい、間宮を観察してもらったら黒だった。
けれど肝心の春輝は全く気付いていない様子だし、盗まれた物が核心に迫ってもおおごとにしたくないと言う。それなら、何も言わずにそばを離れないようにしようと思っていたと。
春輝はそれを聞いて、自分の鈍さを呪った。
「何だよそれ……それじゃあだいぶ前から、俺の箸ばっか盗ってたってことかよ……」
貴之は気付いていて、言わなかった。
いや、お前は鈍いと言われた。あれは忠告だったのだ。
「……昨日、間宮の部屋から大量の箸が出てきた」
「……っ」
おそらくできる限り毎食集めていたのだろう、かなりの量だったと言われ、春輝は気持ち悪くて震え上がった。
「……悪かったな。結果的に守ってやれなくて」
貴之は目を伏せる。表情はあまり変わらないけれど、声で真剣さは伝わってきた。
「……水野は水野でできる事やってくれたんだろ? なら、オレは何も言えないよ……」
「一之瀬……」
ごめん、寝る、と春輝は貴之に背中を向けた。こんな事になるまで間宮の好意に気付かなかった自分も悪い。ずっと間宮に期待させてたんだな、と思うとまた気持ち悪くなった。
◇◇
それから一日をゆっくり過ごし、コンクールの結果がネットの速報掲示板に載っていたので確認して安心し、また貴之と二人で食堂に行く。まだぎこちないものの、一人で歩けるようになったので、少しは回復しているらしい。
すると、食堂で春輝は注目を浴びている事に気付く。何で? と思ったけれど、それはすぐに分かった。
「アイツ、同級生に襲われたらしいよ」
「え? 同級生って……相手も男かよ」
「そうそう。それで木村冬哉が怒って暴れたって……」
「まじか、三角関係?」
春輝は歩きながら唇を噛む。どこから情報が漏れたのだろうか、おおごとにしたくないと思っていたのに、やはり人の口に戸はたてられない。
「一之瀬……やっぱり部屋で食べるか?」
「……いい」
気付いた貴之が気を遣ってくれる。けれど人の視線が痛くて、食堂の隅に席を取った。
「木村の事も、もっと上手く収められれば良かったな」
貴之が呟く。この分だと、冬哉の耳に噂が入るのも時間の問題だ。
「ああやって、寮長に取り入って守ってもらってるのか」
そんな声がして、春輝は思わずそちらを睨んだ。しかし、誰とも目が合わない。
貴之はため息をついた。
「明日から、しばらく部屋で食べよう」
春輝は頷く。どうして被害者はこちらなのに、こんな目に遭わなきゃいけないんだ。春輝はそう思いながら、味のしないご飯を食べた。
「おーおー、二人して暗い顔してどうしたんだ?」
いきなり横から声を掛けられて見ると、そこには宮下がいる。彼はもう食べ終わったらしく、岩のように大きい肩を回していた。
「宮下……心無い噂をお前も聞いただろう」
貴之がため息をつく。すると、宮下はますます声を大きくして言った。
「噂に左右されるつまんねぇ奴はほっとけ。それでも絡んでくるなら俺が相手してやるよ、どうだ?」
語尾に合わせて宮下は食堂を見渡す。しん、となった他の生徒たちは、慌ててご飯を食べ出した。柔道部のホープが相手では、誰も太刀打ちできないだろう。春輝は礼を言った。
「礼を言われる程の事はしてないけどな。それよりすまん、冬哉にその噂が回ったみたいだ」
春輝はサッと血の気が引いた。冬哉も噂の渦中の人だ、本当の事を説明しろと言われたら、言わざるを得ない。
「帰りのバスの中でその話ばかりだそうだ。本当の事を知っているかと、さっきからメッセージが止まらん」
いくら可愛い冬哉の頼みでも、こればっかりはお前らに相談しないとと思って、と宮下は苦笑した。
「宮下、木村の帰りは何時だ?」
「予定ではバスはもう学校に着いてる。楽器を片付けてから来ると思うぞ」
「よし、宮下、その件はまた後で。知らないで押し通せ。一之瀬、部屋に戻るぞ」
貴之は春輝のトレーを持つと、反対の手で春輝の手首を掴んで引っ張った。されるがまま貴之に連れて行かれ、部屋の中に急いで入る。
「……食堂で木村に会えば話が大きくなってややこしくなる。……大丈夫か?」
春輝は色んなことがありすぎて混乱して、その場にへたりこんだ。どうして自分ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
「……誰か説明してくれよ……何でオレばっかり嫌な目に遭わされんの? オレだって被害者だよなぁ!?」
そう叫ぶと、春輝は涙腺が崩壊した。どうして噂では春輝が特定されているのに、加害者の間宮はぼかされているのか。さらに、冬哉が絡むと噂は大きくなり、伝わるのも早くなる。
「だから警察に言うの、嫌だったんだよ! 外部の人が寮に入ったら、すぐに何かあったってオレだって思うよ!」
春輝は子供のように泣きじゃくった。拭っても拭っても溢れてくる涙は、どこから出てくるのかと思う程止まらない。
「なぁ水野、オレが悪いの!? 全部、オレのせいだっていうのかよ!?」
貴之はトレーを机に置くと、そっとしゃがんで春輝の肩を引き寄せた。貴之の腕に包まれて、春輝は何故かもっと泣けてくる。
「お前のせいじゃない……」
そう言われて、春輝は全身の力が抜けるほど安心した。
声を上げて泣き、春輝は貴之の背中に腕を回す。溜めていた感情を押し出すかのように、春輝はその腕に力を込めた。
温かい体温と、それに乗ってほのかに香る貴之の匂いに、春輝はホッとするのと同時に胸の辺りがキュッとなる感覚があった。それは優しく甘い感覚で、貴之のシャツを濡らすのも構わず、気が済むまで泣いた。
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