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第1話「―はいいけど、キスはなぁ…」 1
「――はいいけど、キスはなぁ…」
会社のパンフレットが行き違って、もう帰っちゃってた鴉岬 に届けようと思ってたワケ。残業してたオレに感謝しろっての。明日向こうさんでの会議前に会社寄るのダルいだろ。ま、いつも早めにご出勤のアイツはあんまり気にしなそう、手間増えても。社畜みたいなところあるし。渡すパンフレット間違えた新人が悪いんだけどさ。いや、悪いってこたないか。
レジデンス三住とかいう名前の割に、フロランタンみたいな外観の6階建てマンションで、結構いいとこ住んでるなぁって思いましたまる。でもオートロックじゃない。レジデンス三住3階の2号室だったはず。レジデンス三住ね。こういう場合ってレジデンスナンチャラカンチャラってカタカナじゃないの、ボロアパート住まいのオレには分からんけど。
エントランス入ろうとしたら若いにーちゃんが出てくるところで、2人すれ違えるほどの幅はなかったから先に通した。ここの住人かな。にーちゃんはぺこりんちょって頭下げてった。
オレは階段でてけてけ3階に上がった。会社じゃエレベーターだかんね。しかもここのところほぼ座りっぱ。ちょっと運動するくらいが仕事終わりのビールが美味くなるってもんよ。とかいって帰るときはエレベーター使うかなって途中で後悔したよね。とりあえずたどり着いて2号室を探した。L字が転んだみたいな構造で、1号室通り過ぎたら右に曲がってすぐ2号室。その奥が3号室だった。階段から上がって正面、通路の曲がり角にエレベーターがある。
2号室はなんかちょっとドアが歪んで見えた。近付くと、ちょっと開いてるみたいだった。閉め切ってない。不用心だけどなんか治安良さそうなマンションなんだよな。でもこういうそこそこ金持ちっぽい家の方が盗み甲斐あるのかな。空き巣のマインドなんて分からないけど。
玄関扉の四角い穴っぽこに入るかちゃかちゃが引っ掛かって閉まりきってないけど、律儀なオレはわざわざインターホンを押して上げた。そしたら1秒くらいで開いたから速すぎてめちゃくちゃびっくりした。ドア顔にがーんってぶつかるかと思ったもん。そしたら鴉岬 いつもは怒ってるんだか、そういうカオなのか分からない仏頂面なのに、目を赤くして驚いた表情 して出てきた。しかも厳 ちぃ眼鏡なくて、眼鏡ないとこんな素顔 してるんだって。オレもおったまげて何言おうとした忘れたもんね。ここに来た目的を。
「島莱 ……」
鴉岬 やっぱりまだびっくりしてて、そこから抜け出せそうになかった。そらそうだわな、退勤したと思ったらそんな仲良くない同僚がいきなり約束 無しで来てんだもん。
「ばんわんこ」
ふざけた挨拶してあげたら、ヤツは鼻をぐしぐし擦った。ずびずび音して、もしかして泣いてた?なんで?
「なんだ」
鼻声だし。風邪?明日大事な会議だって課長が言ってたけど。
「あ、新しいパンフ持ってきたんだよ。鴉岬が持って帰ったやつ、違うんだってさ」
ファイルに突っ込んだまま大きめの茶封筒を渡す。鴉岬は聞いてるのか聞いてないのか分からなかった。ぼーっと玄関の照明 が反射してるクリアファイル見つめてた。
「……鴉岬?」
「……あ、ああ、すまない。ありがとう。悪いな。わざわざ持ってきてくれたのか」
なんか元気なかった。いつも眉間に皺寄せてるのに。眼鏡ないのもなんかいつもと違うし。がっちがちに後ろに撫でてる髪の毛もちょっとぼさぼさ。これがオフの鴉岬なのかな。その姿見られて恥ずかしいのかな?
「帰り道こっちだからねぇ。新人くんも渡せなかった!ってビビってたから」
「そうか」
「うん。じゃあ渡したからね?帰りまぁす」
用件は済ませたし、特に無駄話する仲でも、鴉岬がそういう性格 でもなかった。足も帰ろうとしたときだった。
「待て」
語調が強いというか、上から目線というか、威張り腐ってる感じとか、そこは鴉岬だった。オレは待った。他の同僚からは嫌われてるし、部下からもちょっと苦手がられてるし、上司の評価は二分ってとこかな。仕事はできるしそれなりに礼儀はあるんだよな。
鴉岬は玄関からすって中に消えて、また戻ってきた。
「こんなものしかなくてすまないが……」
缶のお茶もらった。こういうことしてくれるんだ、って思った。
「いいの、もらって」
「ああ、もらってくれ。助かった」
明日大事な会議らしいけど、前日の夜こんな感じで大丈夫なんか?だってなんか鴉岬、泣いてない?風邪?
「鴉岬さ、だいじょーぶ?」
「は?」
なんかもうあとはオレがさっさと帰るって予想してたみたいな鴉岬はぼうっとしてたのに、オレを睨んだ。
「明日大事な会議って課長 さん言ってたのに、なんか元気無さそうだから」
「別に……平気だが……」
目、赤いし、潤んでるんだよ。熱っぽい。唇もぽてぽてして赤いさ。鼻声だし。いや、これ風邪ってか泣いてたんじゃないの。
「社運がかかってるとか、課長も部長も係長も、いくら優秀だからって、一社員にプレッシャー与えすぎなんだよな。ま、鴉岬らしく行こうぜ!」
でもでも鴉岬はオレのことじとーって睨んだままで、オレなんか変なコト言った?そういうコトじゃなかった?
「……俺は優秀か?」
お、鴉岬には珍しい謙遜。謙遜か?持ち上げられ待ちでゎ?そりか、嫌味。マウントがはじまるかも知れないわ。でも同期で一番優秀なのは本当で、同期と言わずもしかしたら上司よりも以下省略 。
「うーん、仕事"は"デキると思うな!」
強調することによって、性格は悪いよ!人望ないよ!っていう、婉曲表現のつもりだったんだ。で、頭のいい鴉岬のことだから、上手いことオレの言いたいことを呑み込めたんだろうね。急にしゅんとして、それはそれでオレもびっくりする。言い返してこいって。何しおらしくなってんだよ。
「……そうか。ありがとう。参考にする」
オレの思ってたのと違う反応やめてくり。罪悪感がボルテージマックスになるので……
「いやでもさ、誰しも得意・不得意あるじゃん?鴉岬がのびのびって変だけど、鴉岬にはありのままやってもらって会社の業績ぐーんと伸びてさ、人間関係とか内部事情のコトは同期としてオレが頑張る、ってことでどーよ?」
というふうに、円滑にできるぞ!ってトコを見してやる。あ、でも鴉岬って同僚とかのことライバルとか競争相手とか思ってそう。競争相手 は同業他社だと思うんですケド……でもあれか、同僚 なんか足元にも及ばんって認識 かな。
オレの全力のフォローのつもりの反応はビミョー。
「お、怒った?」
「いいや。確かにそうかも知れない。仕事だけできても仕方がなかった。もう少し、自分を省みる必要があるようだ」
「ど、どしたん、鴉岬。マジで明日の会議、プレッシャーになってね?だいじょーぶ?」
でももし「やっぱり無理だ」なんて言われてもオレ代われないから、ちょっとこう、オレも無責任な心配の仕方したかもなって。
「明日の会議は関係ない。平気だ。愚痴っぽくなってすまなかったな。とにかく、資料は確かに預かった。感謝するよ。寄り道させて悪かった。非常に助かる」
さっさと帰れムードになってきた。本当に平気かな~?なんて思いながらも。
+
会議終わった鴉岬が報告に会社に来た。メールとか電話で済ませればいいのに律儀なこってす。
ちゃんとやれたんだなぁって感心した。昨晩の状態 しんどそうだったけど、まぁ、社会人 だし、鴉岬はその辺の社会人よりしっかりしてるし、特にオレの心配する事柄 でもなかったってワケですな。オフィス横切るヤツを眺め、カバン入れたままだった缶のお茶をぐびぐび飲んだ。
昨日のビビり倒してた新人が駆け寄って、鴉岬にぺこぺこ頭下げて、そのうちキーボードかっちゃかちゃ鳴ってたりコピー機win-winいってる中で、小さくオレの名前出てきたのが聞こえた。鴉岬割りと本気でオレに感謝してくれてるのかもな~、みたいな。課長のデスク近いからかな。株上げとこ、みたいな?……なんてコトを考えてるオレのほうが案外イヤなヤツだったりして。
新人くんと話し終わった鴉岬はその後にオレのトコにわざわざ来てくれた。コーヒーの缶デスクに置かれる。
「昨日はありがとう。改めて礼を言わせてくれ。何かご馳走様させてほしい。飲みにでも行く…………か………?」
自分で言い出したクセに急に不安そうになって、マジで情緒不安定か?
「おん。焼き鳥屋とかどう?」
温室育ちのおぼっちゃん。個室のレストランとかしかダメそ?
「いいや、分かった。どこだ。予約を入れておこう」
ちゃんとしてるな~と思ったね。でも予約入れるようなところなんか?すぐ入れるケドな。オレはぽちぽちスマヒョいじって店名で検索かけた。画面見せると鴉岬も自分のスマヒョで調べる。
「分かった。空いている日をWINE で教えてくれ。その日に予約する」
「ほいほーい。このヒーコーもらっていいん?」
「ああ」
「じゃあいただきんこ。鴉岬もう帰宅?」
オレはコーヒーの缶ボトルを手に取った。なんかちょっと「よし」って言われてエサがっつくわんころりんみたいだったかも。
「お先にな」
「お疲れ~」
鴉岬はノリ悪いから手を振っても返しちゃくれなかった。でも会釈して帰っていく。オレはまだまだ仕事があって、若干残業の気配。
……オレって割りと面倒看いいのよ。自分でいうのも躊躇 なんだけど。仕事の鴉岬、人材育成の島莱 ってくらい。ウソ。そんなこと言われてない。
残業中のオレ、また泣く泣く仕事終わらせた新人くん。新人残らせるなよ……なんて内心思ったワケ。早々辞められちゃうで。なんかまたやらかしがあったらしい。大変ね~ってカンジ。じゃあお疲れ!って選択 もできたんだけど、いやいや、休憩所でズーンって沈まれてたら、さすがにね。
2日連続でお邪魔しまーす、は鴉岬さすがにキレるかな?まぁ、仕事だし仕方 ない。通り道ってワケでもないけどこのルート通っても家帰れるしレジデンス三住に寄った。
また今日も玄関扉が歪んで見えた。昨日よりも大きく歪んでて、近寄ってみたらドアフックがフックに引っ掛からないでドア枠にぶつかってた。だから閉まりきってない。不用心過ぎるし鴉岬ってこんな大雑把だっけ?几帳面で神経質なのは仕事だけなの?
で、さらに近付いたら、玄関ホールに人いた。人いたっていうか……オレは息を潜めた。ドアの影に隠れちゃった。
『んっ……あっ、あっ、あっん』
オレ、顔熱くなっちゃった。玄関でナンカしてる。なんかシてる。何、何、何。確かに302号室なんよ。ドアプレート、もう一回確認したもん。3階の2号室。ここ鴉岬の部屋のはず。え、引っ越したの?いつ?今日引っ越す暇なんかあった?いや、よしんばどうにか時間作って今日引っ越してたとして、入居者そんなすぐはいるもんなん?人気物件ってコト?え、鴉岬マジで引っ越した?
『ふ、んっ、あっあ、あ、』
オレは汗だくになっちゃった。カノジョ連れ込んでるの?ぱつぱつ音する。拍手かな?
『カラダはおれから離れらんねぇみたいだけどよ』
やっぱり鴉岬引っ越した説濃厚だった。鴉岬じゃない男の声がした。どゆこと?じゃあ昨日この家にいた鴉岬がおかしいの?訳分からん。
『あ、あ………あっ、』
カレカノの変態プレイ、いやいや、割りとありがちでメジャーで短絡的な玄関プレイをこのまま聞いているのもなんだか癪なので、オレは帰ろうと思いまーす。ただやっぱり腑に落ちんちんだったのは、鴉岬いつの間に引っ越したんだろ?ってコトだった。念のためにまた確認するけど、ここは302号室だった。オレが変な夢みてて、昨日鴉岬と会ったのがそもそも幻だってコト?
『やめ、………ろっ!』
え?
オレはぎょっとした。鴉岬の声がした。3Pってことなのかな?スリーポイントシュートってコト?ルームシェアしてたのかな。さっきからぱちぱち鳴ってた拍手がやむ。
『やめろ、もう帰れ……帰れよ、帰ってくれ……』
鴉岬の声だった。でも震えてて、ちょっと鼻声だった。風邪?泣いてるん?
『なんだよ。まだイってないクセに』
『自分でどうにかする……もう終わったんだろう?二度とここには来ないでくれ』
オレヨクワカンナイ。何これ。どゆこと?カノジョは?は?カノジョがいて、鴉岬がいて、もう1人男がいるんじゃないの?カノジョのコトで、2人が喧嘩してるの?取り合い的な……
『帰れ!帰ってくれ!もう顔も見せるな。嫌いだ、お前なんか!』
ドアが開いて、オレは背伸びして壁にぴったりくっついて隠れた。ドアが迫ってくるけどおかけで死角になってくれた。
すたこらさっさ、ってほどじゃないけど、ちょっとなんかチャラそうなにーちゃんが出て行くのが見えた。ヤンキーの弟?って一瞬思っちゃった。じゃあさっきの声は?って思い出して、カノジョ困らせてたからお兄ちゃんの鴉岬が怒 なんだ、って考えたけどしっくりこなかった。
溜息がドアの板っぺら1枚奥から聞こえて、ぱたん、って閉まった。まぁこれからインターホン押すのでまた開けてもらうんですケドね。いやいや、この流れでインターホン押すの?タイミング最悪すぎるでしょ。あのにーちゃんが悪いの?ミス多いうちの職場?意外となんでも引き受けちゃうオレの自己責任?
あれこれ考えてても仕方がない。風呂入られたり寝られたら終わるので。オレは勢いのままインターホンを押した。そしたらマジで秒でまたドアが開いて、あんまりの勢いに風がふぁさ~ってオレの髪を靡かせた。またびっくりしてる鴉岬が出てきて、眼鏡無いし三日徹夜 したみたいに充血してる。「は?」みたいな表情 してオレのこと見てるケド、「は?」はオレですよ。
「ばんわんこ」
オレもまたこのカオみたら用件忘れたよね。とりあえず何事も挨拶からが基本。とりあえず挨拶できておけば仕事できなくてもそこそこ人には気に入られる、なんてね。
「あ…………………ああ、コンバンハ」
鴉岬フリーズしてた。いつもきっちりかっちりしてる鴉岬が結構ラフな服装 してて二度びっくり。大分前に帰ったのにまだスーツ着てたんだ。第三ボタンまで外してるのは、いただけない。インナー見えてるよ。裾も出てるし。首の赤いぽっつぽつは虫刺されなのカナ?
「……会社用PC持ち帰ったっしょ?」
「ああ」
「データ入ってるのそっちじゃなくて、こっちだってさ。申請書の番号も書き換えといたから。事務さんにも話通してあるから。月曜来ないで火曜日そのまま出張なんだろ?」
鴉岬まだ頭切り替わってなかったっぽい。オレもまだ切り替わりきれてないもん。そこはそんなスマートじゃないんだな。そらそうか。退勤して無防備にもなるわな。ここの会話分、会社はオレ等に残業代出すべき!
「そ、うだな。月曜はT社に行って……火曜日はそのまま出張になる……」
「理解 。じゃ、今日持って帰ったやつはオレから帰しとくわ。管理部も事情知ってるはずだから」
「あ、ああ。ちょっと待っていてくれ。今持ってくる」
今の鴉岬なら簡単に騙せそうだった。別に騙すコトないけど。やっぱり仕事モードに切り替わってない。また鼻声だし。実は泣き虫なん?
鴉岬は部屋の奥に消えて、またすぐに戻ってきた。会社用のパソコンカバンを交換する。
「二日連続ですまないな」
「いーえ、別に。んじゃ、また月曜の大会議、火曜の出張、頑張ってくだしあ」
で、鴉岬のカオがやっと切り替わって、一気に眉間に皺寄った。いつの間に眼鏡戻ってるし、シャツのボタンも裾も直してあった。家なんだから別にいいんだけど、着崩してても……
「……島莱」
鴉岬はちょっと周り気にしてからオレに手招きする。そういうことするんだ、って思いながら鴉岬の家の玄関入った。
「お邪魔 します」
まるでオレが悪いコトしたみたいにじろじろぎろぎろ睨まれる。
「あ、あんまり手厳しく怒らないであげてね。ミスだから怒られんのは仕方ないにしても、そこまで厳しくは……」
「確認を怠ったのは俺だ。怒らないよ、べつに」
玄関ホールになんか蒸れた匂いが籠もってる気がした。鼻声でちょっとなんかいつもと違う鴉岬が怖い。無言を作るな!って思っちゃった。何故かって?さっきのこと掘り返さないと逆に不自然感すらあるからだよ。
「島莱」
「ほい」
睨んでるのか上目遣いなのか分かんない。背は鴉岬のほうがちょっと高いのに項垂れたまま黒目がオレを見上げてるみたいだった。なんで野郎に可愛こぶられなきゃならんのん。
「何か見たか」
ド直球。攻めるね。不器用なんかな、この人。
「見たっていうか聞いたよね」
かくいうオレも、そんなド直球に訊かれちゃ、正直に答えなきゃいけない気になるよ。
「……そうか」
「うん、そう」
「……………」
「…………――」
…………無言やめて。
「同性愛者というわけではないんだ」
急に何よ。
「うん……」
「お互いに」
「そうすか」
まだ上目遣いのまんまオレを見てる。
「誰にも言わんて。同性愛 が悪口になるのかは知らんケド、鴉岬の悪口言ったって僻みだなんだって言われるだけだし、そもそも鴉岬の話題出しても多分盛り上がんないし、シラけるっしょ。ご時世がご時世だし、ヤベェのは逆にオレ認定されるでしょ」
結構ドイヒーなこと言ってるわ、オレ。
「……俺はいい。お前等が彼を知る由 は無いだろうが、事実ではないから……俺だけが知っている相手でも、俺が勝手に気持ち悪くなる」
どゆこと?
「ま、言わないし」
まだなんか心配そうにオレのコト上目遣い。媚びてるみたい。弱々しい鴉岬見たくなかった。正直なコト言っちゃったオレが悪いんか?
「弱み握ろうとかも思ってないから。昔本で読んだけど、弱み握って脅しまくると今度はオレがぶっ殺されかねなくなるんだって」
鴉岬は目を伏せた。イケメンっていうか美形よな。シャープな感じ。それが厳 ちぃ眼鏡と相俟って神経質っぽい雰囲気 に磨きをかける。トイレは絶対個室でさ、必ず手を洗うのすげぇなって思う。トイレの後、手、洗わないもんオレ。というか洗う派が少数派じゃね?握って汚いなら、汚いもん舐めさせてるってことになるワケだから、それは舐めてる側に悪いでしょ。だから汚くない。汚くない!
「島莱」
「へぇいッ」
オレ全然関係ないコト考えてた。いつから呼んでた?
「…………言わないでくれ」
「だから言わないって……」
「いいや、言ってもいい。どうせ別れた」
オレもなんて言ってやればいいか分からなかった。前言撤回してカツアゲマンになるか、ノンケかゲイかなんて差っ引いてひとりの失恋野郎として励ましてやろうか。カツアゲするコトないんだけどな。金、あればあるだけ困らんケド、脅してまで欲しいワケじゃないし。金以外に鴉岬から何毟り取れんの?出世したら待遇良くしろとか?それはそれでプライドがなぁ。実力ないのに立場上がっても責任とか重 いし。
「本当に別れたんだ。女がデキて、その人と結婚するらしい。本当だ。俺のことは好きに言ってくれ。ただ相手は……」
「今、迷ってんだよ。周りに言いふらすか、脅迫するか、慰めたほうがいいのか……」
ちょっとぽてぽてした唇噛んで、鴉岬の目から涙が落ちた。
「彼のことは言うな。あれには結婚 がある。いつ誰に知られるか分からない。言わないでくれ。俺のことは好き勝手に言えばいい」
「鴉岬には結婚 ないん?」
涙を拭く姿がなかなかキレイだなって思った。
「俺にはない」
「ナゼ」
「俺にはない。PCは確かに受け取った。すまないが、それは返しておいて欲しい。二日連続で悪かったな。助かった。ありがとう」
鴉岬はオレの質問にはちゃんと答えちゃくれなかった。目を伏せて、白目は充血して、黒目がきょろきょろ左右する。意外と睫毛長いんだな。もう帰れオーラが出されたら、オレも帰らなきゃいけなくなる。
「ほいじゃあね。今日のコトは言わないから安心して会議出ろよ。出張もあるんだっけ。でも何にせよ、玄関ドアはちゃんと閉めておくこってすわ」
オレは後ろ向いて手を振った。若干ちょっと鴉岬に後ろから殴り殺れたりするんかな?ってちょっと疑いはしたけどね。
「不快 なものを聞かせてすまなかった。ありがとう。気を付けて帰れ」
後ろでぱたんてドアが閉まった。声の震えっぷりからして、多分これから泣くんだろうな。鴉岬も失恋して泣くんだなぁ。あんなヤンキーみたいなの相手に。優等生が不良とかギャル好きになるみたいなカンジなんかな。鴉岬って意外とシュミ悪いんだな。
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