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1 渡瀬竜太の日常
「あっ! ワタセンおはよ!」
「おはよう」
「先生、おはようございまーす」
「うん、おはようございます」
外はまだ少し肌寒く、冷たい風がチリリと首筋をくすぐる。始業のチャイムが今にも鳴りそうな中、チラホラと小走りで目の前を通り過ぎて行く子どもたちの背中を見送り、腕時計に目を落とした。
僕、渡瀬竜太 はこの小学校に赴任してまだ二年目そこそこの新米教師だ。今週は「あいさつ週間」ということもあり、見守りの係になっている僕はいつもより早めに校門の前に立ち、こうやって子どもたちに声かけをしていた。元気いっぱいの子どもたちに「先生」と呼ばれるのは正直まだ慣れず、ちょっとくすぐったく感じてしまう。こんな今の僕の姿は、数年前の自分からはまるで想像がつかなかっただろう。
僕は人と比べて足りないものだらけの人間だった。大事なことが欠けていて、それにすら気がつかずに過ごしていた。人と比べる必要なんてこれっぽっちもないけれど、あの頃の自分を振り返ると人生何がきっかけで世界が広がるかなんてわからない。初めて恋をして、愛する人ができたことで初めて自分以外の世界に興味が持てた。当たり前だった世界に鮮やかな色がついた。人として気付きをもらえ、成長できたことに感謝しかない。
きっかけなんて些細なことだ──
それでも人との出会いや出来事が奇跡だったのだと思うことがある。間違いなく今の僕があるのは大切な人たちとの出会いがあったから。
「まったく……ワタセン、なんてあだ名で呼んで! ちゃんと注意しないとダメですよ。渡瀬先生、子どもたちに甘いんだから」
「はは、すみません」
「ちょっと? 笑い事じゃないですよ? ビシッとしてくださいね。ただでさえ若い先生は子どもたちにナメられるんですから」
「あはは……」
「さあさ、さっきの子たちが最後のようですし、私たちも中に戻りましょ」
僕と一緒に立っていた先生は苦笑いをしながら、寒そうに手を擦り合わせる。個人的にはあだ名で呼ばれることには抵抗はないけど、今の時代そういうことには慎重にならないといけないらしい。呼び方云々よりも大切なことが沢山あると思うけど、ここでこの先生と話をしたところでしょうがないので僕は笑って話を流した。
「はい。あ、僕ここ閉めてからいくので、どうぞ先に行っててください」
新学期が始まりひと月が過ぎ、新しい環境に慣れ始めた今、改めて僕は気持ちを引き締める。
少し錆びついた冷たい門に手を掛けガラガラと門を閉じ、教室に向かった──
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