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序 頼み事

 むかし、ある里に力持ちで心優しい若者がいた。一番の力持ちである若者は、里の者全員に慕われていた。子供からお年寄りまで、みな若者を頼っていた。人手が足りない時やおつかいを頼みたいとき、みなこぞってこの若者を頼りにしていた。どんな頼みごとでも若者は断らなかった。  ある日の夜、若者はその日最後の頼まれごとを終えた。お礼に握り飯をもらった。家に帰ってから食べようと夜道を歩きだす。山から吹き下ろす夜風に交じって、なにやら声が聞こえてきた。 「おうい、おうい」  周りを見回したが誰もいない。それでも声は聞こえてくる。 「おうい、おうい」  足元だ。足元から聞こえる。見下ろせば、道端にみすぼらしい男が捨てられたように倒れていたのだった。声の主はこの男らしい。 「おうい、おうい」  年寄りのようにも若いようにも見える不思議な男が、首だけ持ち上げて若者を見ていた。若者はぎょっとしたが、あまりに男がみすぼらしいので助けてやりたくなった。若者は男に駆け寄って「お呼びですか」と聞いた。みすぼらしい男は「飯をください」とか細い声で言うのだった。  とても家まで連れていけるような様子ではない。若者はさっきお礼にもらった握り飯を男にやった。男は「ありがとう、ありがとう」とがつがつ食べはじめた。見事な食いっぷりだ。食べ終わった男はすっくと立ちあがり、若者の手を握ってまた「ありがとう」と一礼した。 「優しい人、もうひとつ頼みごとをしてもいいですか。もうずいぶんと風呂に入っていないのです」  若者に断る理由などなかった。男は顔や指に土がついていて、とても汚らしかった。着ているものもぼろぼろなうえ、においがひどい。こんな格好では男自身も嫌だろうと、若者は川の近くの風呂場へ連れていった。湯を沸かしている間、男は若者に何度も何度も礼を言った。「こんなわたしにここまで世話をしてくれる人なんてはじめてだ。あなたは本当にいい人です」と男は何度も男を褒めたたえた。若者は少し気恥ずかしくなった。  風呂が沸いたあと、男は着ているものも脱がず湯に飛びこんだ。若者は慌てて止めようとしたが、男は「これでいい、これでいい」と笑顔を見せるだけで脱ごうとしない。湯に漬かっているうち、男の着ているぼろ切れがみるみる元通りになっていく。若者は狐につままれているような心地になった。男はすっかりきれいになった。年寄りかと思っていたが、どうやら若者と同じぐらいの年らしい。 「優しい人、最後の頼みごとです。今晩泊めていただけませんか」  若者は快く引き受けた。夜は更けたばかりで、朝日はまだまだ遠い。湯上りの身を夜風にさらし続ければこの男は風邪をひくだろう。それにどこにも身寄りがありそうにない。ならばと若者は男を家に連れ帰った。粗末な布団しかなかったが、この家で一番暖かい布はこれだけだからと若者は男に布団を譲り、自分は炉端で寝た。  翌朝、男は炉端で寝ている若者の肩を叩いて起こした。 「優しい人。わたしにここまで尽くしてくれてありがとう。これはお礼です。ぜひとも飲んでください」  男は衿からひょうたんを取り出して若者に差し出した。酒が入っているらしかった。若者はありがたく受け取った。  男が去ってから、若者はもらった酒を一口飲んだ。だが飲み込むことができずに吐き出してしまった。苦くてまずい毒だったのだ。若者は立っていられなくなって、その場に倒れてしまった。  みすぼらしい男の正体は疫病神だった。こうして心優しい者に声をかけてその優しさにつけこみ、毒を飲ませて殺すことを喜びとしていたのだ。この若者のように心優しく気の弱い人は、疫病神に見込まれて命を落とすだろう。警戒することを忘れてはいけない。

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