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第三話 暗闇の中で

「あのすまし顔、騙しやがったな!!」  ものぐさは叫んで、わたしの脚を思いきり押し倒した。体が裂けそうなほどの痛みに歯を食いしばって耐え忍ぶ。現実を見ることができず、わたしは暗闇の中ですべてから解放されるのをただ待っていた。だが、そんな希望は叶わなかった。 「が使えねえんなら、を使うしかねえよなあ?」にちゃりとしたものが尻の谷間に当たった。「へっ……男でもなあ、こうやれば女になれんだぜえ」  ぬぶ、となにかが入ってくる。大きな芋虫のようなものが、ずるずるとした粘液をまとって入ってくる。目を開けることができないからものぐさの顔など見ていないが、ろくでもない気色悪い笑顔を浮かべていたに違いない。 「おまえ、なかなかにいいなあ。女と同じ、いんや、それ以上かもしれねえ」  ず、ず、と体が揺れる。得体の知れないなにかに体を蹂躙される。嫌悪、不快、憎悪、拒絶、そういったものがわたしの日々を塗りつぶしていく。つるさんとの日々が穢されていく。もうなにもかも消え去って、もとには戻らないのだと悟った。  翌日、つるさんが死んだと人づてに聞いた。地獄が始まった。  つるさんの庇護下にいたわたしは、ものぐさの慰みものに成り下がった。わたしは弱く、噛みつくことさえできなかった。死んだ方がマシだと思いつつも殺されることが恐ろしくて、己の魂が泣き叫ぶのをただただなだめすかすことしかできなかった。  すでにわたしは死んでいるのかもしれない。そうでなければ、こんな絶望を何度も繰り返すはずがない。  ものぐさは日増しに荒々しく、乱暴になっていった。昨日よりも今日、今日よりも明日と地獄が深みを増していく。そのうち、わたしは逃げることすら考えられなくなっていった。ただただ死んでいないからという理由だけで生きていた。  慰みものとなってから数か月後、わたしは身ごもった。意味が分からなかった。腹が出始めたのを気のせいだろうと思って見過ごしていたら、吐き気がするようになった。それも見過ごしていたら、あるとき耐えられないほどの腹痛に襲われた。厠にも行けず、道ばたに倒れた。わたしの下腹部から、赤子の頭が出てきた。  わたしは、ものぐさの、ものぐさの、ものぐさの――  ものぐさは二人目、とか、言っていた。ものぐさの仲間の鬼が、夜、わたしに、声をかけて、きてた。ものぐさとじゃなく、って。それで、ものぐさが、わたしを。また、来る。あんな目に。また。また。あの、赤い頭が、股の隙間から――  気が付いたときには、わたしは谷を抜け出していたらしく、夜の山道を走っていた。なんでそんな危ないところを走っていたのか思い出せない。明かりが見えた。庵だ。そこで山姥に出会った。わたしよりもはるかに大きい山姥であったが、不思議と怖くはなかった。  山姥は言っていた。 「おまえさんは鬼でも、まして人間でもねえ。峠の神の子じゃあ。子孫繁栄を願う人々の希望じゃあ」  そう、言っていた。  わたしは子孫繁栄など望んでいない。つるさんだって鬼が子を成すべきじゃないと言っていた。それがどうして、あんな……。  いや、そうか。わたしは神だ。神なら罰を下せる。わたしにさんざん地獄を見せたあの鬼どもに天罰を与えられる。わたしと同じ思いをさせることだってできる。この力であの谷を女のいらぬ場所にしてしまおうか。そうだ、それがいい、それがいい……。 ***  陰陽は谷から姿を消したあとも、しきりに谷を気にしていた。二度と谷の土は踏まなかったが、近いところまで行って動向をうかがっていた。ある日、谷から女の声が聞こえてきた。陰陽が産み落とした忌み子ではなく、成人した女のようだ。おおかた、ものぐさと彼に同調する鬼が結託して近くの里を襲い、さらってきた女だろう。橡や陰陽が来る前から、鬼たちはこうして命を繋いできた。  悲鳴を聞いた陰陽は橡を思うこともなく、女に同情することもなかった。それどころか、このままでは望みが果たされないと焦りはじめた。ふと、近くに川があったはずだと思いいたった。耳を澄ませるとたしかに水の流れる音がする。陰陽は音に向かって歩きだした。  音が真下から聞こえる。陰陽はその場にしゃがみ、手を突きだした。冷たくなめらかな水が流れている。この川の水は鬼の住む谷へ流れる。陰陽ははじめて神の力を行使した。これで谷は女を必要としない、陰陽と同じ体の者であふれかえる。そうなれば陰陽をいたぶった鬼に、いたぶろうとした鬼に、助けてくれなかった鬼に、全員に神の裁きを与えられる。  今の陰陽に怖いものなどない。縛りつけるものもない。山姥の力さえ手中に収めた。復讐を果たしたことへの高揚感で力が膨れ上がっていくのを陰陽は感じていた。山を崩したり、植物を枯れさせたり、動物を操ったりするのも、もう彼にとっては造作もない。この山で一番の脅威だった山姥も、今は庵の中に閉じ込めてしまったのだから。  陰陽は復讐を終えた。あとは経過を見るだけだ。それではつまらない。あまりにもつまらない。陰陽は暇を持て余したが、それで一息つくような神でもない。近くの里の人間をひとりだけ自身と同じ体にしてみようと思いいたった。幼い子供が蟻を殺すように、無邪気に遊ぶように、陰陽はひとりの人生を歪めてしまおうと思いいたった。  目論見は成功した。みごとにひとりの男の人生が狂った。里で一番頼られていた、心優しく何の罪もない男は、あわれなことに鬼になる決意をしたらしい。元凶が住まう山を登ってきたのだから、その覚悟は生やさしいものではないだろう。陰陽はこのかわいそうな遊び道具が自分と同じ境遇にあるのだと、愛しささえ感じた。  陰陽はこの男をどう使って遊ぼうか、そればかりを考えるようになった。

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