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バカだから[2]
【悠Side】
「皐月は、何が分からなくて悩んでいるんだ?」
震える体を抱き寄せて、こめかみに口付ける。
───いや、いいんだ。俺が甘やかしたいから甘やかしているんだ!
子供じゃないのだから甘やかし過ぎなんじゃないのか?とふと浮かんだ疑問に、全力で切り返す。
皐月は他のところで頑張っているから、こう言った慣れない恋愛面では俺が甘やかすくらいが丁度良いんだ!
泣き虫なところも可愛いじゃないか。
「悠さん…、ごめんなさい…」
ほら、本人もこうして謝っていることだ。
誠意のある行動には、きちんとこちらも誠意と優しさで向き合ってやらなくては。
俺は年上な上に、タチなのだから。
「大丈夫だ。ほら」
促して、抱き寄せ、膝に乗せてやる。
実家の状況は、何も複雑な訳ではない。
寧ろ、明解簡潔だ。
母親が妾だと言う、それだけの話だ。
地元は首都圏だが中途半端な田舎で、父親はそこの所謂有力者、その地では知らぬ者の居ない大地主。旧い言葉を使えば、豪族だ。
俺と妹の麗 は認知はされているが、認められてはいないのだと思う。
母親は小料理屋の女将をしている。
俺達──俺と妹、そしてリュート──は、祖母に育てられた。俺が中学一年生の時に祖母が亡くなってからは、子供だけで育った。
祖母は優しくて、愛情に溢れた人だった。
金は有った。
父親である男から、有り余る養育費を受け取っていたからだ。
俺とリュートは1つ違いで、妹はそれより更に4つ下。
子供だけで暮らすようになった時にはまだ小学校2年生だったから、流石に面倒は見きれないと母親に直談判したことがある。
上に2人も居るのだからどうにかなるだろうと、相手にもされなかったが。
リュートはその頃から既に自分がゲイだと気付いていたから、他人との───家族との付き合いすらもどうすれば良いのか分からずに、戸惑っていた。
俺はその頃、母親がそんな風だから、母親と同じ性別の『女性』を好きになれないのだと思っていた。男が好きなのではなく、女が嫌いなのだと。
それでも頼る者が俺しか居ない妹のことは特別で、なんでも面倒を見て可愛がっていたと思う。
それが今の俺に対する執着心と、リュートに対する対抗心を生み出す結果に繋がったのかもしれない。
リュートの母親が亡くなられたのは、まだ俺が小学校を卒業する前の話だ。
リュートの母親も俺の母親同様、シングルマザーとして子供を産んだ。
あちらは更に、父親が誰か分からない、といった事情まである。
恐らく、本人には分かっていたのだろうと、今ならば思う。
プリンスホテルの客室係で、海外セレブも滞在するような宿泊施設だから、ともすればその客の誰かか…。
いや、今となっては全ては死人と一緒に墓の中、か。
しかしリュートは彼女が存命の頃、俺とは異なり母親からの愛情を一身に受けていたように記憶する。
少々病的な程で、祖母に懐くリュートを祖母から離すために実家を出、家政婦を雇ったこともあった。
生まれた時から共に暮らしていたリュートが離れたのは、その時だけ、リュートが小2から小4の2年弱の期間だけだ。
再開した時、まだ子供のはずのリュートは随分と大人びた様子で、心を閉ざし、言葉数も少なくなっていた。
俺に対しても麗に対しても、酷く素っ気なかった。
麗の───遊んで欲しい盛りの子供の目には、冷たく映ったものだろう。
そう言えば、子供の頃の写真は学校行事で撮ったものしかないな……。
皐月の家と比べる訳ではないが。
……皐月は、気にするだろうか…。
母親の興味は、父親にしかない。
そんな場に挨拶に行ったところで、皐月にただ淋しい思いをさせてしまうだけだろう。
それどころか、俺のために心を痛めてさえしまうかもしれない。
ならば、幸せな記憶を残してくれた、祖母の墓前に参ればそれで良いのではないだろうか。
リュートと夏木も。
「ごめんなさい、悠さん…」
腕の中の皐月が、涙を袖口で拭って顔を上げた。
暗闇で、表情は見えない。
けれど、酷く硬い、緊張を隠せない声で、
「俺、どうしたらいいですか?」
そしてまた皐月は顔を伏せて、ごめんなさいと繰り返した。
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