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第1話
「あ、えっと、これは…」
違うんです、そういった所で誰が理解を示すというのか。それは自分自身が一番に分かっている。
玄関から不審な男が女を引き摺って出てきた、そして女は明らかにぐったりとしていて肌が土気の色である。
坂森透は呆然と立ち尽くす目撃者に慌てふためきながら「救急車、呼ぼうと思って…」と誰が見てもわかる嘘を吐く。脂汗がベッタリと額から滲み、声も震えていた。深夜二時回る頃、誰かが外にいるなんて思いもしなかったのだ。ここは都会ではないし、このアパートには殆ど入居者が居ない。周りの家は数百メートルほど離れているしきっと大丈夫、そう思っての行動だったが、運が悪く人がいたなんて。
「その人死んでるので救急車要らないと思いますよ」
人が殺されている、そんな場面に出くわしたとは思えぬほど涼し気な表情で男はそう言った。
「け、警察呼ばないんですか?」
「え?呼んだ方がいいですか?」
まるでこちらをからかうように男は笑みを浮かべた。虫の鳴き声が妙にはっきり聞こえてくる。蒸し暑い夜だが、今はとても寒い。
「呼ばれると…困ります」
掠れた声でそう呟いた透に、男は「そうですよね」と笑顔を浮かべた。それは作り物のように綺麗である。が、男が何に対して笑うのか分からないので不気味でしかない。普通ならば殺人犯から逃げて警察に通報するだろう。それなのに目の前の男はまるで世間話でもしているような立ち振る舞いだ。
「で、どうするんです?」
「…み、見たら分かるだろ!」
「ううーん、捨てに行く、とか?ここからだと裏山が1番近いですけど、あそこは山菜採りに来る人が多いですよ。」
「そ、…そうなんですか?」
「そうそう、遅かれ早かれ見つかると思います。まあそれも場所によりますがね」
透は男の言う通りアパートの裏にある山に捨てに行こうと考えていた。一刻も早く彼女の目から逃れるため、如何に見つからないか、ではなくとにかく無かったことにしたいと思っていた。しかし目撃者が居たのではもはやこれまで、潔く罪を認め償う方がいいのだろう。
「…け、警察。」
透はポケットからスマートフォンを取り出すと、『110』番に自ら通報しようと決心した。そもそも悪いのは人を殺めた自分なのだ。しかし、やんわりとスマートフォンを取り上げたのは透が恐れた目撃者本人である。
「僕に提案があります」
ビールの空き缶が無造作に投げ捨てられ、タバコのヤニが着いて黄色くなった壁紙。干しっぱなしの草臥れた洋服と、食べかけの弁当。この狭い部屋に、二人と一つが押し込められている。
「あ、あの、…」
「ああ、すみません。僕は守屋と申します。つい一ヶ月ほど前に隣に引っ越してきたんですよ。ここは静かでいいですね」
守屋、そう名乗った男は簡単な自己紹介をする。眉目秀麗、まさにそのような言葉が似合う男だ。異様に落ち着いており、彼は透の散らかった部屋をゆっくりと見渡した。
「随分散らかってますね。掃除、苦手なんですか?」
「え、ええ、まあ。」
何とおかしな空間だろう。死体を挟んでするような会話ではない。
「そんなことより、…本気で言ってるんですか?『手伝う』なんて、正気の沙汰とは思えない」
透はそう言いつつ、易々と見ず知らずの男を部屋に入れた。出来ることならば捕まりたくない、その身勝手な気持ちがあってこその行動だ。
「しかし一人で彼女を隠すにはリスクがあると思いませんか?それに、いいスポットを知ってるんですよ」
透はその人好きのする笑顔の裏を探ろうとする。手伝うなんて言っておいて後で通報する気では無いのか、だがそれならば初めからそうすればいい。自分だったらそのような現場に居合わせたらどうするか。…少なくとも守屋のような行動はしないだろう。
「疑うのも無理はありませんよ。誰しも弱みをさらけ出したままでは信じることは出来ないですから。」
守屋は転がった死体を綺麗に仰向けに転がす。思わず透は目をそらす。乱れた黒髪の隙間から白濁した瞳がこちらをぎろりと睨み付けるのだ。こちらが見ないようにしても常にその視線から逃れることは出来ない。
「ネクタイですか?」
「そう、ですけど」
守屋はその細い首筋の後を指でなぞる。くっきりと残った痕は憎しみ全てをぶつけた証拠だ。…冷静になった今でも、彼女を殺したことだけは後悔していない。今透の中にある不安はこの先の人生についてだけだ。
(俺は、何も悪くない…)
自己暗示をかけ続ける透を他所に、守屋はまた辺りにきょろきょろと視線を向けると、分別すらしていないゴミ袋を漁り出した。
「あ!みつけた!ダメじゃないですか、こんな所に捨てたら」
黒いネクタイを守屋はつまみ出すと、自分の肩に掛ける。
「あの、…あんたは一体何をしたいんですか?なんの得にもなんないでしょ」
昔からの親友や家族であったなら少しは理解出来るが、なんと言っても二人は初対面だ。
「得はありますよ。ほら、僕最近引っ越してきたでしょう?友達が一人もいなくて」
「いやいや、だからといって殺人犯を友人にしたいか?」
「だって、趣味が合う人を見つけたのは初めてで」
まるで子供のように瞳を輝かせる。その目玉の中には汚い部屋と死体が居るはずではないのか?それともこの男の目には全く別物が見えているのか。
「趣味?まさか俺が趣味で殺したと思ってます?」
窓ガラスに蛾がバチバチと当たる。気味の悪さを演出したいが為にぶつかっているようだ。
「そうでしょう?違うとしても別にいいじゃないですか。君はこれを隠したい、僕はそれを手伝いたい。何か問題あります?」
「そんな簡単に…」
「簡単ですよ。友達になりたいと思う気持ちはそんなに難しいものではないでしょう。」
その日がたまたま休みで良かった。死体を処分するために取ったものでは無かったが、真夏は腐敗しやすい、そう彼が言うまでもなく部屋には嫌な匂いが充満していた。
「いやあ、晴れなくて良かったですね。太陽が出たら暑くて作業しにくくなりますし。かと言って雨が降ればそれはそれで風邪ひいたら大変ですしね。曇りがちょうどいい」
守屋は助手席で呑気な会話を繰り広げる。自分は何故この男の言いなりになっているのだろう。そう考えている間に死体は腐っていくのだ。それならば少しの可能性に賭けるしかない。透は彼の手伝いに乗ることにしたのだ。あまりに愚かしい行動であるが、共犯者という存在はギリギリの精神を保つにはちょうど良かった。透は彼の指示に従い死体を毛布で包み、ガムテープをそれに巻き付けた。何度も腕や足がチラチラと隙間から出てきた。至る所から滲み出す体液を不快に思うが構うことはもうしない。そして日が出る前にそれを車の荷台に押し込むことに成功したのだ。守屋は自室に戻り、水二本を取ってくると、後部座席にそれらを投げ入れた。そうして地獄のドライブの幕開けだ。
「裏山は見つかりやすいんじゃなかったんですか」
「言ったでしょう、場所によるって。」
守屋が指定した遺棄場所は、当初透が考えていた裏山だった。そこは車で二十分程の距離にあるが着いたとしてもそこから歩きになるだろう。それに約五十五キロほどの重さの物を抱えて歩かなければならないと予想される。二人ならば負担は軽減されるだろう。
(本当に大丈夫なのか?)
ハンドルを握る手がぶるぶると震え出す。当たり前だ。透は人を殺めただけではなく、それを隠蔽し無かったことにして当たり前に生活しようと考えているのだ。何も感じないなど有り得ない。
「大丈夫」
透の左手に添えられた手は、冷たく一切恐怖を感じていない。青白く不健康なそれは魔物の手だ、透はそれに捕まったのだ。
「…大丈夫ですよ。ほら、深呼吸してください」
透の不安を感じ取ったのか、守屋は優しく宥める。
腐敗臭が漂う車内でまともに呼吸など出来ない。窓を全開にしても無駄な抵抗だ。それでも勧められるがままゆっくり深呼吸してみると、案外気持ちが落ち着いた。
「ね?大丈夫でしょう?これはただのピクニックですよ。楽しみましょう」
木々が生ぬるい風にその葉を揺らし、蝉の声がジリジリと四方八方から責め立てた。彼らはある意味透の悪行の目撃者であると言える。
どこもかしこも似たような景色で今自分が何処にいるのか、どこへ向かっているのかすら分からないのだ。 くすんだ空はどんどんと雲を厚くして、本当に今日は雨が降らないのだろうか。
毛布に包まれたそれを抱えるつもりは透には無い。だから精一杯引き摺り、さっさと先を行く男の後を追いかけるのだ。
「も、守屋さん、少し休憩しませんか」
カラカラの声でそう訴えかけても、その足は止まらない。だから透も止まる訳には行かない。ここではぐれたら元の道に戻る自信はなかった。
「きついですか?でももうすぐで着きますよ。着いてから少し休憩しましょうよ。」
「これじゃ、一人で埋めに行っているのと変わらないじゃないですか…」
「そこまで言うなら水だけ補給しましょう」
泣き言でやっとその足を止めることに成功した。透はそれから手を離し、守屋からペットボトルを受け取ると、すぐに喉に流し込む。だが暑さからか、はたまた毛布から飛び出した黒い髪か、透は吐き気を催して補充した水分ごとぶちまけた。食道が焼け、鼻の奥にはツンとした嫌な匂いが纒わり付く。それがまた吐き気を誘発して、汗なのか涙なのか、はたまた吐瀉物なのかすら分からぬほど水分が抜けきってしまう。それを見ても守屋は動じることなく、慣れたように透の背中を摩った。
「そうなる事は分かりきってましたよ。さ、次の波が来る前に彼女を運んでしまいましょう。もうすぐなので頑張ってください」
守屋に言われるがまま、透はヘトヘトの体に鞭打って毛の飛び出していない足だと思われる所を掴んだ。これはただの人形、リアルな人形なのだと言い聞かせる。今はただ先導する男の足だけ見ていればいい。
十分ほど歩いただろうか、守屋が突然立ち止まる。
「着きましたよ」
その言葉で透の体から力が抜ける。ようやくこの荷物を降ろすことが出来るのだ。朦朧として俯いていた透が視界を上に戻す。そのぼやけた視界が一瞬にして晴れたのは、おかしな部分を認識したからだ。
まず目に付いたのはテントだった。透は誰かここでキャンプをしている、そう思って身構えたが、どうやらそれは守屋の物のようだ。彼は当たり前のようにテントに入り、そこからシャベルを持ってきて土に刺した。だが問題はそこでは無い。問題は既に穴が複数箇所掘られている、という点だ。それは異様な光景だ。穴の直ぐ横にはこんもりと土が盛られている。それが何個もテントを囲むようにあるのだから。
「…どうかしました?あ、落ちないように気をつけてくださいね」
「…何故穴が掘ってあるんですか?」
「面倒じゃないですか。どうせなら纏めて掘っていた方があとは埋めるだけで済むしょう。君は少し休んでいいですよ。僕が埋めます」
守屋はずるずると穴へ死体を引き摺り入れる。だがその作業は何処までも丁寧で、体が曲がらぬよう綺麗に収めるのだ。そして土を被せていく様は"いつもの事"のように進められていく。最後の仕上げ、彼はシャベルで土を叩く。
「ふぅ、やっと終わった」
厚い雲の隙間から差し込んだ光が守屋にスポットライトを当てる。その額に浮かんだ汗をきらりと反射させた。
「ありゃ、太陽がでてきましたね。彼女が上に昇ったのかなあ」
まるで良い事をした後のように彼は天を仰ぐ。それに応えるように光が強まると、愈々これは悪い夢なのではないかと疑う。
「作業も終わりましたし、暑くなる前に帰りましょうか」
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