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こんなところにも居るんです
朝の一件のせいだろうか。やけにご機嫌な蘇芳に手を握りしめられながら、半ば強引に麓まで降りてきた。
蘇芳によって連れ出されるならば問題はないとツルバミにも言われ、自分よりも一回り大きな手に手を握りしめられながら、手を引かれること10分弱。緩やかな山道を降りていくと、にわかに活気ついた現代で言うと商店街のようなところに連れてこられた。
「手。いい加減はなせよ。それに一人で歩けるくらいの道だったし。」
「俺が手を繋いでいたから、すねこすりにも合わなかっただろう。天嘉は幼いからなあ、走って転んでしまうのが関の山さ。」
キョトンとした顔で天嘉が見上げる。すねこすりがなんだかわからなかったと言うのもあるが、またしても聞き慣れない言葉を言うものだから、なんだか言語は違えどリスニングのテストをしているような気分になってくる。ため息ひとつ、わからないことは、ひとまず流す。ここにきて知らないことが増えるたびに追及していくと、容量がいくつあっても足りない。それに元々天嘉のキャパシティだって、決して多い方ではないのだ。
「あれ何。」
なんとなく聞き流して目を逸らした先に見たものは、やけにこじんまりとした犬小屋のようなものと、物干し竿だろうか。その小さな小屋を囲むようにして立っている。脇には洗濯板と大きなタライ。洗濯場だとしても水源がない。天嘉はよくわからないと言った顔で、興味津々である。
「達筆すぎて、看板が読めねえ。何これ、も、木綿…や?」
「ああ、そうか。天嘉は知らなかったか。」
蘇芳は小さく笑うと、天嘉の手を引いて、その物干し竿の一つに近づいた。はたはたとはためく布切れが気になる。そんなに強い風が吹いているわけではないのに、なんのトリックだろう。ピラピラと揺れる一部分を摘んで見ると、まるで形状記憶かと言わんばかりに布が張り詰めた。
「っ…うわ。なん、なんだこれ、びびった…。」
「これ、揶揄うな。御助、今日は挨拶に来たのだ。」
「御助…?」
布切れに向かって話しかけた蘇芳を思わず見上げた。なんで布に紹介?と言った顔で向き直ると。天嘉の顔のすぐそばに白い布がはためきながら覗き込むようにしてそこにいた。
「なんだいこのチマコイの。これがツルバミが言ってた雌かい?」
「ぬ、布おむつのおばけ!!」
「ああ!?」
素っ頓狂な声をあげた天嘉が、あまりの近さに驚愕してのけぞる。蘇芳は慌てて天嘉を支えると、布おむつと言われた御助は生地をびょんっと伸ばして憤慨した。それも、驚くほどナイスミドルな甘い声で。
「おいおい、一反木綿を存じ上げないとは、一体どんな箱入りだいお嬢ちゃん。俺は飛脚を生業にしてるんだ。ややこのおむつなら姑獲鳥んとこへお行き。」
ずずい、と近づかれて、蘇芳に支えられたままのけぞる天嘉は、恐らく睨まれているのだろう。布の皺で器用に怒りを表現する御助に、まるで有名人にでもあったかのような錯覚を起こした。
「すげえ。まじかよ、本物の一反木綿だ…。」
「天嘉?」
「本物の、一反木綿だあ!」
「天嘉!?」
ボソリと呟いたかと思えば、噛み締めるかのように天嘉が言う。その言葉尻から興奮は容易に見て取れる。どうやら旦那である大天狗よりも、現代社会においての最初のファンタジーな乗り物である一反木綿に大層感激したようで、嫁の見たこともない輝いた顔に呆気にとられた蘇芳をよそに、大はしゃぎだ。
「うっわまじか、はああ、本物見たの初めて…さ、触っていいか?だめ?だめなら、諦めるけど…。」
「お、おお。おう、い、いいぞ。触れ触れ。やけにはしゃぐなあ、おい旦那、このこ本当に箱入りなのかい?」
「まあ、囲っていたからな…おい、そんな布切れ妖怪よりも、俺の方が余程上等だぞ。」
「あっ…すげ、本当に木綿なんだ…ええ、意外としなやか…重いもんも運べるなんて、御助は偉いなあ。」
「おいおいよせやあい、そんな褒めたってよう、なんも出ねえぜ。」
「わあ、すげえなあ…蘇芳、一反木綿だぜ?お前も触ってみろよ、握手してくれるってよ!」
そんなにはしゃがれても、馴染み深すぎて全然なんとも思わない。蘇芳はまさか大妖怪でもある自分よりも、下位の付喪神の派生の妖に嫁を取られるとは思わず、大人気ない嫉妬心にかられた。おい、ここにいるお前の旦那の方が、空だって飛べるし天候だって操れるんだぞ。すごいんだからな。そう言いたいのに、天嘉の無邪気な顔が可愛すぎて、そんなことを言って飽きられるのはなんだか嫌だった。
一反木綿の御助は、天嘉に褒められたのが余程嬉しかったらしい。よせやい、よせやあいと言って気持ち悪く照れながら、その身の皺を伸ばすかのようにして照れている。
蘇芳の不機嫌なオーラがじわりと妖力として漏れたらしい。御助はびくりとその身を張り詰めさせると、まるで氷点下に濡れた布巾を振り回した後のようにカチコチになる。
誰だって大妖怪の眼には止まりたくないのだ。
天嘉は頬を染めたまま、雰囲気の変わった御助の様子にキョトンとすると、くるりと蘇芳に向き直って言った。
「蘇芳、楽しいなあ!すっげえ、連れてきてくれて、ありがとな!」
「む。」
「嬢ちゃん…、旦那。この子は、大事にしてやんなきゃだめだぜえ…。」
なんという、なんという貴重な奴か。蘇芳の不機嫌をものの数秒で回復させるなど、仏でもなしえなかったことをやってのけた。
ああ、夫婦というのはすばらしい。命拾いした。御助はそんなことを思った。
目の前の大天狗は、この山の総大将である。桁外れた妖力でこの土地を守り抜いてきたのだ。不機嫌になると、雷が落ちる。そうすると、雷神の仕事がなくなるので、また怒って乗り込んでくるのだろう。御助はそこまで想像すると、本当に何事もなくてよかったと安心した。
天嘉はご機嫌な様子で自ら蘇芳の手を握り返すと、御助にまたなと挨拶をしてくれた。冷やかしは商売上がったりだから勘弁してほしいが、ああいう無邪気な好意で挨拶をしにきてくれるというのは、なんというか心がむず痒くなる。御助はヒラヒラと手に当たる部分をゆらめかせると、さて今日もやってやろうじゃないかとない襟をただした。
「天嘉は、ああいった付喪神が好きなのか?」
「んー…そういうんじゃねえんだけど、でもそうかもな。長い年月かけて妖怪になるんだろ?大器晩成って感じ。なんか、自分の特性生かして働いてんのも偉いよなあ。」
「…天嘉は、なんというか、人間にしておくのが勿体無いな。実によいものの見方をする。」
「人間、なんかここにきてから俺しかいないもんな。人間っぽい見た目のやついるけど、やっぱなんとなくちげえし。」
二人分の下駄の音が仲良く響く。カラコロと足音を鳴らしながら、もしかしたら下駄で天嘉が転ぶかもしれないと心配して手を繋いでくれたのかもしれないなあと思った。
蘇芳の肩は、天嘉よりも高い位置にある。大人の、立派な体躯の男だ。黙っていれば、これほど上等な男はいない。ツルバミは逢瀬と言っていた。逢瀬、逢瀬ってなんだろう。でもきっと、デートのようなものかもしれない。
天嘉は少し汗ばんだ手のひらで蘇芳の手を握るのが嫌で、少しだけ浮かした。それなのに蘇芳は、天嘉の意図を正しく汲み取ってはくれなくて、その手に指を絡めるようにしてさらに繋ぐ力を強めてしまう。
違うのに、それとも、汗ばんだ手のひらも気にしないということなのだろうか。
なんだかそれが気恥ずかしい。頬を染めて俯く天嘉を、蘇芳の目が優しく見つめる。
「何が見たい、天嘉。ここには大体の妖が揃っている。お前が望む場所に案内しよう。」
「じゃ、じゃあ…さっき言ってた姑獲鳥って人のとこ…あ、人じゃねえんだった。妖か。」
「姑獲鳥か、いいぞ。時期に世話になるだろうしな。ほら、ならこの路地を抜けるぞ、こちらだ。」
「うん!」
楽しい、なんて楽しいんだろう。天嘉は嬉しそうに頷くと、蘇芳に腰を抱かれるようにして路地に入った。古い日本家屋が立ち並ぶこの景色だけでも、風情がある。カラコロとなる下駄も実の所付喪神なのだが、できた下駄はきちんと蘇芳に言われた通りに、大妖怪の嫁が怪我をしないようにと己の職務をまっとうするのであった。
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