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言葉選びは大切に

「天嘉殿、物憂げといいましょうか。なんだか元気がありませんなあ…」 「悪阻か?青藍から薬もらったんだろう。大丈夫じゃないか?」 「はあ、まあなんと言いますか、体調というよりもあれは…」  ツルバミとよいしょは、奥座敷の襖をちろりと開け、様子を伺うようにして天嘉を見る。  顔色はそこまで悪くはなさそうだ。しかし、昼に出したお粥は食べきれなかったようで、ツルバミが無理をするなといって下げようとしたら、せっかく作ってくれたからと全部食べると頑なだった。  膝におかゆの器をのせ、匙を片手にぼうっとしている。なんというか、心ここにあらずだ。  昨日は一日蘇芳と共に褥にこもり、そして今は蘇芳のを見送って一人で部屋にこもっていた。  やはり、不安定になってらっしゃる。ツルバミは心配そうに見つめていたが、小さな食器の音を立てながら冷え切った粥を口に運ぶ天嘉を見ると、なんだか切なくなってしまった。 「うう、やはりお一人で食事というのはいけません。」 「でも、一人にしてって言われたろ?」 「ああ、もどかしい…ツルバミはいったいどうすればよろしいのやら!」  水掻きのついた手で、わきわきと悶る。よいしょは冷静な目で天嘉を見つめると、困ったなあとため息をこぼした。 「こういうのは、一番どうでもいいやつに話すのがいいんだよ。おいら達は近すぎて、きっと天嘉が我慢しちまう。」 「しかしながら、天嘉殿の知り合いで、あまり親しくないという条件を満たしたものなんて…」  ツルバミもよいしょも、そうなんだよなあ。と悩む。基本的に天嘉は誰とでも仲がいい。だからこそ条件を満たすような人物を探すのに骨が折れそうだった。 「ごめんくださあい」 「む、はいはい!ただいま!」 「せわしないカエルだなあ。」  玄関の間から聞こえた声に、ツルバミが慌ただしく掛けていく。その後ろをカロカロと車輪を転がしながらついていくよいしょは、名残惜しげにちらりと天嘉の入る部屋を覗いたが、そっと襖が静かに閉まっただけだった。  恐らく、換気のために開けていた隙間を閉じただけなのだが、それは天嘉が心のうちの扉を閉めたような気がしてしまって、よいしょは少しだけ不安になった。 「いるではありませんか!!!」 「あんだあ!?」  玄関の間から、ツルバミのひっくり返った声が聞こえてきた。余程驚いたのか、おはぎを届けに来た小太郎は少しだけ後ずさった。 「天嘉殿の知り合いで!どうでも良い輩!!」 「ああ!?喧嘩ならいい値で買うぞクソ蛙!!」 「なにをいう!褒め言葉ですぞ!」 「そら一体どういうこった!」  開口一番、不躾に罵られた小豆洗いの小太郎は憤慨したまま詰め寄った。大男が詰め寄ったとてツルバミは怖いものはない。こちとら長い間ずっとここで色んな妖かしを出迎えてきたのだ。こんな下級妖怪に脅されても痛くも痒くもないのである。 「ツルバミ、客人にそんなこと言うもんじゃないだろう。」  カロカロと車輪を鳴らしながらよいしょが玄関の間に入ってくる。珍妙な妖かしにぎょっとしたのもつかの間、小太郎はまたしてもツルバミに嫌味を言われる。意味はわからなくても、雰囲気でわかるのだ。 「こやつ、けいわいを地で行く輩でしてな。然しながらその無駄な特性も今や渡りに船、ささ、天嘉殿の所へ向かいますぞ!」 「話が見えねえしお前は誰だ。」 「おいらはよいしょだ。」 「よいしょ…?」  けいわいの意味もわからない。もしかしたら形歪だろうか。小太郎の性癖は歪んではいるが蘇芳ほどではない。頭に疑問符を散りばめながら、急かされるようにして中に入る。  ペタペタ、カロカロとちまこい二匹のあとに続きながら、小太郎は戸惑っていた。  言わずもがな、2度目の邂逅がまさかこんな形でやってくるとはと思っていたのである。  一度目は粗相をしたときの姿。蘇芳の手によって股ぐらを弄られ、あの白く柔らかそうな太腿の肉に無骨な手が這わされたあの場面は、ひどくいやらしかったのだ。  なんでこんなことに。蘇芳にいわれておはぎさんを持ってきただけなのになあ。小太郎はそんなことを思いながら、結局断りきれないまま奥座敷まできてしまった。 「天嘉殿?失礼いたしまする。」  ツルバミが薄く扉を開いて、ヒョコリと顔を出す。  どうやら天嘉は横になっていたようで、のそりと布団をめくって起き上がると、寝乱れた格好に食べ終えた食器を抱いたまま姿を表した。 「ツルバミ、…あ。」 「よ、よう。覚えてるか?」  根本が少し黒いが、相変わらず見事な金色である。琥珀色の美しい瞳に、白磁の肌をもつ蘇芳の番は男嫁だ。  少し痩せこけた気がしないでもない。薄い肩を覆うようにして緩く着ている浴衣からは、生地が余っているのかあそびがある。  なんとも目に毒というか、やり場に困るというか。  小太郎は目を泳がせながらそう言うと、天嘉はきょとんとした後、小さな声で言った。 「小太郎だろ…、枕ありがとな」  緩く微笑むと、なんともあどけない。蠱惑的な魅力を持つこの嫁はどうやら人の子だというから驚きだ。 「おはぎさん、もってきたんだけど食えるか?」 「え、まじで。」  化粧箱を開けて中を見せると、嬉しそうに笑う。小太郎はなんだか面映ゆくなってしまった。甘味処をやっているから、天嘉の歳くらいの客はもちろんチラホラは来る。しかし近ごろの若い娘、といっても妖かしなのだが。そいつらときたら、この筋肉と男らしい腕の毛の生えた小太郎がおはぎを作っていると知ったら、やだあ!などと誂うのだ。全くもって失礼極まりない。  天嘉は嬉しそうに受け取ると、寝乱れた格好に気がついたのか照れたように寝癖をなおす。  そろ、と身をずらすと、申し訳そうな顔で言う。 「わり、布団片してねえんだけど…それでも良ければ入る?」  人妻の寝室に、ドギマギしない男なんているだろうか。いやいない。ツルバミが適任だと言っていたが、なんの適任だ。小太郎は変な汗をかきながら頷くと、慌てて振り返る。蘇芳が来たらまた放り投げられると思ったらしい。  天嘉はそれを見て小さく笑うと、大丈夫だからと言った。 「いつも蘇芳がごめんな。今日は帰り遅いらしいから、気にしなくていいよ。」 「そ、そうかい。」 「あ、やべ。器もったままだったわ。ツルバミに言って茶と皿と、交換してもらいにいって来んな。」 「お、かまいなく…!」  ひょこひょこと奥座敷から続く板の間を挟んだ炊事場へと行ってしまった。  小太郎はとりあえず天嘉の布団の横に腰掛けると、そわそわしながら待っていた。  畳からひょこりと顔を出した影法師に吃驚してしまったが、どうやら文机を出してくれるらしい。  怪訝そうな顔で驚いた小太郎を見ると、まるで布団から距離を取らせるようにして文机を設置する。  じっと小太郎を見つめた影法師は、お前、見ているからな。という無言の圧力を送ると、するするとその身を溶かして消えた。 「小太郎?すげえ声出してたけど大丈夫か?」 「お、おう。おう!おう!」 「ならいいけど…」  不思議そうな顔で小太郎を見つめると、天嘉はコトリと控えめな音を立てて茶とおはぎを文机に乗せる。  微かな衣擦れの音を立てて布団の上に足を崩すと、小太郎が渡した枕を膝に乗せて落ち着いた。   「蘇芳からお前がくるの聞いてねえけど、なんかあったっけ。」 「俺はただおはぎ届けに来ただけなんだけどよう。ほら、お前が好きだから出来立て届けてやれって蘇芳が。」 「まじか…仕事あるのに…ごめんな。あんまあいつの言う事気にしなくていいから。」  苦笑いしながらいう天嘉に、ああ、そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだけどなあと、小太郎は渋い顔をする。どうにも自分は相手に対する思いやりというのが欠けてしまっているようでいけない。天嘉は黒文字でおはぎを丁寧に一口分切り分けると、まくりと口に含む。優しい甘さに顔をほころばせた。   「俺んとこの言葉でさ、甘いもんは別腹ってのがあんだ。」 「別腹…」 「甘くて美味しいもんは、満腹でも食えるって意味な。あっちいるときは人工甘味料バカすか使ってる様なもんばっかでさ、ここにきて小太郎のおはぎ食ってたら、やっと意味理解したわ。」    そんな殺し文句を平気で言うもんだから、参ってしまう。この嫁は本当に人たらしでいけない。小太郎は尻の座りが悪いは、面映いやら、取り繕うように咳払いをすると、渋い顔をしていった。   「そあ、褒められんのは嬉しいけどよ…あんた人妻なんだ、母親になんだから、あんまし人たらすような節操のねえ褒め方はするもんじゃねえ…。」  少なくとも、小太郎は天嘉の別腹発言に少しだけ動揺してしまった。天嘉がそんな意味を含まずに言っていたとしても、若い男なら自分の都合の良い様に解釈をして手込めにしてしまうことだってあり得るかもしれない。  そんな注意を含めての言葉だったのだが、やはりまた言い回しを誤ったらしい。  やけに静かになってしまった天嘉が気になり、恐る恐る顔を上げる。   「んなっ…」 「ごめ、…」 「なんで泣く!」    そこには琥珀の眼を見開いて必死で涙を乾かそうとして、失敗している天嘉がいた。  

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