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胸の空白を埋めるのは

「ーー‥ぁ、」  ふわりとした感覚が全身を甘だるく包み、朝の日差しにゆっくりと起床を促された天嘉の思考を、紗幕を掛けたようにぼんやりさせる。  素肌が、熱い。まるで拘束するかのように蘇芳の男らしい腕で抱き込まれ、胸板に顔を埋めていた。  よだれをたらして寝ていたらしい。頬がぬとぬとしていて気持ち悪い。  まるで擦り付けるようにして頬擦りをしてみると、なんだか自分の匂いを蘇芳に付けたような、そんな気になった。  厚い胸板だ。何をどう食って、どんな鍛え方をすればこんな体になるのだろう。  硬い腹筋に覆われた腹の脂肪分はすくなく、腰も細い。  いいなあ、逆三角形。  ぽやりとした頭のままぺたりと背に触れ、もっとくっつきたくなって蘇芳の背中に肘から上を添えるようにして腕を回した。 「……、」  ちがうな、腕はここじゃない。  蘇芳の胸板に頬を押し付けながら、覆い被さっている方の腕を腰に回す。よし、ここだ。ここが寂しかった。  蘇芳の大きな熱い手のひらに腰を覆われるように触れられるのが好きだ。  天嘉は腕枕をされている腕の上で、もぞもぞと頭の位置を蘇芳の顎の下、鎖骨のくぼみに鼻先が触れるように埋め直すと、ほう、と吐息を漏らした。  暖かい。いい匂いだ、安心する。  とろとろとした眠気が再び天嘉の思考をなだめるようにじんわりと染み込んでくる。  なんとなく足が寒い気がして、そっと蘇芳の足に絡めるようにくっつけると、なんだか擽ったい気持ちになった。  ぐっと腰に触れていた大きな手が、押し付けるようにして天嘉を抱き寄せる。嬉しい、これをしてほしかった。  天嘉の性器を押し上げるように、蘇芳の大きなものがごりりとあたる。 「……んん、」 「寝起きから、俺を試しているのか?」 「…蘇芳は、元気だな」 「おかげさまでな。」  ちぅ、と額に口付けられて、ひくんとまぶたが震えた。 「よだれ、お前で拭いた…」 「何を今更。それ以外の体液で俺を濡れさせるくせに、変なことを気にするのだな。」 「うぅ、ん…いうな…」  じんわりと熱くなった顔を隠すようにして埋めたる天嘉の小さな頭を撫でるように髪を梳く。 くつくつと楽しそうに笑う蘇芳が意地悪だ。  なんとなく腹が立って、かぷりと戯れるように鎖骨を甘噛みしていると、もにりと尻をもまれる。  眠たい、眠たいなあ。春眠暁をなんとかとかいってた。春じゃないけど。  つぷりと尻を開くようにして蘇芳の指がそこを撫でたので、天嘉の意識はぐわりと覚醒した。 「駄目。」 「なんだ、もっと寝ぼけてても良かったのになあ。」  くすくす笑いながらそこを指先で擦られる。おもわず背筋が震えてしまうのでやめてほしい。  天嘉はむんずと掴んだ蘇芳の手を握ると、起き上がろうとして痛みにピクリと身を震わせた。 「っ、た、…」  首と項、あと肩。引き攣れるような痛みに小さう声を漏らすと、蘇芳は申し訳無さそうな顔をした。 「…すまんな、本能が前に出てしまって傷つけた。」 「え、なに…うわ。」  恐る恐る痛みの場所に触れてみれば、指先の感触でわかるくらいの噛み跡が付けられている。  余程しっかりと齧りついたらしい、天嘉の寝ていた部分が所々赤くなっている。  居た堪れないといった顔で見てくる蘇芳の表情からして、心底反省しているようだった。 「手当、おまえがしてくれんならいいよ…」 「まじか」 「ふは、使いこなしてる…」  天嘉は寝癖で跳ねた髪を手ぐしで直しながら、そっと布団をまくる。そこは血なんか可愛いほどに汚れており、ああ、またやっちまったんだなあと思った。  行為中、蘇芳の性器が殴るように膀胱を攻め立ててくるから仕方がないとはいえ、これが庭に干されることを考えると、天嘉の頭は痛くなる。かくなる上は防水シーツ。やはり外界でそれも手に入れなくては矜持が持たなさそうである。 「…ねる前にトイレいってんのになあ」 「俺は興奮するぞ。」 「これ干すのやなんだけど。」 「燃やそうか。」 「極端なんだよなあ…」  蘇芳が起き上がると、天嘉を抱き上げる。ご機嫌な顔でニコニコとしているのは大変いいのだが、毎回突然抱き上げられると驚いてかなわない。  慌てて首に腕を回してバランスを摂ると、片腕で天嘉の体を支えたまま布団をグワシと持ち上げる。  相変わらずの馬鹿力だ。蘇芳のあるく振動を体で感じながら襖を開けて外に出ると、ツルバミがぎょっとした顔で固まった。 「おはよう。ちいと天嘉と布団を洗ってくる。ツルバミは朝餉の支度をしてくれ。」 「うけたまわりましたが…布団はこちらで洗濯しておきますから、天嘉殿とゆっくりと湯殿でお過ごしなさっては…?」 「おお、それは助かる。なら頼まれてくれるか。」 「はあ、また盛大に…。一応手当の道具も用意しておきまする…」  耳まで赤く染め上げた天嘉の狸寝入りをちろりと見上げると、それはもうわかりやすいほどの執着の証を身に刻んだ白い体が腕の中で縮こまる。  天嘉のいたたまれなさとは裏腹に、あんな馬のようなものを腹に収めるのだ。これは仕方がないとツルバミもおもっている。むしろ、よく耐えるできた体だとさえ思っているのだが、本人にその自覚はない。 「天嘉殿は母胎です故、余りご無体を強いるのは如何かと思いますよツルバミは。」 「なに、足りぬ妖力を補っただけのこと。天嘉の腹とその体は正しく受け入れた。当分は大丈夫だろう。」 「なら、よろしいのですが。」  恥ずかしいから早く解放してくれ。天嘉の心の叫びが届いたらしい。蘇芳はくつくつと笑うと、あとは頼んだとツルバミに言いつけて外の露天風呂へと歩みを勧めた。 「敷地内でも露出はだめだと思うな俺は。」 「何を言う、腰に布は纏っておろうが。」 「お前着てても俺はまっ裸じゃん。」 「俺が隠している。」 「俺も布で隠してくれよ…」  ご機嫌なまま、湯殿につく。蘇芳はゆっくりと天嘉を石の腰掛けに座らせると、腰にまとっていた着物を脱ぎ散らかした。  天嘉はそういうのを見ると、性格的に畳んでしまいたくなる。湯の温度を見ている蘇芳の横でなんとなく丁寧に畳み直していれば、お前は本当に出来た嫁だなあと褒められる。  気恥ずかしいから言わないでほしいのに、言われるともぞりとしてしまう。なんとも言えない顔をしていれば、蘇芳がもにりと頬を摘んでくるのがうざったい。 「いちゃつくつもりはねえっての、」 「いちゃつくとはなんだ。」 「…説明はしたくねえな。」  蘇芳のキョトン顔を無視するようにぽんと着物を水のかからない位置に置くと、手桶でかけ湯をして誤魔化した。 「ボディーソープ、ほしいなあ。あとシャンプー。」 「糠袋があるだろう。」 「泡立たねえと洗った気がしねえもの。石鹸はあるけど髪はきしむし。」 「だから椿油を塗るだろう」 「やっぱ外界にいきてえ。」  天嘉はこしこしと石鹸を布で泡立てる。蘇芳の広い背中の花にべちりと泡立てた布を当てると、突然の天嘉の悪戯にびくりと体がはねた。 「おい、洗うなら普通に洗ってくれないか。」 「すまん、目の前に見事な墨があったから。」 「お前の腰にもあるやつだぞ。フフ、揃いだな。」  蘇芳の黒髪をくるくると纏めてやると、なんとなくそのドヤ顔が想像できてしまい、ムスッとしたままゴシゴシと背中を擦る。  痛い、痛いぞ。と言う声が聞こえるが知るか。気まぐれだとしても洗ってやってるんだから文句を言うなと言うのが天嘉の言い分だ。  腹の中側に、なにかが溜まっているかのように少しだけ重い。しかし不快感はなく、どちらかというか満腹感にもにたそれは、少しだけ天嘉の薄い腹をふくらませる。  自然と吸収されて栄養になるのだが、なんだか微かに張っている自分の腹と蘇芳の腹を見比べてしまい、少しだけ気後れした。  これ、このままでかくなったらいよいよ歪だ。  天嘉の手が、そっと腹に触れる。洗う手が止まったのが気になったらしい。 「天嘉。」 「ん?」  蘇芳の手のひらがわしりと頭を撫でる。キョトンとした顔で見上げると、大きな手がぺたりと腹に触れた。 「楽しみだな。」 「…、楽しみなんだ。」  蘇芳の衒いのない言葉に、天嘉の心の中で小さな花が芽吹いた気がした。ぽんと、なんだかよくわからないけど、突然、そんな感じがしたのだ。もしかしたら、これが、まさか。 「なんだ、嬉しそうな顔して。」 「してねえ!」 「ぅぶ、っ」  泡まみれの手ぬぐいを、不思議そうなかおして覗き込んできた蘇芳の顔面にぶん投げた。天嘉は口を腕で隠すようにしてざばざばと湯船に入ると、露天風呂の中に顔を突っ込む。  嬉しい、嬉しいってなんだ。それって、こいつの子を産むのが嬉しいってことか?え、うそうそちがう、ぜってえにちがう。  ボコボコと口から泡を吐き出しながら、お湯の温度だけでない顔の赤みが天嘉の心境を如実にあらわす。  蘇芳の整った顔が心配げになるのも、涙袋を盛り上げてあどけなく笑うのも、夜の獰猛な雄の顔も、全部リフレインした。天嘉の独占欲がそれらをまるっと腹に収めて満足そうにするのである。  俺の、俺のものだと主張する。そう、だから安心したんだ。蘇芳が腹に触って、膨らんできたそれを嫌がる素振りもなく、楽しみだとか言うから。  楽しみだとか言うから! 「うわあ!!」 「なんだ、大はしゃぎだな。」 「はしゃいでねえもん!!」  お前が嬉しいなら良かったって雌臭いことおもっちまったんじゃん!  受け入れちゃってんじゃん!  顔をびしょぬれにしながら取り乱した天嘉は、自分の体が母になることを受け入れてしまっていた。  男だってこだわってたくせに、蘇芳のあの一言で、まあいいかという気になった。  悩んでいたあの一時は何だったのかというくらい、呆気なく、ストンと心の隙間にハマったそれ。  これは諦めなんかじゃない、やばい。これは、やっぱりこういうことなのだ。 「俺、夜以外でも受け入れちまってる…?」 「なにをだ。」 「雌を…馬鹿!こっち来んなばああか!」 「そうかぁ、フフ。そうかそうか。よきかな。」 「よきかなじゃね、ちょ、まっ」  ざばざばと両手を広げて蘇芳が近づいてくる。  あのときとは違う、体と心が言葉とは裏腹にやかましくて仕方がない。いけ、いっちまえ天嘉。そんな感じに喜んでしまう。  具合が悪いときだけ、都合よくそばにいろとか思ってたのに、それだけじゃ満足できなくなってしまった。  わがまま天嘉が顔を出す。逃げ場がない。そしてこの逃げ場を塞いだのは紛れもない自分であることに、天嘉はようやく理解して、自分の心と折り合いをつける羽目になったのであった。

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