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山の神は誰

 知ってるか、ここは霊山なんだってよ。  サークルの先輩がそんなことを言っていた。  その山のことを知ったのは偶々だ。なんでも、山には修験道を極め、まだ町が村だった頃に未曾有の飢饉と疫病から救ったという徳の高い野郎が眠ってるらしい。とはいえ、そう言ってるのはこの町の奴らくらいで、その救い方も所謂人身御供。自分の身を犠牲にして祈りを捧げたサービス精神旺盛な謎の男が、この山の中の何処かにいるんだと。  若く、楽しい盛りのその身を、そんな神頼み地味たもののために使う奴の気がしれねえ。  なんでそんなの知ってるかって?オカ研のオタクが興奮したように言っていたからだ。  俺らがそこの山の近くのホテルに泊まる話をしたら、つばを撒き散らしながら言ったのだ。 ー神隠しと言えばそこじゃないか!!  どうやらここに来て、帰って来なくなった奴がいるらしい。知り合いの男友達が、突然仕事を辞めて失踪した場所がここなんだって。  なんでそんなこと知ってんだよと聞いたら、失踪した若い男の親族だと言うやつが言っていたらしい。ここにも何度も足を運んだらしいが、なんだか事故ってかえるはめになったんだと。 「神隠しされた男とか出てきたりしてな。」 「やめとけって、まじで出てきても俺らどうしたらいいかわからんだろ。」 「この間の顔みたいな木さ、SNSに乗っけたらバズっかな?」 「おいおい、呪われても知らねえよ?」  温い夜風が雰囲気を醸し出す。いわくつきの山と仲間内で盛り上がった御嶽山の山中に足を運ぶ。この間は三人だったのだが、人の顔のような木の写真見せたら、一人増えたのだ。  大学生四人は、片手にタバコを持ち、酒の勢いを借りて、再び人面の木を見つけた薮の向こう側へと踏み込んだ。  昼間ですら堅牢な檻のように見える杉林は、夜になると一層不気味であった。  木々の隙間から何かが見ている。そんな、あるはずもないことを考えて、小さく身震いした。 「でもさ、山火事になんなくてよかったよな。」  枯木に火をつけた男が言った。 「いやお前、まじであれはやっちまったと思ったね。きれいにそこしか燃えなかったから良かったけどよ。」 「言うてお前も茶化したやんけ!」 「ばっかやろ、あれで止めてたら白けるでしょうが!」 「わかりみー、」  ぎゃはぎゃはと、やかましい声で会話をするのは、少しでも身のうちに顔を出した恐怖に打ち勝つためだ。  退屈な大学生活、外に刺激を求めるのは道理だろう。軽口を叩きながら進まねば、気でも狂ってしまいそうな夜であった。  闇に包まれた山はそれだけで怖い。今日こそは人身御供を行ったという山の上まで上がると言っていたが、さっきからずっと横断するように進んでいるのだ。誰も怖がって登ろうとしないのを、茶化すやつもいない。  皆、あってはならない異形との出会いに備えている。このまま後ろを振り向いて、まっすぐ走れば戻れるように。  怯えは伝染するのだ。生半可な気持ちで来てしまったことを後悔した頃には、もう遅い。  カサカサという、叢の揺れる音がした。一人が足を止めると、全員が足を止める。ムードを気にして懐中電灯は持ってこなかった。それが仇となり、視界に映る景色が全て不可視の何かに隔てられているかのように感じる。 「おい、なんかいるぜ?おばけだったりして。」 「やめとけや!まじでそう言うと出るんだからな!?つかこないだ祠壊してんだから呪われてっかもしれねえべ?」 「墓壊したわけでもあるまいし、そん」  そんなわけねえだろ。そう言葉を続けようとして、不自然に止まった。  一人の青年が、口元に笑みを湛えたまま、その表情をこわばらせたのだ。最初は、タチの悪い冗談だろうとヘラヘラしていた残りの三人も、段々とその普通ではない様子に緊張感を高めていく。目線の先を辿るように、ゆっくりと振り向いた。四人の視線が一つのものを捉えた。叢から何かが顔を出していたのだ。 「なにあれ、狸?」  一人が、半笑いのような口調で存在を確かめる。同調してくれればいい。そう思っていたと言うのに、残りの三人はそんなそぶりもない。やがて、目の前の黒い影が、ぐにゃりとその質量を変化させた。 「へ、へび、じゃねえの。」  四人の目が、その輪郭を捉えようと真っ直ぐに見つめる。その黒い影はもぞりと動くと、その頭をもたげる様にしてしゅるしゅると首を伸ばす。  ひく、と口元が引きつる。明らかにその生物は、ありえない動きをしているのだ。獣に見える。獣であってほしい。  真っ黒な影は伸びたかと思えば、途端に縮んだりと、まるで質量などないかのような動きを繰り返す。  誰かがごくりと喉を鳴らした。途端、今度は背後でがさりと音がする。その音に驚いて慌てて振り向くと、先程には無かったはずのボコボコに傷んだスーツケースが置いてあった。 「え、まってって、なんで、あんなんあった!?なあ!?」 「う、うろせえ、お、俺がしるか!」 「いやだ、こんな、ありえねえってマジで!」  箍を切ったかのように、一人が駆け出すと、残りの三人も駆け出した。叢をかき分け、それぞれが異質なものから距離を取る。背後からは、カロカロとスーツケースを転がすような音が聴こえてくる。怖い、一体何だというのだ。もしかして、あれは失踪した男のものではないのか?そんなことを思いながら、土を蹴り上げ、木々の合間を騒がしくさせながら走る。横を振り向いた。杉林の間を縫うように、真っ黒な生き物が四人を追いかけてきていた。赤い目を煌めかせ、足音も立てずにだ。 「ひ、いやだああ!!」  こんな怖いことがあってたまるか。ほんの少し、遊び心を抱いただけじゃないか。情けなく声を上げながら、カロカロという車輪の音にも悲鳴を上げる。  やがて、まろび出るかのように、少しだけ開けたところに飛び込んだ。木々がぐるりと囲むそこには、自分たちと同じ位の年かさの青年が立っていた。 「お、おいおまえ!!!」 「やべえよ!!へんなもんがっ!!」  随分と大きなサイズのジャージに身を包み込んだ青年は、己が声をかけられたことに気がついたのか、ゆっくりと四人へと振り返る。  夜で、真っ暗で、互いの顔だって見えにくい位だというのに、その青年の顔立ちはやけに印象にのこった。 「こんばんは、あんたたちうちの敷地でなにしてんの?」 「だから、っ!!ば、ばけものっ、が…」 「化け物?」  琥珀の瞳だった。よくよく見れば中性的な顔立ちで、随分と整った容姿をしていた。あれだけ聞こえていた車輪の音はどこかに消え、青年のいるこの空間には、静かな静寂だけが残っていた。  不思議そうにこちらを見やる青年に、落ち着きを取り戻した四人は、なんとなくバツが悪くなった。よくよく考えてみれば、きっと気のせいだったに違いない。己の目で何かを目にはしたが、容易くイメージできる化け物や幽霊とは違い、ただの生き物のシルエットだ。  きっと、道中見たスーツケースも、恐怖からきた幻覚だったに違いない。そう思い直すと、今まで騒がしく逃げ回っていたことを取り繕うように誤魔化す。  四人は気が付かなかった。青年の背後には、あのとき壊したはずの祠があることに。 「ここさ、俺の大切な場所なんだよね。」  月夜を見上げた青年は、のんびりとした口調で言った。 「は?なに、お前地主?」 「地主、うーん。」  金髪の根本が黒い。それなのにだらしなくも見えないのは、不思議な魅力があるからだろうか。ジャージの下から出ている足はスラリとして、履き潰したスニーカーを履いている。  田舎者だ。そう思った。何を測ってそう決めつけたのかはわからない。だけれど、四人は青年の全身を見て、己よりも格下だと判断したらしい。  自分達は、都会からきた。こんな中途半端な目の前のヤンキーとは違うのだ。その勝手な線引きが、四人の態度を強くさせる。  背後をチラリと見た。やはりなにもいない、気のせいだったに違いない。自分達以外の人間も見つけたことだし、どうせなら出口まで連れてってもらえばいい。 「なあ、おまえさ。」 「嫁かなあ。」 「は、嫁?」  何かを考えるかのように黙り込んだかと思えば、突然、嫁などと宣う青年に、四人は訳がわからないといった具合である。  顔を見合わせて、それぞれが辟易とした表情になる。どうやら目の前のこいつは、人の話を聞かないようだと思ったからだ。こちらが困っているというのに、なんとも呑気な奴である。 「おまえさ、」 「お兄ちゃんたちさ、もうここくんのやめてくんね。」 「あ?」  ぞり、と何か這いずるような音がした。 「もうさ、お前もここに来んのやめろよ。」  もう一度、今度は嗜めるような口調で宣う。先ほどとは違い、人懐っこさは鳴りを顰めた声色だ。青年の背後には、夜の黒よりも深い暗闇がゆっくりと形を作り、その異形な体の輪郭を月明かりがなぞる。 「お、おま、おまえうしろ!」 「ここは神聖な場所なんだ。お前たちが汚していい場所じゃない。」 「ひ、」  スニーカーで草を踏む音がした。目の前の青年が、こちらをまっすぐに見つめてゆっくりと近づく。瞳の色は琥珀色だ。その珍しい瞳の色は爛々と輝き、夜闇を照らす月よりも目を引いた。  夜の木々の葉擦れの音が強くなった気がした。まるで、森の影から湧き出たかのように巨大で真っ黒な生き物が、その身を持ち上げるようにして、青年の背後に姿を表す。  ぞりり、と音がする。なにかが確かに這い回っている。 「う、わ、あ、あ、あ」  動悸が激しくなった。上擦った声をあげながら、青年から逃げるようにして四人は来た道を戻ろうとした。その時だった。 「おやあ、アタイの体にぶつかって、ごめんなさいも言えないのかい。」 「ひ、ひょわあああ!!!」  四人の目の前には、木の隙間を縫うようにムカデの体をした大きな女の化け物が口を開けて待っていた。ありえない、これは悪夢だ。逃げようとして縺れる足を叱咤する。四人は我先にとまろびでるように月明かりの指す方へと駆け出した。  バサリと音がする。もうやめてくれ、怖いのはたくさんだ。もう悪いことはしないから、だから。 「神様助けてえ!!」 「それは俺でも構わないかな。」 「へぁ、」  顔と股座をベシャベシャにした大学生の一人が、情けない声を出して、丸く輝く月を見上げた。月明かりを背負う何かは、逆光になってその姿までは見えない。それでもわかるのは、大きな羽を背中に生やした人型の何かである。天使なんかじゃない。そんな神々しいものよりも、もっと雄々しい何か。  ああ、ようやく理解した。この山にまつわる話はこいつだったのだ。  人身御供で飢饉や疫病から町を救った修験者。そういえば天狗が祀られてるとか言ってたっけ。 「山に悪さをしないのなら見逃そう。しかし、お前たちの身の振り方次第では、こちら側へと連れて行く。」  天狗の周りを、真っ赤な行灯が踊っている。プロジェクションマッピングでも、CGでもない。これは、マジだ。  もうしません、すぐに帰ります。そう叫んだ。答えは一つしかないからである。その後、記憶の限りではあの青年が駆け寄って、天狗に寄り添ったところまでは意識があった。あの怖い影の化け物と、スーツケースの化け物が、並んて青年の方に歩み寄るのを見て、それから。

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