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第9話
「ふふっ、そんなに美味しかった?」
陣は満足そうに笑って、颯太郎を見る。彼の左側の髪がさらりと揺れて、颯太郎は視線を外した。
「…………うん」
颯太郎は小さく頷くと、照れくさくなって食器を片付けに行く。不思議なことに、あれだけ痛かった頭もだいぶ良くなっていて、学校も行けそうな気がしてきた。
颯太郎はシンクに食器を置くと、袖を捲ろうとして止める。陣がこちらに歩いてきたのだ。
「……こっち来なくても……座ってろよ」
「ん? だって、好きな人のそばにいたいじゃん?」
「……」
颯太郎は仕方なくそのまま食器を洗う。袖が少し濡れるけれど、跡を見られるよりマシだ。
「……袖くらい捲りなよ」
「いい」
すると、洗濯の終わりを知らせるメロディーが聞こえる。サッと食器を洗って洗濯機の中身を取り出すと、正臣の下着が出てきてギョッとした。
(あいつ……!)
今度はそれを口実に来る気だ、と颯太郎は思う。しかも下着だけじゃなく、靴下やワイシャツまで入っていた。昨日風呂に入る時に、しれっと入れていったに違いない。
(兄が泊まること自体は不自然じゃない、よな?)
颯太郎は正臣の衣類も一緒にカゴに出して、ベランダに干していった。その様子を、陣はフラットな状態で見ている。
颯太郎が正臣の衣類を干し始めた時、やっぱり陣は突っ込んできた。
「ん? それ、颯太郎のか?」
颯太郎は、極力平静を装って答える。
「いや、兄の。昨日泊まっていったから」
お兄さんいたのか、と陣は一気に楽しそうにオレンジ色を纏わせた。
「お兄さんどんな人? 似てる?」
そう言われて、颯太郎は思わず手を止める。
あんなのと似てるなんて、冗談じゃない。しかし何故そう思うのかと聞かれたら、話したくない事だらけになるので誤魔化した。
「……似てない。血が繋がってないから」
「そうなんだ……」
すると陣はクスクス笑いだした。洗濯物を干し終わった颯太郎は部屋に戻ると、何だよ、と陣を睨む。
「や、男心を掴むには胃袋からって本当だなって」
笑った陣は明るい黄色を纏っていた。感情と言動が一致している彼は、颯太郎を不機嫌にさせる意図は無いらしい。
「野菜炒め食べてから、俺の質問にちゃんと答えてくれるようになった」
泣くほど美味しかったみたいだし、と微笑みかけてくる陣。颯太郎はうっと息を詰まらせ顔を逸らした。
「……人が作ってくれた料理、食べるのは久しぶりだったから……」
ボソボソと颯太郎がそう言うと、陣は、一人暮らしは寂しくなるよなーと笑う。颯太郎は九歳の時から自分の食事を自分で用意していたので、その頃の必死さに比べたら、随分生活は向上したなと思った。
そんな事をぼんやり考えていると、陣がこちらを見ている。彼の綺麗な瞳に、颯太郎は身体ごと視線を逸らした。
「……陣は、一人暮らしなのか?」
「えっ?」
颯太郎は顔が熱くなるのを感じた。家族以外の人の名前を呼ぶなんて初めてだったので、どうしても照れが出てしまう。
「……」
陣はそれ以降黙ってしまったので、気になってちらりと彼を見ると、片手で顔を隠して破顔していた。
その瞬間彼を纏った色に、颯太郎は見蕩れる。
まっさらな白に、薄桃色と淡いオレンジ色が混ざり、優しい桃色に変化した。初めて見る色だ、と颯太郎は思ってると、陣の頬が赤いことに気付く。
「な、名前を呼んだだけでそんなに照れるなよ……」
「いや……あー……想像以上の破壊力だったわ」
陣のその言葉とともに、その色はまた変化し、いつものオレンジ色になった。颯太郎はふい、とカゴを洗濯機のそばに置きに行く。
「俺も一人暮らしだよ。……今度遊びに来る?」
「……気が向いたら」
「あー。それ、一生気が向かないヤツだろ」
颯太郎は黙った。陣は楽しそうにオレンジ色を纏わせ笑う。この人はよく笑うな、と颯太郎は思った。すると、陣は何かを思い出したように、あ、と声を上げる。
「今なら、ライブ誘ったら来る?」
「行かない」
「……だよなー。楽しいと思うけどなー俺たちのライブ」
陣は肩を落とすとうなじをさすった。少し青を纏わせているけれど、それもすぐ消える。
「人が多い所、大きな音が出る所は苦手だ」
「耳栓して、後ろの方にいれば大丈夫だから」
「……人の話聞いてるか?」
いつも無視するのは颯太郎じゃないか、と言われ、やはりぐうの音も出ない。
「……悪かった」
素直に謝ると、別に謝って欲しいわけじゃないよ、と陣は苦笑する。人を避けるあまりキツい言葉を使うのも、長年のクセなのでなかなか止められない。
陣は、まあ座れよ、とどちらが家主か分からない発言をして、ローテーブルの近くに二人で座る。颯太郎のプライベート空間にせっかくいるんだし、このまま学校サボって喋ろうぜー、と陣は床に寝そべる。
「喋るって、何を」
「んー? いろいろ」
陣はそう言ってゴロンと寝返りをうった。肘で頭を支えて颯太郎を見ると、手首の筋が浮かんでいるのが妙に気になり、視線を逸らす。
「……くつろぎ過ぎだ」
えー、だめ? と笑った陣は、体勢を戻す気配がない。オレンジ色と黄色が混ざって、それが白く淡くなっていく。どうやら本当にリラックスしているらしい。
「だってこの部屋、何も無いんだもん。喋っても颯太郎あんまり答えてくれないし」
「喋ろうって言ったのそっちだろ」
颯太郎はそう言うと、じゃあ答えてくれる? と微笑んでいる。颯太郎は少しの間考えたあと、できる範囲で、と答えた。
すると陣は噴き出す。
「そう言うと思った。じゃあ聞くけど、颯太郎はお兄さんの他に兄弟はいる?」
「……陣が教えてくれたら答える」
そうきたか、と陣は起き上がると、テーブルに肘をついた。
「俺の家族は母さんと二つ下の弟。大学進学するから家を出て一人暮らし」
陣は彼のプロフィールを羅列していく。身長、体重、誕生日に血液型、趣味に好きな人のタイプまで話したところで颯太郎はストップをかけた。
「待て、それ俺も答えなきゃいけないのか?」
「できる範囲で」
慌てる颯太郎に、陣はやはりニコニコと笑う。
「颯太郎の家族は?」
陣は纏ったオレンジ色を輝かせながら、優しく尋ねてきた。
「……父と、兄」
「あ、じゃあ俺ら片親同士なのか。……好きな物は?」
サラッと颯太郎の言葉を受け入れた陣は、次の質問をしてくる。陣の身体に纏った色は、次第に赤みを帯びていき、先程の淡く黄みがかったピンク色になっていった。
「好きな物?」
「そ。食べ物でも、趣味でも」
そう言われて、颯太郎は言葉に詰まる。食べ物は特にこだわりがないし、趣味なども無い。
黙ってしまった颯太郎に、陣は笑いかけると、じゃあ質問を変えよう、と座り直した。
「カステラの切れ端は、好き?」
「……別に」
「じゃあ、うどんは?」
「……特に」
そう言いながら、陣は颯太郎の好きな物を当ててみる、と言い出し、次々と質問をしてくる。
「読書は?」
「必要ならする」
「運動」
「疲れることはしたくない」
「……だーっ、難しいっ」
陣は大袈裟にひっくり返った。そして少し天井を見上げて考えたあと、また起き上がる。
「俺のことは?」
ニコッと微笑まれて、颯太郎は視線を逸らした。感情がからかいの黄色になっているので、颯太郎は黙ることにする。
「あ、答えないとかずるいぞ」
「じゃあ、うるさいヤツ」
「じゃあってなんだよ、じゃあってー」
文句を言いながらも、陣の感情に薄桃色が混ざった。こんな答えでも嬉しかったらしい。
「でも、大学でまともに喋ってるの、俺くらいだろ?」
「……」
「あ、でもお兄さんを泊めるくらいだから、お兄さんとは喋るのか」
じゃあ親父さんは? 連絡取ったりするのか? と聞かれ、颯太郎は机の一点を睨んで拳を握る。本当は父も正臣も口を聞きたくもないのに、どうしてこうなっているんだ、と現状にイライラした。
「……颯太郎?」
「うるさい。もうこの話は終わりだ」
「……なんか怒った? 何? 謝るから、何が原因なのか教えてよ」
急に態度を変えた颯太郎に対し、陣は素直に聞いてくる。颯太郎は長いため息をつくと、膝を抱えて座った。
「……家族の話はしたくない」
そう言って、顔を突っ伏す。自分でも情けないと思うけれど、その手の話をしただけで感情が忙しく動くのは苦しい。
すると陣は声のトーンを落とした。
「……そっか。ごめんな」
「うん……」
優しい陣の声に、颯太郎は何故か泣きたくなる。
嘘だ、と颯太郎は思った。本当は誰かに聞いて欲しい。けれど、受け入れてもらえないのが怖いのだ。
陣が優しく笑った。
「颯太郎、俺やっぱりお前が好き」
「…………分かった」
颯太郎は小さく応える。
どうしてこの状況でそれを言うんだ、と颯太郎は赤くなった顔を上げられずにいた。
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