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第31話

綺麗な顔の子だな。森山陣はそう思った。 サラサラとした黒髪に、黒目がちな瞳、キメ細やかな肌は毛穴も見当たらないくらい綺麗で、薄い唇は薄桃色をしていた。しかしその唇はいつも真っ直ぐに閉じられていて、口を開けば辛辣な言葉が出てくる。 ツンツンしてる奴だな、と思った。 最初は本当に、スリから助けてもらったお礼をするつもりだった。しかし次の日辺りから、そのキュッと結ばれた唇を綻ばせたい、そんな気持ちが出てきてしつこく彼に付きまとう。そして途中で気付いた。 彼はふとした瞬間に、すごく寂しそうな顔をするな、と。 どうしてそんな顔をするのだろう? 何が彼をそんな顔にさせているのだろう? 陣の頭の中はそればかりを占めていく。 あの、泣きそうな顔をしている彼を慰めてあげたい。大丈夫だよって、安心させてあげたい。そんな気持ちになるまでに、それほど時間はかからなかった。 そう、気付いたら気になっていて、好きになっていたのだ。 男を好きになるのは初めてだった。けれど陣は戸惑うことなく、それを受け入れたのだ。好きになる気持ちは同じなのに、同性だと何故タブー視されるのか? と。 陣は電車を降りた。今日は日曜日で、今は深夜だ。人通りも無いし、自分の足音だけが響く地下の通りを歩く。 大学を卒業して一年。陣はイベント企画会社に入社していた。主にライブや音楽フェスの企画や設営をしていて、今はイベントの撤収が終わって帰宅するところだ。 「颯太郎……さすがに寝てるよなぁ」 陣は呟く。颯太郎はリモートワークでずっと家にいるものの、明日は月曜日で仕事があるので寝ているだろう。 「……何か腹減ったな」 陣は途中にあるコンビニに寄ることにする。店に入って、レジ前の見切り品を置いた商品かごを思わず覗いて、苦笑した。颯太郎の癖がいつの間にか移ってしまったらしい。掘り出し物があれば買うけれど、そこには興味のない食玩ばかりが並んでいた。 (颯太郎は……どれ買っても良さそうだけどなー) 一緒に住み始めてこちらも一年、お互いの生活スタイルも分かってきて、陣は思わず口を綻ばせる。颯太郎の食のこだわりの無さには驚いたけれど、逆に好き嫌いが無くて、食事を作るのには助かっていた。ただ、放っておくとジャンクフードを飽きもせず食べ続けるため、冷蔵庫の管理は陣がしている。 そのおかげか、颯太郎の肌ツヤがだいぶ良くなったのだ。元々綺麗だったけれど、さらに触り心地が良くなった颯太郎を思い出しかけて、陣は首を振った。 (あー……あの白いうなじにキスしたい……) 勝手にニヤける顔を手で隠しながら、陣は目についたスイーツを取った。疲れた時は甘いものに限る、と二つレジに持っていく。 会計を済ませて自宅へ急ぐと、マンションの自宅の明かりがついていることに気付く。まさかと思って慌てて階段で二階に上がり、鍵を開けて部屋に入ると、しんとした空気が陣を迎えた。 「……颯太郎?」 明かりがついたリビングに入っても、そこは静かで、陣はそっとソファーを覗く。そこには背もたれに身体を預け、穏やかな顔で眠る颯太郎がいた。どうやら待っていてくれたらしい。 陣は身をかがめ、そっとその小さな唇に口付けた。 「ん……」 吐息のような声を上げて、目をうっすら開けた颯太郎は、目の前に陣がいることに気付いて目を見開く。 「ただいま。待っててくれたの?」 みるみるうちに顔を赤くした颯太郎は、視線を泳がせ手の甲で口を塞いだ。分かりやすく照れた彼を可愛いと思って見ていると、颯太郎はふい、と顔を逸らす。 付き合ってきて、だいぶこうした接触に慣れてきたようだったけれど、突発的な事に関してはまだまだ照れるようだ。彼には陣が何を考えているか、色で分かるらしいので、多分それで顔を逸らしたのだろう。 「たまたま……ここで寝ちゃっただけだ」 ボソボソと言う颯太郎の顔はまだ赤い。嘘だと思いつつも、照れ隠しだと分かっているのでスルーしてあげる事にする。 「そう? ……ね、スイーツ買ってきたけど食べる?」 「……うん」 素直な返事に陣はニッコリ笑うと、袋から買ってきたスイーツをテーブルに置いた。 「……モンブラン……」 珍しく颯太郎が食べ物に反応する。嫌いだった? と聞くと、いや、とだけ返ってきた。 「もしかして、好き?」 陣はそう聞くと、彼は少し、ほんの少しだけ口元を緩ませる。そしてうん、と言って頷くのだ。 思いがけないところで颯太郎の好きな食べ物が発覚して、これは絶対覚えておくぞと誓う。 すると颯太郎はポツリと話し出した。 「お母さんが……休みの日にお父さんがいないと、決まって俺とケーキ屋に行って、イートインで食べてたんだ。あまりに幸せそうに食べるから、俺もいつの間にか好きになってた」 少し微笑んで言う颯太郎の思い出話は、いつも少し悲しい。 颯太郎の両親の離婚は父親の不倫だと聞いた。それは母親が、夫がどこへ出掛けたか分かったから、憂さ晴らしに行っていたのかもしれない。後に母親も不倫をしていた事が分かるけれど、当時の颯太郎にとっては母親とのかけがえのない思い出だったのだろう、と思うと切なくなる。 「じゃ、一緒に食べよ」 「うん」 そう言って陣は一つ颯太郎に渡すと、ソファーに座り、二人で開けて食べ始めた。栗の風味とぽってりとした食感と甘みが疲れた身体に沁みる。 「……ごちそうさま。ありがとう」 二人とも食べ終わると颯太郎はそう言って、陣の分の空容器も持っていく。軽く洗って捨てるので、颯太郎はカウンターキッチンへと向かって行った。 陣はその後を追いかける。 「コンビニスイーツって久々に食べたけど、美味いな」 そう言いながらキッチンに立つ颯太郎の後ろから抱きついて腰に腕を回すと、彼は分かりやすく身体を硬直させた。そして帰宅途中からしたいと思っていた、颯太郎の細いうなじに口付ける。 「……っ、こら……」 敏感な颯太郎はそれだけでも肩を大きく震わせた。今彼が持っているのはプラスチック容器なので、割ることはないだろ? と肩に顎を乗せる。 「……」 彼からの返事はない。なので陣はもう少し意地悪をする事にした。 陣は顎を乗せた肩から首筋に口付ける。また大きく身体を震わせた颯太郎は、構わずそこに舌を這わせた陣を咎める声で呼んだ。しかしそれでも止めず、颯太郎の腰に回した手を、シャツの上から撫でて胸を弄ると、彼は容器を落としてシンクの端を掴む。そこで彼の体温が一気に熱くなり、陣はその反応を見て腰の辺りがゾクッとする。 (あ、やべ……颯太郎は明日仕事だよな) 思わずそのまま続けそうになって、陣は自分を落ち着かせるために体勢を元に戻し、長く息を吐いた。 すると颯太郎が陣を呼ぶ。今度は返事をすると、彼は正面を向いたまま耳を赤くして言った。 「……俺、明日休みになった……」 「え? 明日は月曜日だろ?」 何で? と問うと、納期より少し余裕を持って仕事が進んだので、休みをもらったそうだ。陣の仕事は業務内容的に土日祝日は出勤のため、休みは平日だ。そして今日はイベントが終わった後なので、明日は休みだ。 思わぬ所で二人の休みが重なり、それで颯太郎は、この深夜まで起きて待っていようとしていたのか、と思わず口を綻ばせた。 「そーたろー」 「……っ、だからこれだけ片付けたいっ、離せっ」 颯太郎は洗った空容器を指差し、陣を睨む。しかし陣はそれを無視して、彼がこちらを向いたことを良いことに、唇にキスをした。 キスはモンブランの甘い香りと味がする。陣は満足して身体を離すと、リビングで待ってる、と颯太郎に微笑みかけた。 (あー……可愛い) リビングのソファーに移動しながら、陣はニヤける口元を押さえる。 颯太郎はどんな顔をして自分の元へ来るのだろう? まだ唇はモンブランの味がするだろうか、と陣は可愛い恋人が戻ってくるのを大人しく待っていた。 (終)

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