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前編
「お疲れー」
「お疲れ」
俺はギターをしまいながら、先にスタジオを出るメンバーに声を投げた。
俺の仕事はミュージシャン。……ではなく、サラリーマンだ。食品会社で働いている。その傍ら、バンド活動に勤しんでいるというわけだ。
会社では少々浮いているんだろうが、それは特に気にしていない。休みの日に何をしていようが、俺の自由だからな。
週末になり、俺はいつものようにスタジオへ向かった。
その日は終日、ひたすら音楽の世界に浸ることができた。他のメンバーも珍しく一日フリーで、昼には全員がスタジオに集まっていた。それから音を合わせて話し合って。すごく充実した時間だった。
夜になり、俺たちは片づけをしてスタジオを出た。
ドアの前に、あるバンドのメンバーがソファに腰掛けて待っていた。
「おはようございます」
俺が挨拶をすると、向こうも「おはようございます」と返してきた。彼らの名前は知らない。でもいつも俺たちの後に予約を入れているバンドだったので、挨拶くらいはいつも交わしていた。
でも、それだけだった。全く違った音楽をやっているんだろうなということが相手の容姿から想像できたし、実際そうだったからだ。だから特に深い交流へと発展しなかったのだった。
ただ、俺はその中の一人に憧れていた。
言っておくが、俺は同性愛者じゃない。今まで男に惚れたことは一度もないし、付き合っていたのは勿論、皆女だった。
でも、『なんか気になる』。そんな男が一人いた。それがそのバンドのメンバーだった。
特に冴えた奴じゃない。ぼんやりというかほんわりというか、そんな印象の、メガネをかけた男だ。その辺にいる、どちらかというと地味なタイプの男だった。
顔は、よーく見尽くしたわけじゃないが、男が10人いたら3、4番目ぐらいに整ってるやつ、くらいだな。でもカジュアルシャツにチノパンという地味なファッションだから、もしその10人が合コンに行けば、そいつよりちょい不出来な5、6番目の派手な奴に食われちまう、って感じだ。
いつもギターを持って来るからギターなんだろう。俺はヴォーカルだから共通点はない。そんな感じなのに、俺はいつからかそいつに挨拶するほんのコンマ数秒前に、自分の息がくっと詰まるのを感じるようになった。
ある日の会社の帰り、ふと誰かに呼び止められた。『あの、すみません』なんて言うから、勧誘かなんかだと思って、露骨に不機嫌な面で振り返ってしまった。
そこには例の奴がいた。
「あ、どうも、こんばんは」
すぐ表情をもとに戻し、挨拶をした。また喉の奥がくっと詰まった。
「偶然ですね」
そいつは明るい笑みを浮かべた。少し息が上がっているように見える。俺の姿を見かけて、わざわざ追いかけてきたのかな?
なんて思った瞬間、次は心臓がくっと締め付けられ、俺は初めての衝撃に戸惑った。
「そうですね。えっと、会社の帰りですか?」
そうは見えなかった。そいつはいつもの普段着だったから。
そいつは少し慌てた様子で答えた。
「あ、いえ。今日は買い出しに」
「そうなんですか」
「はい」
挨拶だけで終わるんだ、と思っていた。でも、なんかいいように空気が流れて、近くの呑み屋で一杯やりますか、ということになった。
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