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後編

 まずは自己紹介からだった。 「あ、俺こういうモンなんです」  我ながらしっかりしない挨拶だな、と思いつつ相手に名刺を渡した。 「あ、ありがとうございます。僕もこれを」  相手の名刺を受け取る。職業はプログラマーか。やっぱり共通点はなかった。  それから俺たちは初歩的なことから話を始めた。いつも挨拶ぐらいしかしませんもんね、とか言いつつ話が始まったわけだ。  きっと楽しかったんだと思う。俺も、多分そいつも。  一杯だけのつもりが、次の店、となって、最終的にはそいつの部屋に辿りついていた。よく入れてくれたよなって思う。そんなフランクなタイプに見えないから。信用してくれたんだって、少し嬉しくなった。  話はやっぱり音楽の話だった。  どんな音楽をやるのか聴いてみたくなり、聴かせろと言ってみた。すると彼は快諾し、ギターを出してきて歌いはじめた。  ヴォーカルだったのか。つまりは弾き語りだったわけだ。  彼の声が、徐々に部屋の中を染めた。ハスキーなのにクリアでソフトな声だった。  柔らかな声なのに、声量のない苦しげな声に聞こえなかった。きっと俺が思っている以上に声量があるんだろう。  酔ってるのに、ギターを弾く指にもたつきがない。ギターの腕も確かだった。 「どうだった?」  そいつが尋ねてきた。 「いいね」  半分本音、だった。本音を詳しく語ると、曲自体はそんなピンとこなかったんだ。悪い曲じゃなかったけど、俺の好みじゃなかった。でもそいつの声は俺の中に残り続けて、いつまでも聴いていたいと思えた。 「アンコール、アンコール」  ねだると、彼は嬉しそうにまたギターを弾きはじめた。  驚いた……。  それが二曲目の感想だった。さっきまでの声と全然違う。ハスキーな声に力強さが加わって、野性的な声だった。それほど頑丈にも見えない首の中には、しっかりとした喉が棲んでいた。  俺はその音に酔った。柔らかい天使の声と強い野獣の声が頭の中で交錯して反響し、そいつの声にどんどん酔っていった。 「そんな歌も、歌えるんだ」 「んー。まぁ、あんまり歌わないけど。喉に負担かかるからさ」  そいつは自分の首を指差し、苦笑した。  俺は酔っていた。酒にも、そいつの声にも。色んなものに酔っていた。 「ねぇ」  そう声をかけると同時に、俺はそいつにキスをした。同性だとか、同性愛者じゃないとか、そんなフィルターが全部取れて、俺の前はすごくクリアだった。 「……ッ」  そいつの窮屈そうな息が漏れる。そいつの手が俺の肩を掴んで拒んでいる。でもやめられなかった。  メガネが邪魔だったから取り上げた。  そいつの手が拳に変わり、俺の肩を殴った。でも俺はやめなかった。そうしている間にも窮屈そうなそいつの息が漏れて、その音がまた俺をおかしくさせた。  体格の差があった。俺の方が一回り大きい。力でねじ伏せるのは簡単だった。女を力でねじ伏せたことはないけど、おそらく女をねじ伏せるよりは少し大変なんだろうと思う。でも困難ではなかった。  唇だけでは足りなかった。その奥にある舌へと侵食する。そいつの歯列をなぞり、舌を満遍なく弄んで、全て余すことなく舐め尽くした。  かなり深いキスだったんだと思う。拳を握っていたそいつの手が、いつの間にか俺のシャツを掴んでいた。  ゴン、という音がした。そいつの頭が後ろに揺れて壁にぶつかった音だった。  それでも俺は足りなかった。そのもっと奥にある咽頭まで舌を届かせて、舐め尽くして、まだその奥にある声帯を食いちぎらんばかりに貪りたい。そんな衝動に駆られるままに彼にキスをした。  俺は嫉妬したのかもしれない。彼の声に。こうやってキスを繰り返せば、そのままそいつの喉が溶けて俺の喉に流れ込むような、全てが俺のものになるような、そんな気がしたんだ。  俺がやっとそいつを解放した時、そいつは心ここにあらずの状態で浅い息を繰り返していた。よっぽどなことをしたんだと一瞬にして熱が冷めたが、一度肺に空気を送ってやると、またさっきまでの酔いが戻ってきて、むしろその状態が正常な気になった。 「な…んで?」  まだ浅い息を繰り返すそいつは、やっとのことで音を零した。呆然とした表情のまま、でも黒い瞳がしっかりと俺を見ていた。 「さぁ」  俺は誤魔化した。誤魔化しながらも、俺の手はさっき壁にぶつけたそいつの頭を包み込んでいて、そいつの体は俺の胸の中に収まっていた。  顔を見られたくなかった。今の俺がどんな顔をしているのか、それが想像できなくて見られたくなかったんだ。だからそいつを抱き寄せた。でも、その意識すら誤魔化しだった。  俺はこいつが欲しかったんだ。でもほんの一瞬、俺の中の何かが一枚のフィルターを作り出し、咄嗟に取り繕ってしまった。  それに気づくのは早かった。もう既に俺の中には新しい欲求があったから。  俺はそいつの瞳を覗いた。 「抱いて、いい?」  何かに操られるように呟く。 「はぁ⁉」  やっと息が落ち着いたそいつの大きな声が返ってきた。 「何言ってるの? 君そういう趣味の人だったの⁉」  かなり慌てている。多分、『それなら部屋に入れなかったんだけど』みたいな意味合いも含んでいるんだろう。 「違うよ」  意外とすんなり否定できた。そんな状態でも、やっぱり俺には同性愛なんて考えられなかったから。でも、欲求は俺を素直にさせた。 「でも抱きたい」 「無理!」  半ば食い気味で拒否された。でもそれで引き下がれるのなら、最初からこんなに酔ってないんだよ。 「ね、お願い」 「ムリ! ムリムリムリムリ! 絶対ムリ‼」  そいつは子供みたいに同じ言葉を繰り返して、胸の前でぶんぶんと両手を真横に振った。 「俺そういう趣味ないから! 絶対無理だから‼」  必死だ。そうだろうな。『そういう趣味』もなく、『今からあなた掘られますよー』って言われて動揺しない奴なんかいない。 「じゃ、挿れるのなしでいいから。触らせて」 「はぁぁ⁉」  さっきよりでかい『はぁ⁉』だった。こっちは譲歩したっていうのに、そんな声を出されるなんて少々心外だ。  俺の手はもう、そいつのチノパンのファスナーにかかっていた。 「ちょっと! ダメだって、無理だって!」  俺に半ば覆い被さられた状態で、そいつは暴れた。 「大丈夫。できるって」  何が大丈夫なのか、自分でもさっぱりだ。何を根拠にできると言ったのかも不明だ。ただ、思考回路なんてものがショートした俺の脳内には、『挿れなければレイプじゃないよな』みたいな言い訳があって、暴走していた。  そいつのボクサーパンツに触れ、それ越しにそいつに触れた。そいつの抵抗する声が慌から焦りに変わった。 「ダメだって!」  俺の腕を掴む。でもやっぱり、さっき思ったとおりだ。俺はこいつを力でねじ伏せられる。そいつの抵抗は俺にそう認識させただけだった。  そいつの形をなぞって、指先だけで小さな刺激を与えてやる。そいつの先端を指で押してみると、少しだけそいつの体が跳ねて、そいつの手が俺の二の腕を強く掴んだ。  これじゃだめだ。  俺の暴走にブースターがついてしまった。  もっと、もっと直に触れてみたい。  その欲求のまま、俺はそいつのボクサーパンツに手を入れた。  直に伝わるそいつの体温。そいつ自身の体温と俺の掌の体温が触れ合っていた。  熱い。その熱にまた絆され、そいつにキスをした。そいつの息が俺の唇を撫でた。  右手でそいつのものに触れたまま、左手で自分のスラックスのファスナーを下ろした。 「え! ちょ、ちょっと!」  約束が違う、と言わんばかりの声で抗議された。まぁ、もともと今している行為の許可すらもらってないのだが。 「大丈夫。挿れないから。こうして……」  俺は右手でそいつのものと自分のものを包み込み、ゆっくりと擦りはじめた。 「ひゃ……っ」  瞬間、そいつの細い声が漏れた。さっき一曲目で聞いたような高音。だがさっきよりずっと艶っぽく聞こえた。  擦りながら、俺はまたキスをした。そいつの額に、少し潤んだ目に、そしてやっぱり唇に。  浅い息と、時々聞こえる、溺れるような細い声。  熱い。何もかもが熱くなる。  呼吸が、血肉が、自分の何もかもがそいつに共鳴して熱くなる。  何度目か分からなくなったキスをした時、そいつと俺は同時に精を吐き出した。  ぐったりと壁にもたれるそいつに俺は尋ねた。 「ねぇ、また会える?」  キッと、そいつの黒い双眸が俺を睨んだ。 「部屋には呼ばない! 二人きりになる場所には行かない!」  はっきりとした意思を見せているのに、それがまるで子供の我侭の様に聞こえて俺はクッと笑った。 「じゃ、それ以外の場所では会ってくれるんだ?」 「そ、れは」  そいつが言葉を詰まらせた。 「……ライブにでも、来れば? 今度やるから! 勿論、チケット買って!」  転がるように声を放ったそいつは傍にあった雑誌の上から、一枚の紙を取り上げて俺の胸に叩きつけた。 「分かりました。じゃ、また今度。次はライブで」  そうして俺は部屋を出た。  扉を閉めた後、俺は我慢ができなくなって、ドン、とそいつの部屋の外壁を叩いた。それでも堪えきれない。俺はしばらく、ヒーヒーと掠れた声で笑った。  面白い。たまらなく面白い。  次、スタジオに行くのが待ち遠しくなった。

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