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第71話不吉な足音

暖かい日差しの中、BINGOの裏にある小さな庭でジュリはレモンバーベナの植え付けをしていた。朝晩はまだ冷えるものの、日中はすっかり暑くなりジュリも外に出るときはつばの広い麦わら帽子が必需品となっていた。 レモンバーベナ含め、この庭のハーブのお世話をし出したのは最後にショウに会った日からだ。 三週間前のあの日、マグノリアが淹れたハーブティー。使われているハーブは全てマグノリアが庭で育てているものだった。 『だって、あんた妊娠してんだから。ちょっとでも体に良いものじゃないと!』 “コーヒー”でも“紅茶”でもなかったのは、マグノリアの優しさからだった。 それを知ったジュリはマグノリアの優しさに胸が熱くなり、感謝の気持ちをハーブのお世話で返そうと思ったのだ。 「お疲れ、ジュリちゃん!」 裏庭に現れたのはライアン。 火を使う厨房は余程熱いのかコックコートの袖を捲りあげ首には白い手ぬぐいがかけられている。 「あ!お疲れ様ですライアンさん!……どうです?新人さんは?」 「いや~……まだまだだね。ジュリちゃんが優秀だったから余計に手こずってるけど……。でもやる気はあるからしごきがいがあるよ!」 ライアンは手ぬぐいで汗を拭きながらがははと笑った。 ジュリがここを去ると決まってから、マグノリアとライアンは新しいシェフを雇うと決めた。お腹の大きくなってきているジュリを何時間も厨房に立たせるのは無理がある上に、ジュリが去った後、人手が足りないのは明確だったからだ。 募集をかけてからわずか三日で現れた新人は、料理人になりたい若いベータの少年で不器用ながらも早くBINGOの一員になれるようにと頑張っている。 「ところで、ジュリちゃん。これから検診だっけ?」 「うん、そうだよ。この街で受ける検診はこれで最後。次からは王宮のかかりつけのお医者さん診てもらうんだ」 幸せそうに微笑みながらお腹を優しく撫でる。 ぽっこりと膨らんだお腹は一か月前よりぐんと大きくなっていて王宮から持ってきたブラウスは着れなくなっていた。 そんなお腹を大事そうに撫でながら、そうだ、と思い出したように話をつづけた。 「ライアンさん、今日病院行く前にクリスのとこ行こうと思ってて」 「そっか、あいつ今日帰ってくるんだっけ?約束してるのか?」 「ううん。びっくりさせようと思って内緒で行くんだ!だから、いつもより早く出ていいかな?」 「おう、いいぜ!もう暑いしお腹も大きいんだから気を付けてな」 親指を立ててにっと笑う。その笑顔に釣られてジュリも同じように親指を立てた。 ー--- 時刻は午後三時。 一日の中で一番暑くなる時間帯。ジュリは身支度を整えBINGOの裏口に立っていた。 「診察券にお財布、水筒。あと、これも着け忘れてないよね……」 ショルダーバッグの中身を一つずつ確認した後、首に掛けられている銀色のチェーンに手を這わす。 そのチェーンの先には再会したときにショウからもらったダイヤの指輪がついている。 大切な婚約の証。本当はずっと指につけていたかったが妊娠すると指がむくむから外した方がいいとマグノリアに注意されそれからチェーンに通すことにしたのだ。 ショウとは弟と一緒に話をしてか会っていない。なるべく早く視察を終えるためあの後すぐに街を出発したからだ。 最後に求めあうようなキスを何度もし「手紙を送るから」と言ったショウの寂しそうな顔を思い出す。 ――手紙も送ってくれたし、この指輪があるとショウを近くに感じれる気がする。 思わず笑みがこぼれる。 ジュリは胸元のダイヤの指輪を服越しにきゅっと握りしめるとまっすぐ前を向き意気揚々に歩き出した。 この時、ジュリは幸せで胸いっぱいで後方からの不吉な影に気づいていなかった。

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