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最終話『雨の日には』

穏やかな昼下がり。 店内は特製ランチメニューを目的とした来客で賑わい、ガヤガヤとしたざわめきとカチャカチャと鳴り響く食器の音。 「だいぶ落ち着いてきたな。」 「そうだね、もう少ししたら昼休憩行けそうだ。」 ホールの片隅、メニューや食器を引きキッチンに預けながら内藤くんが笑う。 腕時計を確認すればいつもより時間が押していて、今日も忙しい午前中だったことに感謝した。 「秋山くん、向こうのテーブル呼んでるよ。」 「え?」 後ろから肩を叩かれ振り向けば、同じく忙しく動き回っていた美波さんが「あのご婦人は任せた。」とボソッと呟いた。 視線を向ければ常連客の女性、最近は美波さんがお気に入りなのかよく足を運んで下さっている。 「美波さんが行った方が喜ばれますよ?」 「やだ。あの人美味しそうな匂いはするけど、なんか苦手。」 「またそう言うことを…お客様狙わないで下さいよ。」 「客じゃなければ良いんだ?」 「別に、俺達の本能否定したい訳じゃ無いですから。節操がないのが許せないだけで。」 「本命なら許す?」 「居るんですか?」 「まだ。」 「なら我慢ですね。」 「えー…」 メニューを準備しながら声を潜めて言葉を交わす。 彼とこんな風に穏やかに会話する日がくるなんて思わなかった。 「じゃ、行ってきます。」 「ありがとー。」 ヒラヒラと手を振るのに苦笑し、テーブルへと向かう。 「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ…」 一礼し手渡せば「ありがとう」と受けとる女性。 その体から昇る血の香りは確かに美味しそうではあるけれど。 悠さん以外はどうでもいいし… 例え誰であろうと、この先俺が他人の血の香りに魅力を感じることはない。 あの人でなければ満たされないのだから。 「…少々お待ち下さい。」 悠さんのことを思うだけで自然と溢れる微笑み。 女性が顔を赤くするのを尻目にその場から離れた。 「今の絶対落ちたよね、内藤くん。」 「やだねー、蒼牙のああいう無自覚なところが女の子泣かせるんですよねー。」 「はい?」 戻れば二人がヒソヒソ話していて、話題が分からず首を捻った。 「何言ってんだか。じゃあ、昼お先です。内藤くんあとはお願いね。」 「おー。俺も後から行くわ。」 まだ何かを笑っている二人を放っといて、先に休憩室に向かいながら大きな窓に目をやる。 空一面に広がる薄暗い雲に、今夜は雨になりそうだと小さく笑った。 だって、こんな雨の日には… 「篠崎、飲みに行かないか?」 「外川さんのところか?」 「そ。たまには秋山くんも誘って一緒にどうだ?」 木内の言葉に「それも良いな」と笑った。 けど… 「んー、でも今日は止めとくよ。降りだしたし。」 見上げた空は朝から姿を変え、僅かに雨が降りだした。 こんな天気の日はゆっくりと自宅で過ごしたい。 「そっか、ならまた誘うからその時は付き合えよ。」 「ああ。じゃあ、外川さんによろしくな。」 軽く手を上げ木内と別れる。 少し肌寒く感じる空気、アスファルトを濡らす雨の匂い。 不快に感じるはずの天気だが、嫌いではない。 「…むしろ好きだな」 小さく呟き、掌に落ちてきた雨粒を握りしめた。 なぜなら、雨の日には… 「寒いな」 「寒いですね」 『お前を』 『貴方を』 抱き締めることができるのだからー。

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