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レンカ
side 蒼牙
「·····はぁ···。」
平日のランチタイム。
休日よりかは若干少ないお客に対応しながら、ふとした瞬間にため息が出る。
無意識のうちに吐いてしまうそれは、端から見れば鬱陶しいものに違いない。
「どうかしたの?蒼牙くん、今日はため息ばっかりだよ?」
スタッフルームで休憩していると、同僚の井上さんが側に来て聞いてくる。
以前彼女からの誘いを断ってからというもの、それほど親しくした覚えはない。
なのにいつの間にか名前呼びになっていることに、少しイラッとした。
それほどに今の俺には心の余裕がない。
「いや、何でもないです。」
作り笑いを浮かべそう答えれば、少し顔を赤らめながら「悩み事なら相談にのるよ?」と続けられる。
····だから、本当にいいから。
今は関わらないで欲しい。
「大丈夫です。別に悩み事とかじゃないですから、気にしないでください。」
そう言ってその場から離れようとすると、咄嗟に服の裾を掴まれた。
「あのさ、今日の夜ヒマ?良かったらカラオケでも行こうよ。」
「········」
「蒼牙くん、彼女いるんだよね?それは知ってるけど、ちょっとくらい遊んでも良いと思わない?毎日すぐに帰ってつまらないでしょ?」
早口でそう捲し立てられて、少し呆気にとられてしまう。
もしかして俺が朝からため息ばかりついているのは、彼女と上手くいってないから···とか思われているのだろうか。
「ね?行こうよ。良い場所知って」
「行かない。」
少し強めに答えれば、言葉を遮られた井上さんが顔を歪めた。
「ごめんね。遊びにいくよりもあの人のところに早く帰りたいから。」
掴まれていた服の裾をそっと外しながらそう伝える。
「だから俺じゃなくて他の人を誘って下さい。」
そう続けると、その場を離れた。
····ほんと、早く帰って抱き締めたい。
そして何があったのか···悠さんの口から聞きたい。
昨夜からの悠さんの態度を思いだし、またため息を吐きそうになるのをぐっと押さえる。
とりあえず、今は仕事に専念しないと。
気持ちを引き締め俺はフロアに戻っていったー。
仕事が終わりスタッフルームでスマホをチェックすると一件のメールが来ていた。
『久しぶり。レンカさんが近いうちにそっちに行きます。清司くんから何かを聞き出してたみたい。一応知らせておく。』
珍しい人物からのメールは、思いもよらない内容のもので。
ビックリしてつい読み直してしまう。
「········」
暫く立ち止まったまま見つめていたスマホの画面が薄暗くなる。
それに気づいてポケットに仕舞おうとした途端、今度は着信音が鳴り響き慌てて画面を見た。
『蓮華さん』
···早速ご本人から電話だよ。
愛しい人からの電話ではなかったことへの残念な気持ちが過ったのは一瞬で、俺は数回の着信音で電話に出た。
「····はい。」
『蒼牙?久しぶりね、元気にしてる?』
「久しぶり、元気だよ。蓮華さんは?総一郎さんと仲良くしてるの?」
電話の向こうの声は優しく明るい。
この声の口調からして、今はかなり機嫌が良いのだろう。
『当たり前でしょ。今も一緒にいるわよ。』
「相変わらずだね、良かった。さっきナオから連絡があったよ。近いうちにこっちに来るんだって?」
『そうよ。蒼牙ったら、ぜんぜんこっちに遊びに来てくれないんですもの。だから私が会いに行くわ。』
クスクスと笑いながらそんなことを言われ、思わず苦笑した。
「そっか、ごめんね。それで?いつ来るの?」
『ナイショ。』
「···え?」
予定を空けておこうと思って聞いた言葉は、見事に空回りに終わった。
内緒···って、俺がいなかったらどうするつもりなんだ?
『言ったらつまらないじゃない。近いうちに···といっても、一週間先か一ヶ月先かわからないでしょ?サプライズで現れるってドキドキしない?』
「····ドキドキねぇ···まぁ良いけど。」
そうだった。
この人はこういう人だった。
昔から人の反応を見て喜ぶところがあって、イタズラやサプライズをよく仕掛けられたものだ。
でも今日こうして宣言してしまうと、サプライズにはならないんじゃないだろうか···。
相変わらずどこか抜けている蓮華さんにクスッと笑いが溢れる。
そこがまた彼女の魅力なのだろうけど。
『···あら、総一郎さんが呼んでるみたい。じゃあね、蒼牙。声が聞けて良かったわ。』
「ん、またね。」
暫く話している途中でそう言うと、蓮華さんは『愛してるわよ』と残して慌ただしく電話を切った。
そういえば総一郎さんとは話さなかったな···
そんなことを思いながら切れた画面を見つめた。
そしてふと思いだしメールを開くと、手早くナオに返信を打つ。
送信完了を確認すると今度こそスマホをしまう。
早く帰ろうと思っていたのに、蓮華さんからの電話で少し遅くなってしまった。
·····急いで帰ろう。
『おかえり』と出迎えてくれる悠さんを想い、胸が暖かくなる。
今日はまだ抱き締めていない。
あの愛しい身体を抱きすくめて、あの人の香りで満たされたい。
本当は様子がおかしかったことを問い詰めたい気持ちがある。
悩み事なら相談して欲しいし、困っているのなら頼って欲しい。
どんな些細なことでもいいから、俺を必要として欲しい。
でも、俺が聞いてもあの人は『何でもないよ。大丈夫。』と隠そうとするだろうから。
だから悠さんが自分から話してくれるのを待とう。
そう心に決め、俺は職場を後にしたー。
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