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レンカ2
side 悠
会社の休憩室の中、缶コーヒーを片手にボーッと空を見る。
思い出すのは昨夜の電話のことばかりで、ウジウジと考えてしまう自分にいい加減腹が立つ。
夜、蒼牙が風呂に入っている間に携帯に着信があった。
こんな時間に誰からだろうと画面を確認すると、雛森さんからで。
「はい、篠崎です。」
『あぁ、悠くん?久しぶりだね。』
久しぶりに聞く雛森さんの声は相変わらず柔らかく、やはりどこか蒼牙と似ていてどきりとさせられる。
挨拶から始まった会話は簡単な近況報告に変わり、『蒼牙と同棲を始めたんだって?』と聞かれた時には流石に照れてしまった。
『どう?アイツの束縛に辟易してない?』
「そんなことないですよ。どちらかと言うと、俺の方が蒼牙に頼ってますから。」
笑いながらそんなことを言う雛森さんに俺も笑い返した。
顔は見えないが、恐らくニヤニヤしているのであろう様子に赤面していると、電話の向こうで『イタッ!』と小さな声が聞こえた。
「どうかしましたか?」
『あぁ···いや、なんでもないよ。ところで、今日電話したのは悠くんと話がしたいって人がいてね。』
「俺とですか?」
思わぬ会話の流れに聞き返すと『そう。今代わるから、ちょっと待っててくれる?』と続けられた。
小さな声で『ごめんね。』と謝られるのに「いえ、大丈夫ですよ」と答えたが、一体何に謝られたのか分からなかった。
『こんばんは。はじめましてね、篠崎悠くん?』
「はい。あの、失礼ですが···お名前を伺っても?」
聞いたことのない女性の声にやや戸惑いながらも訊ねると、『そっか··そうよね、ごめんなさい。』とカラカラと笑われた。
その笑い方はどこか聞いたことがある気がして、戸惑いは深まる。
『私は「秋山」です、「秋山蓮華」。蒼牙の母親です。』
「え···!」
想像もしていなかった人物に、驚きを隠せなかった。
蒼牙の母親って···そうかさっきの笑い方、蒼牙と似ていたんだ。
『蒼牙から貴方のことは聞いているわ。今一緒に暮らしているということも。』
「···はい。」
近いうちにきちんと挨拶をしなければと思っていた人物から、先に連絡を受けてしまったことにバツの悪さを感じる。
これ以上失礼な態度をとるわけにはいかない。
俺は自然と姿勢を正していた。
「申し訳ありません。俺の方からご挨拶に伺うべきところでしたのに、このように連絡を頂いてしまって。」
『フフっ、良いのよ。それよりも、今日こうして連絡をしたのは貴方に伝えたいことがあるからなの。』
「伝えたいこと···?」
その瞬間、背筋に冷たい汗が流れた。
直感した。
今から言われることは、喜ばしい内容ではないと。
『ええ。蒼牙が人間ではないことは知っているわね。』
「はい。」
知っている。
母親が吸血鬼であることも。
『なら話は早いわ。蒼牙には吸血鬼の女の子と結婚してもらおうと思っているの。···当然、子供を残すために。』
「·······っ!」
言葉が出ない。
一気に身体の芯が冷えて、指先が震え始めた。
『もう相手も決めているの。「ナオ」さんっていう、とても綺麗なお嬢さんよ。』
「···それは蒼牙も知っていることですか?」
次々と紡がれる言葉に反論するように、俺はやっと声を出すことができた。
『いいえ、まだ伝えていない。でも近いうちに蒼牙の職場に一緒に行こうと思っているわ。···きっと気に入ると思うの。あのこ、私とよく似ているから。』
「····なぜ、蒼牙ではなく俺に先に話したのですか?俺に身を引けと?」
悲しみなのか、怒りなのかわからない感情が沸き上がる。
歓迎される関係だとは思っていなかったが。
それにしてもあまりにも突然の話すぎないか。
頭がついていかず、だんだんと吐き気がしてくるのを抑えながら俺は訊ねた。
『···どのようにとってもらっても結構よ。でも、貴方に話しておかないとフェアじゃないでしょう?』
「······わかりました。でも、ここでハッキリとお伝えしておきます。俺は蒼牙と別れるつもりはありません。」
『···そう。』
「お電話、ありがとうございました。また俺の方から改めてご挨拶に伺います。」
ゆっくりとそう告げると電話の向こうで相手がフッと笑ったのが伝わってきた。
その笑いがどんなものなのか確認するのも嫌で「それでは、雛森さんにもよろしくお伝えください。」と電話を切った。
緊張して強張った身体から、一気に力が抜ける。
ズルズルとずらした身体をソファに預け、目を瞑った。
『子供を残すために』
その言葉が重くのし掛かる。
どんなに身体を繋げても、俺が蒼牙の子供を産むことはできない。
わかりきっていたことだが···こうして他人から言われると、想像以上にショックが大きい。
それに、他人なんかじゃない。彼女は蒼牙の母親だ。
自分の子どもの幸せを何より願っている人物から、俺は反対されたのだ。
仕方ないけど····やはり辛い。
「···悠さん、どうかしましたか?顔色が悪いですよ?」
風呂から上がってきた蒼牙が心配そうに顔を覗き込んでくるのに「なんでもないよ。」と答えた。
話せば良いのかもしれない。
お前の母親から電話があったと。
お前と別れろと暗に告げられたと。
でもそれを口にするのが嫌で、誤魔化すように笑うことしかできなかった。
「···今日はもう寝るな。」
そう告げて寝室に向かうと、後ろから蒼牙が着いてくるのが分かった。
ベッドに入りいつものように背後から俺を抱き締めてくる腕は暖かく、安心できる場所だ。
なのに今はひどく不安で、俺は身体の向きを変えると蒼牙の背中に腕を回して子どものようにしがみついた。
「·········」
何も言わず、ただ黙って抱き締める腕に力を込めてくれる蒼牙が愛しい。
どんなに反対されても、今さらこの腕を手放すことなんて無理だ。
「·····ごめんな、蒼牙。」
「悠さん?」
小さな声で呟く。
聞き取れないくらい小さな声で呟いた言葉に蒼牙が聞き返してきたが、俺はギュッと目を瞑りそれ以上何も言えなかった。
口を開けば、何かを話せば、涙が出てくるような気がしたー。
「···崎、おい、篠崎!」
強めに声を掛けられてハッとする。
見上げるとそこには木内が立っていて。
「悪い、ボーッとしてた。何だ?」
「大丈夫か?お前。今日は様子がおかしいぞ。体調悪いのなら早退しろよ。」
そう心配してくれる友人に笑いかけると、俺は立ち上がった。
「大丈夫だ。少し考え事してただけだよ。」
まだ残っていた缶コーヒーを飲み干し、気持ちを切り替える。
プライベートのことで仕事に支障をきたす訳にはいかない。
「···秋山くんと何かあったのか?」
「···まぁ、色々。休憩もしたし、仕事に戻るよ。」
意外と鋭い木内に苦笑すると、急に背中をバンッ!と叩かれた。
「イッ!!何だよ、」
「お前ならやれる!!」
文句を言おうとした言葉は、木内の大きな声に消された。
「お前の良いところは、やれるだけのことをして、やらなくてもいいことまでして、自分の力で突き進むとこだろ?何があったのかは知らないが、大丈夫。お前ならちゃんと解決できる!」
「········」
ニッと笑う木内がさらに続けた。
「それでも、もしどうしようもなくなったら俺が力を貸してやる。だから····大丈夫だ。」
もう一度、今度は軽く背中を叩かれる。
木内の言葉が胸に響く。
そうだ。
俺はまだ何もしていない。
言われたことにショックを受けて、ここでウダウダしていたってダメだ。
木内の言う通り、俺は自分の力で突き進んできたじゃないか。
「·····ありがとう、木内。」
木内の顔を見て俺も笑った。
さっきまでのモヤモヤが嘘のように、胸がスッキリしている。
「よし、いつもの篠崎だ。」
胸を拳でトンッと叩くと「頑張れよ。」と一言残して木内は歩き始めた。
「ああ。」
その背中に返事を返し、大きく伸びをする。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
「よし!」
自分に気合いを入れ直し一歩を踏み出したー。
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