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大切だから
夕方、仕事を終わらせて急いで会社を出る。
昨日の電話で俺が変な態度をとってしまったことに蒼牙は気づいていた。
だから···一刻も早く会いたい。
会って、顔を見て、ちゃんと俺は大丈夫だということを伝えたい。
駅に向かう途中の信号。
赤に変わったそれを見つめていると「悠さん!」と声が聞こえた。
間違えようのない愛しい声。
聞こえた方角に視線を向けた。
道の向こう、どんなに人混みでもすぐにわかるその姿に胸が痛くなる。
駆け寄りたい気持ちを抑え、青信号になるのを待った。
「お疲れさまでした。」
「蒼牙こそ、お疲れさま。···どうしたんだ、こんなところで会うなんて。」
信号を渡りきり道の端による。
穏やかに微笑みながら俺の前に立つ蒼牙を見上げつられるように笑った。
早く会いたいと思ってはいたが、まさかこんなところで会うとは思っていなかった。
嬉しい気持ちと驚いた気持ちが混ざって、変な感じがする。
「仕事を終わらせて、速攻で迎えに来ちゃいました。悠さんいつ終わるか分からないし、そこのカフェで見てました。」
照れたように笑うその様子に愛しさが募る。
そんなことしなくてもメールくれれば良いのに···と思う半面、思わぬサプライズに喜んでいるのも事実だ。
「久しぶりに外食でもしませんか?悠さん寿司が食べたいって言ってたし、たまには贅沢も良いでしょう?」
そう言って蒼牙はクスッと笑うと、「と言っても、回転寿司ですけど。」と続けた。
昨日からの俺の様子を心配して気づかってくれているのであろう蒼牙に、少し申し訳ない気持ちになる。
だからこそ、俺はもう大丈夫だと伝えたい。
「それ良いな。腹も減ったし、行くか。」
ニッと笑いながら応えると、明らかにホッとした様子を見せる。
···ほんと、可愛いヤツ。
本当は何があったのかを聞き出したいくせに、こうやって待ってくれている蒼牙に心が助けられる。
「ありがとうな。」
俺よりも高い位置にある頭に手を伸ばしクシャッと撫でると、「···いいえ。」と嬉しそうな表情を見せる。
人目があるからとすぐに引っ込めた手に蒼牙の髪の感触が残る。
それを名残惜しく感じながら俺は蒼牙を促し歩き始めた。
平日とはいえ夕食時の寿司屋は賑わっていて、家族連れの客が目立つ。
案内されるまで待っている間、向かい側には小さな子供を連れた母親が座っていてつい目がいってしまう。
『子供を残すために』と言われたことを思い出すとまだ少し気が重いが、だからと言ってそれを理由に蒼牙と別れることは俺には無理だ。
···どうやってそれを蒼牙の母親に説明すれば良い?
分かってもらうにはどうすれば良いのだろう。
幸せそうな親子を見つめたままそんな事を考えていると、「···悠さん。」と優しく名前を呼ばれた。
「···ッ、なんだ?」
ハッと我に返り、隣に座っていた蒼牙に視線を向けた。
「ここ、シワがよってますよ。」
自分の眉間を指でトントンッと叩く仕草に、思わず苦笑した。
無意識の内にまた難しい顔をしていたのか。
「···すまない。」
困ったように笑う蒼牙に一言謝る。
「ちゃんと話すから。」
とりあえず寿司を食べたらな···と続けると、「はい。奢りますから、いっぱい食べてください。」と蒼牙は笑ったー。
一通り寿司を食べ空腹が満たされると、気持ちも落ち着く。
マンションに帰り、キッチンでお茶を注いでいる蒼牙に視線を向けた。
何にも触れずにずっと待ってくれている。
「はい、どうぞ。」
キッチンから戻ってくると、テーブルの上にお茶を置きながら微笑まれた。
その優しい雰囲気に、今なら穏やかに話せる気がした。
「ありがとう。···あのな、蒼牙。」
「はい。」
お茶を手に取り口を開けば、側で寛いでいた蒼牙が視線を向けてくる。
「···昨日のことだけど」
俺は順を追って話していく。
昨夜雛森さんから電話があったこと。
途中で蒼牙の母親に代わったこと。
···そして、蒼牙との付き合いを反対されたこと。
いずれは吸血鬼の女性と結婚し、子供を残して欲しいと言われたこと。
だけど蒼牙に『ナオさん』という女性を紹介するつもりらしい···ということは、言うことができなかった。
彼女は『まだ知らせていない』と言っていた。
それを俺から伝えるのは、どうしても嫌だった。
話していくうちに、穏やかだった蒼牙の表情がだんだんと変わっていく。
それは初めて見る様子で、蒼牙が抱いているものが怒りなのか不快感なのか、はたまた悲しみなのか···読み取ることができない。
「·······なんですか、それ。」
やがてゆっくりと呟いた声に心臓が冷えた。
怒っている。
それも···かなり。
そう感じたのと蒼牙の手を咄嗟に掴んだのは同時だった。
蒼牙の手にはスマホが握られていて、明らかに母親に電話を掛けようとしているのが分かる。
「待ってくれ、蒼牙。」
静かに見つめながら俺は握った手に力を込めた。
まだ伝えていないことがあるんだ。
それをちゃんと聞いて欲しい。
「···どうして止めるんですか。」
小さく囁くように言った言葉には蒼牙の苛立ちが込められていて、ますます手を離すことができない。
真っ直ぐに俺を見つめてくる瞳には怒りの炎が揺らめいている。
俺に向けられている訳ではないと分かってはいるが、普段の穏やかな瞳とは違っていて怖いと感じた。
「まだ話は終わっていない。それに··お前、今怒っているだろう?そんな状態でお母さんに電話して、冷静に話せるか?」
「··········」
俺は蒼牙に怒って欲しくて話したわけではない。
穏やかに話しかけると、蒼牙の口からため息が漏れた。
「···分かりました。すみません···」
「謝らなくていい。俺のために怒ってくれたんだろ?ありがとうな。」
そう言うと蒼牙が肩の力を抜いたのが伝わってきた。
「なあ、これは俺たちの問題だ。···そうだろ?」
「あたりまえです。あの人が何を言っても、俺はあなたを手放す気はありません。」
ハッキリとそう言い切る蒼牙に微笑みかける。
嬉しいと思った。
蒼牙が言うことは分かっていたが、それでもこうして口で伝えられると胸が締め付けられる。
「俺もだよ。だから、お願いがあるんだ。」
「お願い?」
握っていた手を離そうとすると、今度は逆に掴まれる。
そのままグッと引き寄せられ、気付けば蒼牙の広い胸の中に抱き込まれていた。
「何ですか?俺にできることなら何でも言ってください。」
さっき見せた苛立ちは消え、穏やかな口調に戻った蒼牙が背中を撫でながら聞いてくる。
安心できるその場所で瞳を閉じると、俺は一番伝えたかったことを口にした。
「うん。これは俺たちの問題だ···だけど、俺に解決させて欲しい。」
「······」
背中を撫でていた手がピタリと止まる。
そうして僅かに体を離すと、蒼牙は真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「俺はお前の母親に反対された。だからこそ、ちゃんと話し合いたい。分かってもらいたいんだ。」
「悠さん···」
「蒼牙のことが何よりも大切だから。だからお前が母親と争うところなんか見たくない。自分の力で向き合って、認めてもらいたいんだ。」
「···········」
もう一度、なにも言わずに蒼牙が俺を抱き締めた。
回された腕の力に心地よさを感じる。
「これからもお前といたい。···その為にも、今回は俺に解決させてくれ。」
蒼牙の背中に腕を回す。
やがて耳元に「分かりました···」と小さく呟く声が聞こえた。
「悠さんがそう言うのなら俺は口を出しません。だけど、一つだけ覚えておいて。」
トクトクと感じる蒼牙の心臓の音に安心する。
暖かい腕の中、優しく紡がれる言葉に耳を傾けた。
「俺に一番必要なのは悠さんです。例え家族でも、貴方が傷つけられたら俺は容赦しません。」
「·····ありがとう。」
顎を持ち上げられ瞳を覗き込まれる。
真摯な蒼い瞳に吸い込まれそうで、自然と瞼を閉じた。
胸が熱い。
蒼牙からこんなにも想われていることが、俺の勇気になる。
まだ何も解決していないけど、蒼牙さえ側にいてくれたら俺は強くなれるから。
「蒼牙···ん··」
「悠さん···」
ゆっくりと重なった唇の暖かさと、離さないと言わんばかりに抱き締めてくる腕の力に酔いしれる。
何度も、何度も。
想いを伝えるかのように、俺達は繰り返し口づけを交わしていったー。
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