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1.中途採用の後輩-1
昨夜は薬を飲んでもまんじりともしなかったせいか、午後のオフィスの穏やかな空気で、水澤央樹 はにわかに眠気を催した。しかし今日中に仕上げないといけない書類が溜まっているから、ぼんやりもしていられない。コーヒーを飲みたかったが、また夜に目が冴えてしまう悪循環に陥るのを恐れて、せめて売店でミントのタブレットでも買おうかと、脳の半分を真っ白にしながら思案する。
「すみません」
背後から声をかけられ、水澤は我に返った。
「14時から第1会議室を借りるんですが」
「ああ、はい」
すこしばつが悪い気分で席を立つ。声をかけたのは見慣れない顔だが20代後半くらいの男で、大卒新規採用の社員のような初々しさはない。支社からの異動だろうか。
奥のキーボックスから会議室の鍵を取って戻ってくると、男は使用申請書を手渡した。なんとも古臭い方法だが、上役たちが頑なにやり方を変えたがらないのだから仕方がない。なんと、課長の印鑑まで必要なのだ。
「会議室を使うのは初めてですか?」
訊ねながら、水澤は男の手にある紙の申請者欄に目をやった。「商品企画部商品企画課 小野塚要」とある。やはり見たことのない名前だ。
「そうなんです。9月に中途採用で入ったばかりで、右も左もわからなくて……」
小野塚は屈託なく笑う。誰かついてきて教えてやればいいのにと水澤は思ったが、商品企画課に新人をいきなり配属することは稀だから、扱い方がわからず放置しているのだろうか。それともあの部長の下で、相変わらず緊張感が漂っていて、余裕がないのかもしれない。
部長の声が耳の奥で響いたような気がして、水澤はぞっとしたが、どうにか気持ちを立て直した。
「それなら案内しましょう」
せめて自分だけでも親切にしてあげようと水澤は思って声をかけると、小野塚は、
「ありがとうございます」
と丁寧を頭をさげた。
台車を押してついてくる小野塚をエレベーターに誘導して、6階のボタンを押す。
「俺、企画課の小野塚っていいます」
さっき名前をチェックしたとは漏らさず、水澤は初めて聞いたような顔をした。
「総務課の水澤です」
小野塚の髪はくるくると波打っていて、なんとなく目が行ってしまう。視線に気がついたのか彼は、
「凄いでしょ、これ天パーなんですよ」
と前髪をひと房、引っ張ってみせる。不躾なことをしたなと水澤は後悔した。
第1会議室に到着すると、水澤は電灯と空調をつけた。ひんやりとした室内にぬるい空気が循環しはじめる。
「おお~、広いですね」
「社内でいちばん広い会議室がここなんです。詰め込めば100人入るかな。さすがにキツキツだけど」
水澤は部屋の奥まで行くと、目立たない造りの扉を開けた。中には備品がしまってある。
「マイクはここ、全部で3本ある……今日はプロジェクター使いますか?」
「はい」
「だったらこの棚の真ん中にしまってあります。すこし古い機種で重いから気をつけてください」
「スクリーンはありますか?」
「ここに造り付けのがあります……鈴木課長はレーザーポインタ好きでしょう。これも棚に入ってます。あと、試作品の並べ方知ってますか?」
「知らないです」
誰が説明するのか知らないが、今日のプレゼンで使うための試作品の箱が台車に乗っているのを水澤は見逃さなかった。彼は大したこととも思わないが、部長は試作品を会議用テーブルに並べたときの見た目に異様なこだわりを持っている。ほとんど言いがかりとしか思えない指摘をするので、社員一同、内心バカバカしいと思いながらも、話が進まなくなるのを恐れて、部長のこだわりに従っているのだ。
「部長の思いどおりに並んでないと、機嫌が悪くなるんですよ。ちょっと教えますから、箱から出して」
「あ……はい」
小野塚が困惑気味に小さな容器を次々に出していくのを、水澤は慣れた手つきで並べていった。
「こうやって商品名が見えるような角度に……で、間はこのくらい空けていくんです」
「えー、机ひとつに全部置いちゃ駄目なんですか?」
「駄目。ふたつ使ってください」
首をかしげながらも小野塚は結局従って、等間隔に試作品を並べた。それから紙の資料を並べたり、プロジェクターにパソコンを接続してスクリーンのテストをしたり、てきぱきと準備を進めている。水澤はすこし心配して見守っていたつもりだったが、小野塚はこの会社では新人でも、経験はそれなりにあるらしく、手つきに迷いはない。
仕事もあるのでそろそろ退出しようと水澤は思った。
「他にわからないことはないですか」
「大丈夫です」
部屋を出ようとした背中を小野塚の声が追いかけた。
「ありがとうございます。助かりました」
振り返ると、小野塚はまた素直そうな笑顔を浮かべていて、水澤はちょっと面喰らった。
「ああ、うん。これくらいのことならいつでも訊いてください」
「水澤さん詳しいから、また頼っちゃうかもしれないな」
「別に詳しいわけじゃ……商品企画課は前の職場だから……」
そうなんですねと小野塚が意外そうに答えた。水澤は余計なことを言ってしまったと二度目の後悔をした。
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