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3. 性質
「……今日はいないよな、おじさん」
帰り際、ついこぼした言葉はしっかり後ろの二人に拾われてしまっていた。
「おじさん?」と、じいちゃん。
いぶかしげに眉をひそめたのが回さん。
「あ、はは。暑い季節になると皆開放的な気分になるんですかねぇ。露出狂やら、猥談家やら、えぐめの宗教勧誘やらとエンカウントしやすくて」
不安そうなじいちゃんをなだめようと笑ってみたが、さして意味はなかったようだ。
「また変なのに絡まれたのか、かなたくん」
「……また?」
険しくなっていくじいちゃんの顔を見て、回さんは不可解そうにこちらを見る。どういうことだと、目線が僕に問いかけていた。
「あはは、冗談みたいな話なんですが。僕、やたらと危ない人と遭遇しやすいらしいんですよ。ひょろくて弱っちそうに見えるからですかね」
「……へぇ」
鋭い目にせっつかれるように言葉を並べ立ててれば、ますます回さんの眉間のしわが深くなる。
自分自身意味不明なことを言っている自覚はあるが、事実なのだから他に説明しようもない。
自分はどうやら“人一倍危険な目――というより、危険な人――に遭いやすい体質”らしい。それに気がついたのは、いつぐらいのことだったろうか。
帰り道で知らないおじさんが話しかけてくることは普通じゃないと気がついた時か。
図書館に行くたび、あるおじさんにラブレターを渡されて、感想文を書く宿題をやらされていた時か。
リコーダーを無くしたと思っていたら、音楽の先生の懐から出てきた時か。
水着を無くしたと思っていたら、体育の先生が着ていて、あまつさえ部室に呼び出されてそれを見せられた時か。
窃盗、痴漢、かどわかし(未遂)、その他もろもろ。
“直角くんはあれだね、なんていうか、三歩歩けば変態に当たる、みたいな”
僕の腐れ縁である、警察官のお兄さんはそんな風に言って笑っていた。全然面白くない冗談である。
おかげで、多少のことには動じないようになったし、だからこそ“誰かさん”との交流が成り立っているのだと思うのだけど……いや、おかげだなんて言うべきじゃない。
「大丈夫か、かなたくん」
「あ、うん」
嫌なことを思い出していたら、不安そうなじいちゃんに肩を叩かれた。余計な心配はさせたくなかったのに、口を滑らせてしまうなんてうかつだった。
バイトを始めた当初、とある一件で迷惑をかけてから、じいちゃんはすっかり心配性になっている。
「大丈夫だよ。自転車で帰るし、早々出会うものじゃないし。変なこと言ってごめん」
「そう言ってもなぁ。そうだ、回さん。良かったらかなたくんを送ってやってくれないかい?……回さん?どうした?」
「……あ?」
じいちゃんは浮かない表情であごをさすっていたかと思うと、ぱっと回さんの方を向いた。対する回さんは、般若のお面のように恐ろしい顔をして、何やら考え込んでいた。
じいちゃんから「回さん、回さん」と何度か呼びかけられて、ようやく我に返ったように声を上げる。
「だから、かなたくんを家まで送ってやってくれねぇか。近頃は物騒だし、一人で帰らせんのも不安だと思ってたんだ」
「……俺がか?」
回さんは目を丸くして呟いた。
「ああ。アンタなら信頼できるし、何より迫力がある。いい虫除けになるだろ。」
話がどんどん大きくなってしまっている。
じいちゃんの気遣いは嬉しいが、いきなりこんなお願いをされては回さんも迷惑だろう。
それに僕だって、回さんと二人きりになるというのは気が引ける。緊張して会話が5分も続けられる気がしない。
「じいちゃん、いいよ。大丈夫だって!僕ももういい年の男なんだから」
「そう言ったってよ」
「いいって、もう。回さん、じいちゃんが急に変なことをお願いしてすみません。忘れてください」
「……ああ」
回さんは眉をひそめながらも頷いた。
不安そうに「だけど」とこぼすじいちゃんには、思い切り笑いかけてやる。
「大丈夫。大体いきなり知らない奴の面倒を見させるなんて、回さんにも迷惑だろ。すぐ帰るし心配しないで」
これ以上店に残っていても仕方ない。
そそくさと店の出口に向かい、ドアノブを握る。
「待て」
しかし、さあ帰ろうとしたその時、声に呼び止められた。
「行ってやってもいい」
低く響き渡る声音に、ずっと昔に音楽の授業で聞いたコントラバスの音色を思い出す。
振り返ればそこには、仏頂面の回さんがいた。
「え。いや、でも」
悪いですから、と言いかけた言葉はじいちゃんの声に上書きされる。
「よかった!ありがとうな、回さん」
「いえ」
「礼と言っちゃあなんだが、今日のメシは俺のおごりでいいよ」
「いえ。支払います」
じいちゃんと回さんの間でするすると話が進んでいく。回さんは冷めたコーヒーを飲み干して、支払いを手早く済ませてしまうと、革の黒い鞄を手に持った。準備は万端といった様子だ。
あんまり早い展開に面食らってしまい、反論も一拍遅れになった。
「あの!回さん!大丈夫ですから。申し訳ないので、気になさらないでください。もう遅いし」
「良い」
「良いじゃなくて」
「――嫌か?」
回さんが僕の方に一歩踏み出して問いかけた。
こうして近くで見下ろされると、回さんとの身長差をあらためて実感する。
上からぶつけられる鋭い眼差しに圧倒されて、言葉が出てこなくなる。
「嫌かって、聞いてる」
低く凄みのある声で、恫喝ともとれる問いかけがなされる。
「……めっそうもないです」
もはや断る理由もなく、こうして僕らは二人で帰ることになった。
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