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The Doctor's Diary-005

二〇七一年 十二月 ●日  受け付けは苦手だ。  ひとと接するには、私の傷は目立ちすぎる。無遠慮にジロジロ眺めすかされる事もあれば、不自然に目を逸らされ続ける事もあった。  私は起床時と就寝時以外、けして鏡を見ない。それが私の、私自身の傷との付き合い方だ。鏡を見ず、アルとだけ話し、ベンジャミンの頭を撫でている時だけ、私は過去から逃れられる。  ……いや。厳密には、ベンジャミンと接している時は、少しばかり心の古傷がうずくのだが。  もっと厳密に言えば、彼のブルーグレイの毛色が、『あなた』を思い出させるのだ。    『あなた』は今、何をしているのだろうか? 後悔しているだろうか? それとも、私の事などとうの昔に忘れているだろうか? こんな思いを抱えているのは、私だけなのだろうか?  眠れない夜、私は暗闇に目を凝らし、そう自問して過ごす。答えは永遠に分からない。  『あなた』の事を忘れようと研究に打ち込んで、願いは叶った筈なのに。樹上で揺れるベンジャミンのブルーグレイの尻尾を見ていると、いつの間にか指が、『あなた』のことを検索しようとしている。  それからは、あらゆるコンピュータを遠ざけ、日記も手帳に万年筆でつづる事にし、『あなた』を頭の中から閉め出すように努力した。  だがセラピストの資格も持っているアルに言わせれば、努力している時点で常に彼の事を考えているのだから、無理は禁物だと諭された。  ここは海の見える田舎町だったが、私と『あなた』が住んでいたのは、高層ビルの乱立する、首都だった。覚えているのは、それくらいだ。  最後に車に乗せられた時以外、広い家の中から出たこともなかった。『あなた』の本名すら知らない。それでどう調べるつもりなのかとも、苦笑してしまう。  ベンジャミンが呼んでいる。芋虫を見付けたらしい。彼に、知らないものに触れてはいけないと教えておいたのは、正解だった。その色は、毒のある虫だ。  彼が匂いを嗅ごうと顔を近付けるので、今日の日記はこれで終わりにする。[走り書き] ●この小説のボイスドラマは、 https://www.youtube.com/watch?v=VSnz6V6X_dU&list=PLKs6WXWienzXu9GBXqYzqDIk5q3QtiQwn からどうぞ!

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