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第4話
それから丸三年、兄は帰国しなかった。
渡航費がもったいないというのが最大の理由で、次に国内旅行にあちこち行きまくっていて時間がないというのが二番目の理由だった。要するに日本に帰る金があったら中国国内を見て回りたいと言うのだ。
もう行かなくなった高校でもらった社会の地図帳で中国の地図を確認し、俺は兄がはがきを送ってくれた町をマークした。
留学している北京から始まって、天津、承徳、青島と近郊の町へマークは増えていった。長期休暇になると、それが一気に遠方に広がった。
兄は新しい町に行くたびにハガキを送ってくれる。俺はその地名を見て、地図で場所を確認する。
パキスタン国境を見てきただの、国境を越えてベトナムまで行って来ただの、チベットでチベット寺院の巡礼地を巡っただの、兄は辺境地とか陸の国境に興味があるんだろうか。
長距離バスや列車を乗り継いで、何日も何日もかけてそんなところまで旅をしている。
水も出ないしトイレもないし、食べ物も合わなかったりするらしい。
情報統制のある社会主義国だから、現地の情報は行ってみないとわからないことが多く、すれ違うバックパッカーやドミトリーに置いてある旅人のノートで最新情報を得て移動すると言う。
路線バスがなくて、ヒッチハイクしたり、バイクや車を持つ人と交渉して連れて行ってもらうこともあるらしい。
自分の兄ながら、何でそんな不便な旅をして、辺境の地なんかに行くんだか、俺にはまったく理解できない。
送られてくるハガキは現地で売っている風景写真のもので、印刷技術が悪いのか紙質が悪いのか、きれいとは言えない。
兄の書く文章も意味不明だ。
36時間のバスの旅はタバコまみれで暑くて最悪。司机(読みは知らないが運転手という意味らしい)は乱暴でかっ飛ばす、ケツが痛い。
ゴビ灘ばかり延々続く。列車が故障して8時間、砂漠の中で停車した。少数民族の村は悪くない。大地が赤い。気持ち悪いくらい星が見える。
こんな調子で、何が見たくて行ったのかさっぱりわからない。
わかるのは、兄は何かに突き動かされているんだと言うことだ。
言葉にすると、情熱とかエネルギーとか欲望だろうか。そこに行きたい、行って風景を見たい、空気を感じたい、そこで暮らす人々を見たいという気持ちだけはものすごく伝わる。
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