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第17話手袋のない手

 その日の夜。  バイトから帰ってきた俺は、帰りのスーパーで購入した半額のハンバーグ弁当を食べながらテレビで動画を見ていた。  けれど内容は全く入ってこない。  俺の頭の中は、今日した、約束でいっぱいだった。  俺から約束を申し出た。  俺にとっては大冒険すぎた。  約束なんて何年振りだろうか?  家に着いたとき、奏さんからメッセージが届いた。 『ちゃんと家に着いた?』  たったそれだけのメッセージだったけど、それが俺には嬉しすぎて、ドキドキしながら俺は返事を返した。 『誰もいないし、大丈夫です!』  びっくりマークまでつけるとか、俺、どうかしてる。  すると、すぐに既読が付き、 『よかった。もしまた彼が現れたら、僕はそこから君を攫うかも』  という、本気なのか冗談なのかわからない返事が来た。  どう返していいかわからず戸惑っていると、そこにすぐメッセージがくる。 『あ、ごめん。本気で攫ったりはしないから。ほら、緋彩の意思が大事だから』  なんだか慌てた様子なのが面白い。  攫うか。  そんなに強く人に想われるのが何だか新鮮で、不思議な気持ちになる。  ……蒼也から向けられる仄暗い感情とは違う、純粋な想いがなんだかむず痒い。  ご飯を食べて、動画を見ながら俺はなんて返事をしようか悩みそして、 『一緒に暮らしたら、楽しそうですね』  と返した。  俺にはそう返すのが精いっぱいだった。  高校に入ってから俺はずっとひとり暮らしだ。  この家には、蒼也と、お手伝いさんと、稀に父が訪れるだけだ。  誰も呼んだことはないし、呼ぼうと思ったことはない。  誰かと暮らす、なんて考えたことはないけど、奏さんとなら……  家に帰ったら誰かがいる。  自分を歓迎してくれる奏さんがいて、スーパーのお弁当じゃなくって、一緒にご飯作ったりして……  そう、想像して俺は首を横に振る。  期待、なんてしたら裏切られる。  俺の中でその想いが強く存在している。  ……奏さんなら大丈夫、そう思うし、思いたいのに。  今までの経験が奏さんを信じたい俺を否定してしまう。 『じゃあ、一緒に暮らせる部屋、探さないとかな』  この人はどこまで本気でどこまで冗談なんだろう。  文字だけでは感情が読めない。  この間、奏さんは確かに言った。 『本当に好きになっちゃうかも』  本気、なんだろうか。  いや、奏さんがそんな冗談を言うとは思えないしそれに……キスまでしては来ないだろう。  キスなんて、蒼也と何度もしてきたのに奏さんとのキスは全然違う。  やばい、考えてたらドキドキしてきた。  部屋探しか。  ふたりで住む家って、家賃、いくら位するのかな。  ……って、何考えてんだ俺。  好きになって、大丈夫なんだろうか。  奏さんを。  俺は、手袋をしたままの手を見つめる。  ひとりきりの部屋だ。  こんなのしていなくて大丈夫なのに、外せないでいる。  俺は箸を置き、左手の手袋に手を掛ける。  ここにはひとりだけだ。大丈夫。  そう言い聞かせ、俺は震えながら手袋をゆっくりと外した。  そこに現れたのは、俺の、白い手だった。  長いこと日に当たることのなかった俺の手は、酷く白い。  風呂に入る時に何度も目にしているのに、なんだか知らない人の手のように思える。  天井の白い照明にかざして、俺は自分の手を見つめる。  細くて、白い。  俺の手、こんな色をしていたのか。  片手を外せた。  俺はもう片方の手を見る。  そこにもある、黒い手袋。  初めてこの手袋を渡されたのは、小学三年生の頃だったと思う。  成長に合わせて新しいものを作ってくれて。  これのおかげで俺は、電化製品をむやみに壊すことはなくなったし、誰かを傷つけることはなくなった。  俺にとってお守りだった。  これがないと俺は、不安が心を支配してしまう。  俺は、右手の手袋に手を掛ける。  そして、震えながら手袋を外しその手を見つめた。  外しても、大丈夫なんだよな。俺はちゃんと力をコントロールできるようになったんだから。  そんなのとっくにわかっているのに。俺はずっと、この手袋を外せないでいた。  これは俺にとってお守りであり、枷だ。  普通に生活を送るためのお守りで、俺の心の不安を表す象徴。  これをしていたら、母は機嫌がよかった。だから俺は、ずっとこの手袋をし続けた。  母に、怒られないように。そしてこの手袋は俺を縛り付ける枷にもなった。これをしている限り俺は、誰にも心を許せないし、誰とも……一緒にいられない。  もうずっと顔を合わせていないのに、母親の存在は俺の中で大きくあり続けている。  蒼也と向き合って、あの人の呪縛から逃れることが出来たら俺は……奏さんとのこと、考えられるようになるかもしれない。

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