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第4話
冬哉が家に帰ると、珍しく母親が冬哉の帰りを待っていた。仕事があるはずなのにどうしてこの時間にいるのか、と思っていると、彼女は冬哉がリビングに来るなり抱きついてくる。
「んー! 私の可愛い冬哉、いつ見ても天使ね!」
「ちょ、お母さんやめてよっ」
わざわざ待ち伏せしてまで何? と冬哉はまだ抱きつこうとする母親、莉子 を剥がし、尋ねる。すると彼女は眉を下げた。
「お義父さまの体調が悪いの」
「え? おじい様が?」
彼女は頷く。
冬哉の実家は財閥一家で、祖父の木村旭 を筆頭に学校経営や芸術関係の会社を経営している。生きている限り現役でいたいと言う旭だったが、とうとう身体が動かなくなってしまったようだ。
そうなると、旭が社長や会長を務めている会社の後継ぎが必要だ。それを一家の誰かにするにしろ、外部の人間にするにしろ、揉めることは間違いない。そして彼の遺産の跡継ぎもまた然りだ。
旭の子供は三人いて、全員男性で妻子持ちだ。冬哉の父、学 は長男で、現時点でも旭の会社を一番多く支えている。そして、それが冬哉にもいずれそのお役が回るかもしれないのだ。
「お母さん、僕……」
視線を落として冬哉は言うと、先程とは違うニュアンスで、莉子は冬哉を抱きしめた。
「大丈夫よ。あなたは演奏家の道が良いって決めたんでしょ?」
無理に継げなんて言わないわ、と頭を撫でられる。しかし木村家にも問題はあった。旭の次男、樹 が、会社の経営そっちのけで、やりたい放題し始めたのだ。それを見かねた旭は樹の息子、雅樹 にその権力と遺産を渡そうとしていて、更に冬哉が継がない事によるしわ寄せも、彼にいくことになりそうなのだ。
いとこの冬哉が言うのもなんだが、十歳年上の雅樹はとても優秀だ。一体どうしたらあの親からこの子供が生まれたのだろうと、何度でも思う。
「あなたは今やるべき事をやって。でも、一応お義父さまの事は耳に入れた方が良いと思って」
冬哉が継がないものを雅樹が継げば、樹はいい顔をしないだろう。雅樹は親の樹の事を嫌っていて容赦が無いから、その腹いせもあって、いつも会えば冬哉は樹に八つ当たりされるのだ。
それに、そんな揉め事を起こす三男の理 もいい顔をしない。
(僕のせいで、色んな人にいっぱい我慢させちゃってる……)
そう思っていると、莉子は優しい笑みを浮かべる。
「なーに? 結婚する気無いって事も気にしてる?」
冬哉は口を尖らせた。
「そんなんじゃないけど……」
冬哉は両親に、孫は期待しないでくれと言ってある。何故なら、冬哉の恋愛対象は同性だからだ。だから跡継ぎがどうのこうのという話には、一切関与しないと。そして両親はそれを理解してくれた。
すると、莉子はあれ? と声を上げた。
「もしかして、気になる人ができた?」
嬉しそうに言う彼女は、恋愛に対しての勘が鋭い。冬哉にもそれは遺伝したらしい。ゲイだということもあっさり見破られた時は、本当に心臓が止まるかと思った。
「……もーいーじゃん、その話はっ」
冬哉は莉子から離れると、話が終わったなら帰ってよ、と手を振る。しかし、それで大人しく帰る母親ではない。
「いつか紹介してくれるわよね? どんな人なの?」
「もうっ、そのうちそのうち! だからもう帰って!」
冬哉は莉子の背中を押して玄関まで連れて行くと、あーん、つれないわねぇ冬哉、と寂しそうな顔をして家を出ていった。
ふう、とため息をついて冬哉はスマホを見ると、アプリの通知が来ている。もしかしてとすぐに開くと、秀からメッセージが来ていた。
『今日はありがとう。緊張したけどすごく楽しかった』
「楽しかったの!? あれで!?」
思いがけない感想に冬哉は声を上げて笑う。一切楽しそうに見えなかったけど! と大きな独り言を言い、これはダメだとソファーに寝転ぶ。
「可愛いって思っちゃったら負けだよねぇ……」
これはかなりの重症だ、今日初めて会ったのにもうこんなにハマってる。
冬哉は大きく息を吐いた。
そしてもう会いたくなっている。
「……春輝に電話しよ」
意識を切り替えて冬哉は起き上がると、スマホを取り出し春輝に電話を掛けた。すぐに出た春輝はガサガサと音を立てて、もしもし、と慌てた様子で話す。
「あ、ごめーん、彼氏とお取り込み中だった?」
わざとらしく言うと、春輝はそんなんじゃない、と不機嫌に言う。どうやら図星だったようだ。
『今日会ってきたんだろ? どうだった?』
「それがね! すっごくかっこいい人だった!」
冬哉は弾かれたように声を上げると、春輝は少し引いたようだ、そうなんだ、と動揺した声が聞こえる。
「でもね、あれだけメッセージでは話が弾んでたのに、直接会ってみたら全然喋らない人でね……」
しかも表情が全然変わらないの、と冬哉は興奮した様子で話すと、春輝は楽しかったみたいだな、と笑った。
「しかもそれでいて、さっきメッセージ来てたんだけど、すごく楽しかったって!」
律儀な人だよねぇ! と冬哉は笑う。全然表情変わらなかったのに、楽しかったって言われてびっくりしたよ、と膝を叩くと、春輝は何だ、と真面目な声で言った。
『かなり本気なんだな、頑張れ』
「……っ、うん……」
冬哉は不覚にも春輝の言葉に照れてしまうと、彼はまた報告を聞かせてくれ、と電話を切る。
冬哉は一つため息をつくと、僕も彼氏欲しい、と小さく呟いた。秀に会いたいけれど、会う頻度をいきなり上げたら引かれないだろうか?
とりあえず練習でもして平常心を保とう、と冬哉は防音室に籠り、夜が更けるまでフルートを吹き続けた。
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