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第82話「不機嫌」

  「私、優奈(ゆうな)って言います。 良かったら、仁くんにプッシュお願いします」  うふふ、と笑った「優奈ちゃん」の笑顔の向こうから、急に仁が現れた。 「オレが料理持っていくって言ったよね?」  優奈ちゃんに視線を投げて仁がそう言うと、優奈ちゃんはにこっと笑って。 「あ、仁くんごめんね、お兄さんとお話してみたくてつい……」  呆れたように、仁が優奈ちゃんを見やる。 「話さなくていいから。 仕事戻んなよ」  とん、と優奈ちゃんの背中を押す。  仁がくる、と振り返った。 「ゆっくり食べてて。 また来るから」 「――…ん」  二人は、なんだかんだと楽しそうに話しながら、オレの席を離れていった。 「――――……」  ……仁がモテるのなんか、ずっと知ってる。  ――――……弟がモテたって、関係ない。 ……何も。  要らない想いを、何もかも全部吹っ切って、いただきます、と心の中で呟いて、食べ始める。  ――――…… あ、すごく、美味しい。  コーヒーも美味しいし、食べ物も美味しいんだ。いいな、この店。  仁が美味しいって言ってたの、納得。  不意にスマホが震えだした。  ……亮也か。 あまり人から見えないし、少しなら平気かな。 少し声を潜めて、話し始めた。 「もしもし? 亮也……?」 『彰いま何してる? もう昼食べた?』 「今ちょうど食べてる」 『外だよな? 一人? 行ってもいい?』 「うん。別にいいけど……」 『どこで食べてんの?』 「駅前のカフェなんだけど」  場所を説明すると、たぶん分かる、と言って、電話が切れた。  ……断った方がよかったかな。  ……て、別に関係ないか……。  ただ友達が一緒に昼食べに来るだけだし。  そんな事を思いながら、食事を食べ終えた時。  仁が寄ってきた。 「どう? 美味しかった?」  聞かれて、うん、と笑った。 「おいしかった。仁が作れるようになるの、待ってるね」 「ん、頑張る」  くす、と笑って、そう言う仁。 「あ、あのさ、仁」 「うん?」 「さっき友達から電話が来て、昼一緒にて言うからさ。ここ教えたから、今から来ると思う」 「あ、そうなんだ… 女の子?」 「男だよ」 「了解。来たらここに通すね」 「…うん。よろしく」 「その人来たら、彰にもカフェオレ、持ってくるね。奢るから」  ふ、と笑んで、オレを見下ろしてくる。  ――――…なんで、そんな、優しく、笑うかな。  「仁くん、ごめんね、ちょっと手伝って?」  優奈と名乗ってた子とは別の店員の女の子に呼ばれて、「いってくるね」と言って、仁が消えてく。  ――――……その内、こうやって、離れて行って。  ……仁はオレの前から、消えてくんだろうなー…。  意図せず、そんな考えになって。  ふ、とため息をついた瞬間。  窓が、こんこん、と外から叩かれる音。外から亮也が笑いかけてきていた。 「亮也……」  なんだか――――……ほっとした、というのか。  聞こえないのは分かっていても。つい、その名前を口にした。  すると、一瞬眉をひそめた亮也に、待ってて、と言われた。聞こえはしなかったけれど、分かって、頷いた。  入店の音が鳴って、優奈が亮也を出迎えてる。 亮也はオレの方を指さして優奈の案内を断ると、まっすぐにオレの席に来て、目の前に座った。 「……彰、平気? どした?」 「……」 「なんか――――……死にそうな顔してるけど」 「……死にそうな顔なんてしてないけど……」  ふ、と笑って、返すけれど――――……。  なんとなく、視線が、落ちていく。 「彰? ……ほんとにおかしいな。 どうした?」  伸ばされた手に、そっと顎を掴まれて、顔を上げさせられる。 「……何でもない。―――……目立つから……」  その手を外させる。 「――――……じゃ、こっち見ろよ」  手を戻して、亮也がそう言う。 「どうしたの、ほんと、顔、変」 「……そんな変じゃないし」  そう言った時。 「――――……いらっしゃいませ」  低い声が響いて。  水とメニューが、亮也の前に静かに置かれた。  丁寧ではあるのだけれど、威圧感のあるそれに、亮也は、不審そうにその主を見上げている。  オレは見上げる気にもなれなかった。 「――――……ご注文はお決まりですか」  仁の、低い、声。  ……今のやり取り、見られたかな……。  って別にそこまで、変なことでもないか。顎に触れたのは……変? でも絶対しないことでも、ないよね。 「亮也、何食べる?」 「彰は何を食べた?」 「オレは、これ」  指した先を見て、「オレもそれにする」と亮也。 「……お飲み物は」 「――――……アイスコーヒー」  亮也はそう答えて、仁を見あげて、何だかすごく、不服そう。  かしこまりました、低い声でそう言って、仁は、離れていった。 「……何だあれ? 接客業向いてねーな……」  確かに……。  さっきまでオレに向けてた笑顔とは、別人過ぎる。 「……あー…… うん。 あの……」 「ん?」 「……弟」 「は?」 「……弟、だよ。こないだ、家で一回ちょっと会っただろ?」 「え? あ、弟?」 「……うん」 「……え、じゃあなんで、あんなに、オレ、睨まれるの」 「…………ごめん、なんか、態度、悪くて」 「てか、あいつあれで、この仕事できるの?大丈夫?」  まさか、自分だけを睨んでいったなどとは思わない亮也は、オレの弟と分かると、今度は心配までしてくる。苦笑いが浮かんでしまう。  ていうか。  ………なんであんな、分かりやすく、態度悪くなったんだろ。  男友達が来たらテーブルに通すねって伝えたさっきまでは、全然普通だったのに。顔はあげさせられたけど、あれを見られたって、別にキスした訳じゃないし、別にそこまで変なことは、してないし。 「亮也、なんか、家からにしては早すぎない?」 「……昨日あの後女の子んち泊ってさ。その帰り」 「……何でお前、いっつも女の子帰りにオレんとこ来んの?」  くす、と笑って、そう言うと。 「何となく彰に会いたくなるんだよね。彰が付き合ってくれたら、そっち行かないけど?」  にこ、と笑う亮也に、「まだ言ってる……」と、苦笑い。 「なあ、食べたら、オレんち、行く?」 「――――……」 「発散しようぜ」  ――――…発散…。  二人の間で使われるこの言葉の意味は、すぐ分かる。 「ていうか、女の子んとこ泊ってきたんだろ?」 「え、全然イケるけど」 「……お前って……ほんと元気な」  クスクス笑ってしまう。  ほんと、あっけらかんとしてて。  亮也と居るのは、なんだか、すごく楽。  余計な事を、考えなくてすむから、かな……。  まあ。   ――――……もう亮也と、「発散」は、しないけど。

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