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第1話

 ふと、足を止めたのは、不安を覚えたとか予感があったとか、そんな心理が働いた訳ではなかった。いつも通りの、決まり切った通勤経路の復路。 「こんなところに、マンホールなんかあったけ?」  今の会社に勤めてから、休み以外は毎日往復するようになった道だけど、この場所にマンホールがあり、その蓋が開いていた事等一度も記憶になかった。 「力士じゃあるまいし、つっかえるはずがない。普通は転落事故になって大騒ぎだよな」  お相撲さんをディスってるわけではなく、アスリートの鍛え上げられた肉体と、自堕落に大きくなっただけの己のゆるゆるボディとでは、お肉の堅さも柔軟性も異なる。そのうえで胴回りのサイズと、マンホールの直径を確認すれば、通り抜けることなど無理だと確信する。  とは言っても、まかり間違って、体がはまってしまう事態になれば、肉体より先に精神的に重傷を負う事が予想されるため、慎重にその場所を回避しつつ進む事にする、が、しかし・・・  一歩一歩、歩を進めれば進めるほど、足はその穴に吸い寄せられるように近付いて行く。  避ければ避けるほど、近付いてしまうとはこの事だなと、語り尽くされた俗説に納得したところで我に返る。 「イヤイヤおいおい、だからちょっと待てって」  制御の利かない己の足に、突っ込みと踏ん張りを入れるも、歩みは止まらない。  何の変哲も無い普通の場所で、マンホールにはまったデブ男なんて、それこそ某動画サイトに上げられて、世界中の笑いものになって、イイね獲得するしか生き残る道はないではないか。  生き残ったとしても、ポーションでも回復出来ない心の傷は残ると思うけどね。  そんな自虐的な想像をしつつ、もうこれは回避できない現実だと目を閉じる。  それでも最後の足掻きに、お腹をヘコませてみた。まぁ、凝り固まったお肉をミリ単位でも変化させる事が出来るとは全く思っていなかったのだけれど・・・・・  だからこそ「あれ、俺ちょっと痩せた?」  なんて思ったのは、出っ張ったお腹に受けるはずの衝撃を感じなかったから。  そう言えば、今日のお昼はカツサンドが売り切れてたから、玉子サンドにしたんだよな。食べ足りなくて午後の業務中にお腹が鳴って、隣席の中谷さんに笑われてしまった。  でも、その後「足しにならないかもだけど、どうぞ。私この味にはまってるんです」って、アメ玉くれたんだよな。  本当に我が苦情課の女神は、優しいし、気が利くし、美人なのに気さくだし、性格は可愛いし、僕みたいなモデブにさえ、笑顔で接してくれるし、マジ天使だろっ!  ああ、このまま天使の笑顔を思い描いたまま、昇天出来ればいいや。それが迫り来る転落死から現実逃避した僕のこの世での最後の願いで、僕の意識は落下する体と共に闇の中に落ちてしまったのである。

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