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第50話

 声もなく、唇が象った。  ハッとして息を飲む。紫の瞳が妖しく輝く。水晶のように美しく、夕日が沈む瞬間のように禍々しい。 「あなたには期待しておりましたが」 「アゥ」  声さえ押し潰される。凄い風圧だ。  オルフェ……  背中から黒い羽が生えている。 「勇者様……」  その声はひどく切なげで、ひどく危うくて。  魔力の風が押し上げてくるさなか、たった一瞬だけ見せた彼の表情が、ひどく胸を締めつける。  だがその声も、妖しげに輝く紫の光に掻き消された。 「鍵をお渡し下さいますね?」 「あっ」  ハッと息を飲んだ。  腕が勝手に。 「いい子です。勇者様。さぁ、こちらへ」  誰にも触れられていないのに、ふわりと持ち上げられた右腕。 「怖くありませんよ。こちらへお越し下さい」 「だめだ!」  左手で押さえるけれど、見えない力に抗えない。 「あっ」  無重力にでもなったかのように、床から足が浮き上がって、勝手に歩き出してしまう。 「魔力は私が遥かに上……逆らう事はできませんよ」  首を振るけれど。  どうして俺が逆らえよう。術がない。打開する術が。  魔力でオルフェにかなわない。  剣術でも、今の俺の実力では易々と取り押さえられてしまうだろう。  この体格差だ。腕力でどうにかなる筈もない。  だけど、この鍵は…… 「オルフェが」  彼の元まで辿り着いてしまった足。  右手が勝手に持ち上がる。 「ダメだっ」  慌てて左手で押さえつけるけれど、左手ごと右手が見えない力に持ち上げられてしまう。 「オルフェっ」 「はい……これは私の鍵です。お返し下さってありがとうございます」  にこりと弧を描いた唇。  冷薄な微笑みが浮かぶ。 「これは魔導の鍵。自らの魔力で作ったとはいえ、この鍵で施錠されたら私自身ですら逃げようがありません。感謝致しますよ、勇者様」

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