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1、気絶=熟睡ではない

「うわっ、泰ちゃんどした! そのクマ……!」  同じ学科の友人・高原 泰介(たいすけ)の目の下に、黒々としたクマがガッツリとできている。ここ最近少し元気がないなと思っていたけれど、今日は格段に調子が悪そうだ。 「……は……クマ? そんなもんできてねーだろ?」 「あるって!! 鏡見てへんの!?」 「いやだって昨日めっちゃくちゃ寝たし。バイトから帰ったらすぐ気が遠くなって、気づいたら朝だった」 「いやそれ気絶ちゃうん」  誰がどう聞いても健康的な眠り方じゃない。へた……という効果音が聞こえてきそうに、力なく講義室の椅子に座った泰介の顔は土気色だ。    これは放っておけるレベルではない。愛しの泰介に何かあったらどうしようと心配で、俺は身を乗り出して顔を覗き込んでみた。  なにを隠そう。俺、氏家 (りん)は、高原泰介のことが好きだ。  友情ではなく、キスとかエッチとかしたい方向で。  泰介とは、新歓コンパのとき、たまたま席が隣だった縁で親しくなった。  出会ったとき特に印象的だったのは、端整に整った二重まぶたの華やかな目元。こざっぱり切られた栗色の髪はあちこち無造作に跳ねていたけれど、それが妙に俺の母性本能をくすぐって、可愛く見えた。  しかも泰介はモデルばりにスタイルがいい。俺よりも頭ひとつ分は余裕で背は高いし、手脚は長いばかりではなくて、しなやかでカッコいい筋肉が備わっている。  服にはいつも無頓着で、だいたい毎日Tシャツにジーパンという格好だが、隠し持った肉体が素晴らしいのでおしゃれに見えたりする。おしゃれしたら絶対もっとかっこいい。  ここ最近元気がないなと思っていたら、みるみるクマがひどくなってこの有様。俺はじーーっと横から泰介の顔を見つめて観察した。    コシの強そうな長いまつ毛は、普段ならば泰介のパッチリお目目を華やかに飾るけれど、今日はその影が頬に落ちていて、不健康さに拍車をかけている。  とはいえ……疲れていそうでも不健康そうでも、顔がいいのでそこがまた儚げでとてもイイ。ついついうっとりしていると、ぐいっとそこそこの力加減で顔を遠くへ押しやられてしまった。 「おい……あんまジロジロ見んなよ。近い」 「あうっ。そんな邪険にせんでも」 「別になんもねーって。元気だし、ほっとけよ」  泰介は基本ツンツンしている。人に甘えたり、救いを求めるということをまずしない。  しばらく大学で見かけないなと思っていたら、ある日ひょっこり現れて、「風邪をひいても熱出してた」と言う。連絡先は交換しているし、友達なのだから、いくらでも救いを求めてくれればいいようなものなのに、「別に寝てりゃ治るだろ。実際治ったし」とにべもない。  俺としてはがっかりだ。せっかくの看病イベント発生かと思いきや、ひとり気合いで治してしまうなんて……。  ちなみに俺は京都出身で、大学のそばで一人暮らしをしている。そして泰介も一人暮らしだ。実家は埼玉県の奥地(泰介談)で通学に不便な土地らしく、俺の部屋より安い学生アパートで暮らしている。    もっと泰介と仲良くなりたいと思っているけれど、相手はどこからどうみてもノンケっぽいから手が出せない。その上、泰介のイケメンクールキャラは入学早々他学部の女子に大注目。四月中はわらわらと女どもが群がってきていた。  俺たちが籍を置く工学部には女子が少ないから安心していたのに、他学部からわざわざ泰介を狙ってくる女がいるのでヒヤヒヤする。  これはあっという間に彼女ができてしまうかもしれないぞ——と危機感を抱いていた俺だが、泰介は「今は女とか興味ない。むしろうざい」というテンション。  なので、春先に群がっていた女子たちの半分くらいは、泰介に冷遇されたことに腹を立て、近づいてこなくなった。だが、夏休みを前に盛り上がった女たちが泰介にアプローチしてきたら困る。俺は日々危機感を新たにしながら、泰介と付かず離れずの距離を保っている。   「なぁ、ほんまに平気? ご飯とか食べれてる?」 「食ってるって。お前は俺のおかーさんかよ」 「だって心配やねんもん。なんか最近身体もやせ細ってきてるような……」 「だからジロジロ見んなっての」  おかーさんより嫁になりたい所存であるが、過去の恋愛遍歴を聞くに、泰介はノンケで間違いない……。  だが、今は友達でいい。友達でもいいから泰介のそばにいたい。  巧妙に恋心を隠しながら友達っぽく接してきた結果、泰介は一応、俺のことを「学部では一番仲のいい友人」と認識してくれていると思う。  だって、俺は泰介のわかりにくい優しさを誰よりも理解している。俺は、見た目だけで泰介に惚れたわけじゃない。  新歓コンパの前日、俺は高校時代に付き合っていた後輩にフラれたばかりだった。  理由はあっさりしたものだ。「先輩がおらんなって、なんや急に冷静になってもて……。俺、なんで男と付きおうてたんやろ〜って。あはは。んなわけで遠距離とか無理やし別れよ」と、あっさり電話でフラれた。  今すぐにでも新幹線に飛び乗って、元彼を説得しにいきたかったが……なんだかガックリきてしまった。  思い返せば、あまり相手から愛されていたような感覚はなかった。  俺が後輩に一方的に惚れ、グイグイ迫ってみると意外とイケて、性的好奇心旺盛な男子高校生の勢いでセックスまで覚え、なんやかんやで一年ほど付き合った。     自分で言うのもあれだが、俺は高校時代、校内一の美人と称されていた。色白の瓜実顔に、奥ゆかしげな二重の目元は女子顔負けの華やかさ。中性的な顔立ちも手伝って結構ちやほやされていた。    だが、実際じゃあ付き合ってくださいというところまで進む相手はいない。みんな、男子校のノリではしゃいでいただけのことだ。  そんな中、顔もスタイルも超絶ドタイプな後輩が弓道部に入部してきて、俺は稲妻に撃たれたかのように一目惚れをした。  年下マジックだろうか。若干ぼんやりしていて頼りないところはあったけれど、そういうところが可愛かった。  なのに、セックスとなると急にがっつき気味になってガンガン攻めてくるところとか、やたらフェラをさせたがるところとか、「ゴムないから中出しでいいよね?」と勝手に中出ししてくるところとか………………まぁ、今振り返ると自分勝手なところの多いやつだったけれど、それでも初めてできた恋人だ。俺はあいつに夢中だった。  最初から最後まで、ほとんど俺が一方的に好意を伝えまくって尽くして尽くして尽くしまくったけれどフラれてしまった。  しょせん、俺はそこまでの男だったということだ……。    という失恋話を、酔った勢いで半泣きになりながら泰介に語ってしまった俺である。(もちろん、相手の性別やセックスのくだりについては触れていない)    初めは俺の失恋話をおもしろそうに聞いていた同じテーブルの奴らも、場が盛り上がるにつれてそっけなくなった。だけど、泰介だけは黙ってグラスを傾けながら、じっくり俺の話を聞いてくれていた(と思う)。    そして最後に「そんなつまんねー女のことなんか引きずってるだけ時間のムダだろ。とっとと次いきゃいいじゃん」と、俺を半ば睨むような目つきで泰介は言った。  そのズバッとした男らしい物言いにグッときたし、「俺にしとけよ」といわんばかりの目ヂカラにもグッときた。  地元ではお目にかかったことのないようなワイルド可愛い容姿にも、歯に衣着せぬ(デリカシーがないともいえるが)物言いも新鮮で、無性に胸が高鳴った。    そして、酔いが進んでくるにつれ、泰介はぽつぽつと身の上話をし始めた。  泰介はここ英誠大学に、どうしても教えを請いたい先生がいた。高三の受験では不合格で、一浪を経て、晴れて合格したという。  実家には金銭的な面で頼りたくないから、たくさんアルバイトをいれていること。なんでも、泰介の実家のそばには、親戚家族が住んでいて、大人たちが不在の時は、泰介が小さな従兄弟たちの世話を焼いていたらしい。 「ようやくチビどもの世話から解放された」とニヒルに笑う泰介はそうとう酔っ払っている様子だったが、酔って無防備に口数が多くなる泰介のことが可愛くて、俺は赤べこのように頷きながら泰介の話に聞き入った。  英誠大学は国内トップの国立大だ。授業はもちろんハイレベルだから、バイトを詰めながら講義を受けるのは大変だ。なので俺は、バイト疲れでうとうとしている泰介の代わりにせっせとノートをとって知識を吸収し、あとから泰介に内容を教えていた。  おそらくはそのおかげで、泰介は俺に少しずつ心を許すようになってきたのだと思う。頬を赤らめながらぶっきらぼうに「……お前の話、わかりやすい」と言ってくれると胸が締め付けられるほどときめいたし、「ありがとな、いつも」「そろそろバイトも慣れてきたし、大丈夫だ」と言って俺の厚意を申し訳なさそうに受け取る姿にも、ぎゅんぎゅんと心を鷲掴みにされた。  普段は基本的にツンツンしている泰介が時折見せるデレに翻弄されるうち、あっという間に夏休みが迫ってきた。  そんな折、泰介は死人のほうがよほど顔色がいいのではないかいうほどの土気色の肌に、目の下に黒いクマを作って絶不調な様子だ。  なのに「マジで全然平気だし」とか「むしろ最近はよく眠れるようになった」と、げっそり強がる。  そんなわけがあるか。どこからどう見ても熟睡できている顔ではない。これは放っておけるレベルではない……!! 「泰ちゃん、俺、今日家行くしな」 「は……? なんで」 「だってお前、おかしいやろ! 夜どんなふうに寝たらそんな顔になんねん! ちゃんと寝られてんのか見とったるわ」 「いや……いいって」 「ひょっとしたら寝てる時息してないかもしれへんやん! 睡眠時無呼吸症候群やっけ? ほっといたらやばいねんで!」  心底ウザそうに遠慮している泰介をなだめすかして、俺はとうとう今晩一泊の権利をゲットした。もちろん、目的は泰介の不可解な眠りについて解明すること、それだけ。あわよくばワンチャン……というやましい気持ちなど一切ない。断じてない。  やましい気持ちは置いておくとして……俺には、もうひとつ重大な懸念ごとがある。  ——……ていうか、確実に憑かれてんな……。  じ……と眉間に深い皺を刻み込みつつ、俺は泰介の周囲を凝視した。目に力を込めて、泰介を取り囲む空気を探るように、じっと。  視える血筋に生まれたくせに、見えるだけという俺にはこれが精一杯だ。  思い切りガン飛ばしているように勘違いされがちだが、こうしないと俺には見えない。  泰介の周りに漂っている陰気な気配の正体が……。  ——あっ……やっぱり……!!  もや、もや……と黒い影が泰介の肩の周囲にもわもわと浮かんで見える。間違いない。  だが案の定、ギロ……と泰介に睨み返されてしまった。 「……あ? 何睨んでんだよ?」 「あ〜〜、いや。泰ちゃんの肩、虫おった」 「……あ、そう」  サッサッと肩を払ってみても、その黒い影は消える気配がない。よくある霊能力漫画なら、主人公が手でサッと払えば除霊完了みたいな展開もあるだろう。だが俺はそこまで力が強くない。ただ見えるだけだ。  悪霊のほうも、そんな俺の不甲斐なさをわかっているらしい。俺に見せつけ挑発するように、ふよふよと泰介にべったりとくっついて、モワモワと首に巻きついてみたり。なんなら黒いモヤモヤで泰介の顔を覆い隠そうとしてくる。  俺の泰介にベタベタ馴れ馴れしい悪霊の態度、めっちゃ腹立つ。おもっくそ除霊してやりたい。  ——見とれや……! 俺には伝家の宝刀『実家のお札』があんねんで……!! お前らなんて一掃してやるから覚悟しとけよ!!  外国語の授業は始まっているが、俺は頬杖をついて、じーーーっと眠たげな泰介の横顔を眺め続けた。眠れていると言ってはいるが、やはり睡眠が取れているわけではないのだろう。  重たそうにまばたきをして、かく、かくっと船を漕いでいる泰介の脇腹を、時折つついて起こしてやる。  泰介から向けられる迷惑そうな眼差しは、すこぶる眠たそうにトロンとしていて……。  その妙にセクシーな目つきにキュンとして、腹の奥がズクンと疼いた。

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