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2、いっぱいいる
泰介の家のそばには墓地がある。そのせいか家賃が安い。
墓地には幽霊が集まりやすいというイメージは誰もが持っていると思うが、実際その通りだ。何度かこの家を訪れた時にも感じたけれど、このあたりには浮遊霊の気配が多い。
死者を悼む人々の気持ち、または、墓場を不気味に感じる人々の感情が折り重なり、霊的な磁場を形成している。
かといって、霊的な感受性の低い人間がこの辺りに住んだとしても、これといった問題が起こるわけではない。もともと泰介だって、「幽霊? 幻覚だろ」というタイプの人間だ。
なので、今回どうして泰介の身に霊障が起きたのかが不思議でならない。その原因を突き止めるためにも、俺は泰介の家に行く必要があった。(決して、弱っている泰介とのワンチャンを狙っているわけではない)
「お邪魔しまーすぅ……っ!?」
部屋が暗い。空気が重い。そして、夕方でも外気は三十度越えという猛暑のなかだというのに、部屋の中はぞくぞくするほど寒い。
じめっとした陰気が部屋のそここにどよどよと溜まっている。綺麗好きな泰介の部屋は、いつだって整理整頓されていて、掃除も行き届いていた。
だが、今日は服は散乱しているし、コンビニ弁当の空き箱やペットボトルがそのまま放置されている。泰介らしからぬ散らかりっぷりだ。
最後にこの部屋に上げてもらったのは二週間ほど前か。数人でこの部屋に集まって、環境工学特論のレポートに取り組んだ。
あの時は何も感じなかったし、部屋の空気は清浄だった。泰介の匂いに包みこまれる幸せな空間でしかなかった。
だが今は、ずいぶんと部屋の中にいろんなものを溜め込んでしまっているようだ。
「ま、適当に座れよ。なんか飲むだろ?」
「ああ、うん。……てか、泰ちゃんは座っとき。俺やるわ」
げっそりした顔でのろのろと緩慢そうに動く泰介を見るにみかねて、代わりにいそいそとコンビニで買ってきたものを冷蔵庫にしまい込む。
泰介をベッドに座らせ、サッと軽く部屋の片付けまでこなしつつ、テキパキとグラスに麦茶を注いでローテーブルの上に置いた。
「はぁ……だる」
ベッドに座った泰介の全身に、待ってましたとばかりにぼわっと黒い影がまとわりつく。肩を押さえて険しい顔をしているのは、間違いなく黒い影のせい。霊障だ。……ああ、もう見ていられない。
俺は「とりあえずシャワーでも浴びとき!」といって泰介をバスルームに押しやったあと、どよーんとした薄暗い部屋に向き直って深呼吸をした。
——何やおるんは視るまでもない……いちおう、チェックしとかなな。
なけなしの力を呼び覚ますべく、俺は胸の前で合掌して集中力を高めてゆく。
幼い頃は、見ようとしなくてもいろんなものが視えていた。人に害をなさない低級霊から、禍々しい呪いの力を秘めた地縛霊まで、なんでも視えた。
俺は出雲大社の御分霊をお祀りする神社の家系に生まれた。だが、今はほとんど出雲とは関わりがない。実家は小さな分社をお守りしているだけのこじんまりとした神社だ。
出雲大社は縁結びのパワースポットとして昔から注目されている大きな社で、うちもその流れを汲んでいる。
実家近辺では『縁結びといえばあそこ』と言わしめる程度には知名度があるが、参拝客は減少の一途を辿っているし、両親はそれぞれ別の仕事を持っている。
だが、両親ともどもいまだに霊的なものが視える体質だ。それが縁で結婚し、俺が生まれた。
普通の人には視えないものが視えてしまう苦しみや疎外感を、癒し合うようなご縁だった……と、たいして聞きたくもない惚気話をしょちゅう聞かされれながら育ってきた。
そして俺は、幼い頃に両親によってこの霊視能力を封じられている。
異能によって苦労した両親が、一人息子の俺には苦労をかけたくないと思うのは自然なことだと思う。ほとんど覚えていないけれど、幼稚園に上がる少し前に、俺は両親からとあるまじないを受けたらしい。
そんなわけで、俺はごくごく平穏な社会生活を送ってきた。
薄ぼんやりとした悪い気配などは察知することができるものの、普段はふっと嫌な気配を感じても、そこからささっと距離を取ったりする程度で、積極的にわざわざ視ようとは思わない。
「倫は視えたところで何もできないのだから、何もしないに越したことはない」——そう両親から教えられてきた。
だが今は、状況が状況だ。愛しい泰介の眠りを妨げるものの正体を見極め、実家から取り寄せた悪霊退散の札の力を借り、泰介を守らねばならない。
そのためにはまず、泰介の部屋にひそむものの姿を視認したい。
腹のど真ん中に力を込めるイメージでぐっと集中し、目力を強めて、その空間を凝視する。
すると……。
「うわぁ……いっぱいおる」
ぼう、ぼう……と視界の中に浮かび上がったたくさんの黒い影。その数の多さに、俺は二、三度目をこすった。
「えーと……1、2、3、4、5、6、7……ってどんだけいてんねん!!」
あまりに多いので、途中で数えるのはやめた。
そのシルエットを見るに、圧倒的に子どもの霊が多い。だがよく見ると、動物霊もちらほらいる。
ベッドの上で飛び跳ねているもの、鬼ごっこをしているもの、壁際に吊り下げられた泰介の服の隙間でかくれんぼをしているもの、ペットボトルを転がしているもの(いわゆるポルターガイスト)……などなど。
そしてちびっこたちについて回るように、部屋の中をぐるぐる走り回る犬霊が数匹。そして、エアコンと天井の隙間に入り込んで毛繕いをしている猫霊、パソコンの上で香箱座りをしている猫霊、パタパタと天井付近を飛び回るインコ霊、部屋の隅から隅へと滑降するモモンガ霊までいて……俺は唖然としてしまった。
「て、子どもと動物だけが引き寄せられてる……? なんでや。何でこんなことが起きんねん」
あのクールな泰介と、幼い子どもや動物たちのイメージが結びつかない。俺は首を傾げつつ、遊んでいる子ども霊たちの隙間をすりぬけながら、泰介の部屋を見回した。
そしてふと気づく。窓際に置かれた泰介のパソコンデスクのそばの床に、写真が貼り付けられたコルクボードが置かれていることに。まるで人目から隠すように、デスクと壁の隙間に置いてある。
俺はそれをスッと持ち上げてみた。見ると、埃などは一切積もっていない。つまり、ここに放置しているのではなく、常日頃から時折この写真を取り出し、見つめているということだろう。
「わ、泰介やん」
写っているのは、泰介と4、5歳の子どもたちだ。泰介の脚のそれぞれに抱きついて満面の笑みを浮かべている男の子の兄弟と、見たこともないような優しい表情を浮かべた泰介の写真である。
泰介のそばには笑ったような顔も可愛らしい柴犬までいて、写真から幸せオーラが溢れ出していた。
そのほかにも、泰介に面差しの似た女性とムキムキゴリマッチョの男性の写真もある。おそらくは彼の両親だろう。
幼稚園児から高校生くらいまでの男女(しかもみんな顔が似ている)が花火をしながらピースしている写真や、雪山ではしゃいでいる写真。泰介の膝の上で眠る猫を撫でるお祖母さんの写真まで。いったい何人家族がいるのだろう。
「この子らが実家で世話させられてたっちゅう従兄弟か。……いや、てか何人家族やねん。めっちゃ仲良さそうやし」
ひとりひとりの顔をじっくり観察しつつ人数を数えてみる。泰介の家族と従兄弟家族で、あわせて十五人はいるだろう。写っていないだけでもっといるのだろうか……。
口では「一人暮らしになってチビどもの世話から解放された」と言っていたけれど、ちびっ子たちの遊びに付き合っている写真を見れば、あれは単なるカッコつけの発言だったのだということがわかる。
泰介の眼差しは、俺に向けられるものよりも数段優しく、穏やかだ。……うらやましいこと山の如しである。
ふと、俺の中でピンとくるものがあった。
ここに子ども霊と動物霊ばかり集まっているのは、泰介が実家で世話をしていた幼い従兄弟たちやペットたちに想いを馳せていたからだろう——と。
泰介の念に共鳴し、引き寄せられたらしいちびっこの霊たちが、この部屋にはたくさん集まっているのだ。
俺が視えていると気付いたのか、すぐそばでうずくまって床に落書きをしていた子ども霊がひょいと顔を上げ、じっと俺を見た。逆に憑かれても困るのでなるべく視線は外しつつ、俺はひそかにため息をつく。
「……君らを追い払うんは気ぃ引けるけど……しゃーないねん。許してや」
だがしかし、泰介の健康のためには致し方ない。それに、この子どもや動物霊たちだって、本来はここにいるべきではない魂たちなのだ。きちんとあの世への道を示してやらないと、悪霊へ様変わりしてしまうかもしれない。そうなると、意図せず生きた人間を蝕むようになり、ますます悪しきものへと姿を変えてしまう……。
「大丈夫。きっとみんなで天国へ行けるからな」
俺はそう呟いて、斜めがけにしたボディバッグから、B5サイズのファイルを出す。パラパラとページをめくり、『低級動物霊・子ども霊用』というタグのついた袋状のページから、四枚の札を抜き取った。
そして、玄関ドア、左右の壁、俺の正面にあるの窓、それぞれにペタペタとお札を貼り付けた。(ご丁寧なことに、裏面にはきちんと両面テープが装備されているので貼りやすい)
なにやら空間が変化したことに気付いたらしく、霊たちが一斉にあたりを見回し始める。俺は胸の前で合掌し、心を込めて祝詞を唱えた。
「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」
——願わくば、この子たちが心静かに眠る場所へ導き給え……
心で念じながら幾度か真言を繰り返すと、ひとり、またひとりと、子どもの影が光を纏い、空気に溶けるように消えていく。そして子どもたちを追いかけるように、動物霊たちも。
そのようすを最後のひとりまで見守ったあと、俺は合掌を解き、ふう〜〜〜……と息を吐いた。
その拍子にぐらりと目眩を感じ、俺はその場にへたっとしゃがみ込む。
——うう〜……っ、めっちゃくちゃ体力持ってかれた……。
こうやって、なけなしの力を振り絞るのは生まれて初めてのことだ。まさかこうも体力を使うとは思わなかった。脚に全く力が入らず、立ち上がることもできない。
改めて、ほのぼのした写真の並んだコルクボードを手に取って見つめてみる。俺のうちは家族仲はいいが、親戚筋とはほとんど疎遠だ。こういう賑やかそうな家族には憧れる。
——って、俺はゲイやから、大家族なんて到底夢のまた夢やけどなぁ……。
と、しみじみしていると……不意に、ガシッ!! と骨が粉砕しそうなほどの力で肩を掴まれた。
「……おい、倫。お前、何やってんだよ……」
「ヒッ…………! いや、なんや落ちてんなぁ〜と思って……」
「バッ……勝手に見てんじゃねーよ!」
真っ赤に赤面した泰介が、俺の手からコルクボードをひったくった。
「ええやん、地元におる従兄弟くんたちやろ? まだそんな小さいねんな」
「どっ……どーでもいーだろうがそんなこと。実家から送られてきたんだよコレはっ」
「大家族やねんなぁ。楽しそうで羨ましい。何人いてはんの?」
「うっせーな、どうでもいいだろ」と言われることを覚悟していたが、泰介は意外にも殊勝な表情でコルクボードを見つめ、ぽそりと小声でこう言った。
「……俺は両親と妹二人の五人家族だけど。親戚がすぐそばに住んでるから、集まるとすごい人数になんだよ」
「へぇ……そうなんやね」
「俺、ゴールデンウィークも帰らなかったし、週末もほとんどバイトしてるから連絡取ってなくてさ。そしたら急に、親がこんなもん送ってきた」
「そぉか、たまには顔見せてほしいんやろな」
「……俺、もうちょい一人で頑張りたいんだけどな」
写真を見下ろす泰介の瞳に、俺は郷愁を感じ取った。泰介は賑やかそうな実家から離れ、四月からずっとここで一人暮らしだ。そこへ家族の写真が届き、懐かしくなったのだろう。
——ああ、だから。泰介の淋しい、懐かしいっていう念がここらへんの浮遊霊を招(よ)び集めたんやな……。
いつもクールな泰介の新たな一面を知った。四月五月は気を張って、しゃかりきになって新生活に慣れなくてはならない時期だ。だが夏を前にして、気候の変化やテスト前の憂鬱なども重なり、ちょと気弱になってしまったのだろう。
「……淋しいなら、言うてくれたらよかったのに」
「はっ!? 誰が淋しいって言ったよ!?」
「俺も一人暮らしなんやし、いつでも遊びにきたったのに」
「いやだから。どうしてそういう話になる……てか、どうした? 青い顔して」
パンツ一枚にタオルを首に引っ掛けただけというセクシーすぎる泰介が、すっと俺のそばに膝をついた。体力を使い果たしてフラフラになっているところに、突然のエッチなご褒美。俺は目眩を感じてぐらっと後ろに倒れかけた……。
「っおい、倫! なんだよ、腹減ってんの?」
「ちゃうて……あはは、ちょい、なんやふらっときてしもて……」
「えっ? 熱中症かなんかか!? ったくお前は……」
「っ……うわ……」
ぐっと肩を抱かれ、ふらつく身体を支えられたかと思うと、額に手のひらが押し当てられる。
眼前に迫るのは、風呂上がりの泰介の裸体だ。水滴を滴らせる黒髪、玉のような汗がくっついた艶肌、柔らかくしなやかな筋肉に覆われた逞しい胸板……なんという眼福。気を抜けば、うっかり鼻血を垂らしてしまいそうだ。
その上、俺を心配そうに見つめる泰介の表情が可愛くて、かっこよくて、ときめきがとまらない。
「ちょっと熱いな。大丈夫か?」
「だ……だいじょうぶやけど……大丈夫では、ない……」
「はぁ? どういう状態だよ、とりあえずベッドに寝ろ。すぐ部屋冷やすから」
「べ、ベッド……う、うあ」
仰天だ。泰介が、俺をひょいと横抱きした。まさかお姫様抱っこをしてもらえるなんて思わなかった。ボディソープの匂いとともに感じる泰介の肌の香りもたまらなくかぐわしい。
さほど小柄でもない俺の身体をやすやすと持ち上げてしまう泰介のたくましさにもキュンキュンした。いくら泰介の身長が185センチ近いとはいえ、身長172センチある俺をこんなにも軽々と持ち上げてしまえるなんて……。
——あああどうしよう好きめっちゃ好き。かっこよすぎる。大好き。ずっとずっと抱かれてたい……!!
ぶわわわっと咲き乱れる花畑の中でロマンチックを感じること数秒、あっという間に俺はベッドに下ろされた。
まぁ、部屋は八畳のワンルームだから、歩いたところで数歩。お姫様抱っこはあっという間に終了。
だが今度は、泰介のベッドに寝かされているという状況にカーーーーッと顔が熱くなり、俺はどぎまぎしながら泰介を見上げた。
「た……泰介はどこで寝るん……」
「そんなことより、体調悪いのか? 俺、シャワー浴びたら急に頭スッキリしたし、なんかいるもんあったら買ってくるけど?」
「い、いや……だ、大丈夫やって。ただ……体力使っただけ……」
「体力? ああ……今日も暑かったもんな。俺んちまでわざわざこなくてもよかったのに」
「だって心配やったんやもん。泰ちゃん、なんやここんとこずっと様子変で…………エッ……!?」
ぎし、と泰介がベッドに腰掛けたかと思うと、そっと頬に、泰介の指の背大きな手が触れた。
——アッ……どないしよなんやこれぇ……っ!! 上半身裸の泰介が、ベッドの上で、俺にエッチな触りかたを——……!!
熱がないかどうか再確認している仕草だということくらいわかっているけど、優しく頬に触ってもらえたことが嬉しくて嬉しくて、ぎゅんぎゅんと体温が上がってしまい……。
「えっ、すげぇ熱……!? お、おい倫!! 大丈夫かお前っ!?」
「だいじょぶ……だい、じょ……」
そしてそのまま、俺は泰介のベッドの上で気を失った。
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