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第10話

 翌日になって、立花へ宛てたメッセージに既読のマークが付いていることに気が付いた。  読んではもらえたのか。  何とも言えない気持ちを抱え、一日の営業を終えた。片付けを始めたところ、突然ドアベルが鳴った。  驚いて振り返れば、早乙女が平然とした様子で入ってくる。 「おぉ、俊介。久しぶりだな。どうした」  久瀬も目を瞬かせている。予め連絡があったというわけでもなさそうだ。  早乙女は挨拶もそこそこに、用件を告げる。 「店、もう終わったんだろ。コイツ、ちょっと貸して」  男の目がこちらを見た。相変わらず人のことを物扱いするその態度に、こちらもまた眉根を寄せて睨み返す。  久瀬はのんびりとした調子で尋ねる。 「貸してって、いきなりどうした」 「話がある」 「話?」 「そう」 「ここ、使ってくれていいけど」 「お前がいると話にならないからいい」 「お前なぁ……」 「その辺でちょっと話すだけだって」  早乙女はドアに向かって顎をしゃくった。淡々と言葉を交わしている二人だが、その目は探り合うような鋭さがあった。  しばしのせめぎ合いの後、躊躇いがちに久瀬の目がこちらに向いた。早乙女も続くと、ようやく話しかけてきた。 「話がある。来い」  俺に選択する余地はないらしい。吐き捨てるなり、相手はさっさと出て行ってしまう。  彼の言う通りにしていいのか。許可を求めるように久瀬を見遣れば、「ごめんね」と謝られてしまった。  朝から降り続いていた雨は止んでいた。ただ、匂いと肌に纏わり付く空気からして、すぐにまた降り出しそうな気配がする。  早乙女の後をついて歩き、駅前へとやって来た。隠れ家から五分ほどの距離のそこは、ちょっとした広場となっている。  講義を終えた学生達が駅構内へと流れていく。その人の波から離れたところで相手は足を止めた。 「お前、何がしたいの?」  前置きもない。威圧的な口調は詰問じみていた。恐らく立花のことについて言っているのだろうが、相手の身勝手な振る舞いにどうしても反発心が拭えない。 「何のことですか」 「望に『会いたい』って、しつこくメッセ送ってるだろ」  「昨日も」、そう言葉を付け足された。どうやらこちらの行動は筒抜けらしい。辟易した様子で相手は切れ長の双眸を眇めた。  早乙女は関係のない第三者だ。なのに、執拗だという言葉に心が乱される。平常心を意識しつつ、慎重に答えた。 「……送りました」 「何がしたいわけ?」 「……何がしたいって、謝りたいんです」 「何を」 「……無神経なことを、たくさんしたので……」 「今更」  露骨に鼻で嗤われた。何も言い返せず、口を噤むことしかできない俺を相手はさらに嘲り笑う。 「それで、雇い主のお友達だから謝っておかないとマズいなぁって? あぁ。常連だから、またお店に来て下さいっていう方?」 「違います……! そうじゃないっ」  この男、本当に人を煽るのが嫌なほど上手い。堪らず語気を荒げてしまった。遠巻きに人の視線を感じるものの、構っていられない。早乙女も険しい顔付きを崩さぬまま、口を開いた。 「じゃぁ、何だよ」  低く地を這うように、怒気を滲ませた声が問う。 「俺は……ただ純粋に、謝りたいだけです」  確かに立花は久瀬の友人だ。隠れ家の常連でもある。けれど、そういう建前は関係ない。  大真面目に話しているというのに、相手は薄らと笑みを浮かべた。目付きは鋭く、瞬きすらさせまいと突き刺してくる。 「お前みたいな、能天気なノンケは本当に嫌になるよ」  吐き出された言葉以上に、男からは嫌悪感が滲み出ていた。 「謝りたいだけとか、そういうのがどれだけ傷付けてるか、ちょっとは考えろよ。アイツはお前のことが好きだって言ってるんだよ。意味わかってる?」 「……わかってます……」 『……俺……本気で坂本君のこと…………』  懸命に言葉を絞り出していた姿が頭を過ぎり、思わず唇を噛む。 「へぇ。わかった上で『男も好きなのか』って訊いたのか」 「……それは…………彼女がいたって、聞いたので……」 「そういうとこだよ。ツラが良くても、それだからロクな奴しか寄ってこないんじゃないの」 「………………」  乱暴な言葉で詰られても、何も言い返せなかった。静かに胸がざわつく。  早乙女の眼差しから不意に圧が消えた。関心が失せたように、急に口調も締まりが無くなった。 「望のヤツが煩いからお膳立てしてやったけど、やっぱりロクなことにならねーし。お前も、もうこれ以上エゴを押し付けてくるな。迷惑なんだよ」 「………………」 「何。それとも、望と付き合う気でもあるの?」 「………………」  何も言えずにいると、また鼻で嗤われた。もはや相手にすらならないと見限られたみたいだった。 「大輔によろしく言っといて」  そう言い残し、早乙女は踵を返して人混みの中へ消えていった。しばらくその場で立ち尽くしていたが、自分もとりあえず隠れ家へと戻ることにした。  出迎えてくれた久瀬は、俺を見るなり神妙な顔付きになった。こちらの顔色を窺いながら、珍しくかける言葉を探している。そんな相手に断りを入れて、今日はこのまま帰らせて欲しいと告げた。  帰路に着く学生達に紛れて再び駅へと向かう。  早乙女の嫌悪にまみれた言葉は友人を思い遣るもの以外の何物でもなかった。言いたいことはよくわかる。エゴの押し付けだと言われてその通りだと思った。  でも、俺だってどうしていいのかわからない。立花と付き合う気があるのかと挑発された時、「ある」とも言えなかったが、「ない」とも言い切りたくなかった。言ってしまったら、立花との繋がりを完全に失ってしまうかもしれない。どうしてこんなにも踏ん切りがつかないのか。彼女に別れを告げられた時には、素直に頷くことができたのに。  唐突に、頬に雫が落ちてきた。雨だろうかと真っ暗な空を見上げている間にも、ぽつぽつと大粒の雨が降ってくる。  駅は目と鼻の先だった。傘をささなくても、走ればまだ間に合うかもしれない。  駆け出すと同時に、俺は考えることを放棄した。

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