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第3話
【鬼とは、尋常ではない筋力を持ち、血と肉を喰らう。性格は直情型で好戦的であるが、決闘で敗れたり、一度懐に入れた者には義理堅さをみせる。なので上下関係がハッキリしている種族でもある】
緋嶺 は目を覚ますと、雨漏りの跡がある天井が見えた。見覚えのないそれに、ここはどこだ、と起き上がろうとするけれど、指一本動かせない。
辛うじて視線を巡らせると、とても古い建物のようだ。配達に行く家に例えると、老人が住んでいるようなイメージがある家だった。明るさからして昼間のようだけれど、あれからどれくらい経ったのかは分からない。そして緋嶺は畳の上の布団に寝かされており、磨りガラスの扉の向こうには誰かがいる。
「おい、ここはどこだ? 何で動けない?」
緋嶺はその誰かに向かって声を上げる。するとこちらにやってきたのは、やはり意識を失う前に見た、金髪の男だった。
「なんだ、昨日の夜から一晩でもう回復したのか。やはりお前は人間ではないな」
こちらにやってきた男は、改めて見るととても美しい人だった。長い金髪は腰まで伸び、肌は陶器のように白い。左右対称で切れ長の目には琥珀色の瞳があり、緋嶺をじっと見つめている。
「そんなのいいから、早く俺を家に帰せ」
緋嶺は男を睨むと、彼は緋嶺の身体を跨ぐようにして跪くと、身をかがめた。
サラリと金髪が落ちて影をつくる。男は薄桃色の薄い唇の端を上げると緋嶺の服を捲りあげた。
「は!? ちょ、何するんだっ!」
「黙ってろ」
男はそう言うと、何故か声が出なくなった。口は開閉するものの、空気が抜けるだけで声帯を震わせることができない。冗談じゃない、と全身に力を入れるけれど、やはり布団に縫い付けられたかのように動けなかった。
すると男はとん、と人差し指を緋嶺の胸の真ん中に置いた。その瞬間、ゾワゾワと鳥肌が立ち、顔を顰める。まるでそこを中心に全身を撫でられているような感覚がして、緋嶺は内心慌てた。
男はくすりと笑う。
「気持ち良いか?」
緋嶺はカッと頬が熱くなるのを感じた。けれど何も反論ができず、抵抗もできないので、吐き出す息が熱と湿り気が混ざるのを止めることができない。
緋嶺は男を睨んだ。しかし男はふむ、と身体を起こすと緋嶺のジーパンに手をかける。もちろん全力で抵抗した。けれどやはり表情以外は何も動かせない。
そして男は再び緋嶺の下腹部に人差し指を置いた。
その瞬間、緋嶺は声もなく呻く。男が指を置いているのは下腹部なのに、なぜか直接内蔵を掻き回されているような感覚がしたのだ。
遠慮なしにグリグリと中を掻き回され、緋嶺はえも言われぬ嫌悪感に吐きそうになった。
グッとせり上がってきたものを息を詰めて耐えると、男は指を離した。同時に声が出せるようになり、緋嶺は唾を飲み込んで男に悪態をつく。
「てめぇ! 何すんだ!? ってか何者だ!? 早く俺を解放しろっ!」
すると男は緋嶺の顎を掴んだ。その力の強さにまた呻くと、男の口の端が上がる。
「……こんなに威勢の良い奴だとは思わなかったな」
「……っ、何言って……!」
「お前、鬼だろ」
男は真顔で言う。不覚にも緋嶺は驚いた顔をしてしまい、彼に図星だと伝えてしまった。
急に大人しくなった緋嶺を見て、男は緋嶺の上から退いた。同時に身体が動くようになり、緋嶺は起き上がった勢いで土下座をする。
「黙っててくれないか!? お願いだ!」
俺が鬼だとバレたらまずいんだ、と緋嶺は訴える。すると男は片眉を上げて聞いてきた。
「ほう。……なぜ?」
「なぜって……」
緋嶺は焦った。そう言えば、バレるなと言った記憶の中の人が誰なのかも分からないし、どうしてバレたらいけないのかも知らない。けれど、確かに記憶の中のあの景色は日本ではなかったし、あの人の言うことは絶対なんだという確信がある。記憶が無いのに確信があるなんて、と緋嶺はそれ以上言葉が出なかった。
緋嶺は身体を起こすと男を見る。美しいけれど冷たい印象の彼は、そもそも何者で、どうしてこんな事をしたのだろう?
「まぁ、どの道お前はもう帰れないし、今日から俺の部下だ」
静かな表情で言い放った言葉に、緋嶺は思考が止まる。
(は? 帰れない? 何で? ……それに、俺がコイツの部下ってどういう事だ?)
いきなり何を言い出すのだろう? 確かに昨晩襲いかけたのは申し訳ない。それはこれから素直に謝るとしよう。しかし、勝手にここに連れてこられた挙句、こっちの意志も無視して帰してくれないとはどういう事だ?
すると男は一つため息をつくと、あまりにも人間に馴染んでいるからバレなかっただけか、と呟いた。
「え、いや……昨日の事は謝る。なんか衝動が抑えきれなくて……。だから……」
「その話と、お前が帰れない事とは別の話だ」
男は緋嶺の正面に胡座をかくと、琥珀の瞳で見つめる。
「俺は天野 鷹使 。お前が鬼であるように、俺は天使だ」
「……は?」
天使だと? と緋嶺は男をまじまじと見る。コイツは何を言っているんだ、と緋嶺は思った。確かに、人間離れした美しさではあるけれど、人間の世界に広まっている天使のイメージとは少し違う。
天使とはこう、穏やかで、純白の羽があって、慈悲深いものではないのか、と緋嶺は疑いの目を向けた。どう見ても慈悲深くは見えないし、羽もないし、穏やかではない。
「なら、証拠を見せよう」
鷹使はそう言うと、立ち上がった。
すると一瞬にして鷹使の背中に、純白の羽が出てきたのだ。同時に空気がピリリと張り詰めて、緋嶺は鷹使の力の強さに鳥肌が立つ。理屈ではない、身体が本能でコイツは強いと感じるのだ。
けれどそれ以上に、緋嶺は鷹使の琥珀の瞳から目が離せなかった。その瞳はゆらゆらと光をたたえ、金色と琥珀色の間で揺らめいている。そしてまるで後光が差したように鷹使は輝き、緋嶺は息をするのも忘れて見蕩れた。
「……納得したか?」
鷹使から羽が消えると、その光もピリピリした空気も弾けて無くなる。
「……おい」
鷹使が眉間に皺を寄せる。緋嶺は惚けて返事をしていなかったことに気付き、慌てて姿勢を正して頷いた。
「それで? 俺がどうして帰れないのか、説明してくれるんだよな?」
緋嶺は惚けていた事への照れ隠しと、 いくら美しいとはいえ、男に一瞬でも見蕩れた事への苛立ちに、トゲトゲしく言う。その態度に鷹使は眉間に皺を寄せたまま、短くため息をついた。
「あ? 何だよその態度。人がせっかく下手に出ようとしてたのに」
「いや、お前のあまりにもお気楽な態度に、呆れただけだ」
緋嶺はムカついて口を尖らせると、静かな表情で鷹使は返してくる。それが余計にムカついて、だったら早く説明しろよ、と緋嶺は鷹使を睨んだ。
「まず、お前は自分が鬼だと自覚はしてるんだな?」
「……ああ」
「……で、正体を隠さなくてはいけない理由は、分からないと」
それなら、説明する内容が変わってくる、と鷹使は言う。そして、先程と同じとまではいかないけれど、空気が張り詰めた感覚がした。
「俺はある方の依頼で動いている。その内容は……」
お前の護衛だ、と鷹使は静かに緋嶺と目線を合わせた。
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